椎名誠の新刊書を見つけるとつい借りてしまう。この本は夕刊フジに連載されているコラムを書籍化したものらしい。夕刊紙の連載なのでひとつの文章は3ページ分とかなり短く、それに1枚の写真を加えて1章ができあがっている。
相変わらずというかなんというか、過去の旅の思い出という構成になっている。しかし、「いろんな国を旅してきた」という言葉どおり、きっとこの作家は無尽蔵にこういう形のエッセイを書き続けることができるほどの経験をしてきたのだろう。そして、自らもきれいな写真を撮ることができるテクニックを持っているのだから、その写真を眺めながらいくらでも思い出を引っ張り出せるのだと思う。
今回は旅先で出会った人たちやその国で出会った不思議な習慣などがテーマになっている。
特にこれというような印象に残ったものはないけれども、椎名誠らしい文章に乗って軽快に、しかししみじみと読み進めてゆくことができる。
まったく、「旅」というものになじみのない僕にとっては確かに若い頃にもっと旅をしておけばよかったと思う。旅といってもほぼ紀伊半島から出たことがなく、海外といえば新婚旅行で行ったカナダとなぜだかグァム島へ行ったことがあるだけだ。
人は移動した距離に比例して大きくなれるのだと言ったのはたしか師であったと思う。
「夏の闇」の書き出しも、「そのころも旅をしていた・・」だった。名を成す人はみんな旅をしていたということか・・。
なんとか半径10キロで名を成す方法はないものだろうか・・。
あまりにも短い感想文なのでそのグァム島旅行でのことを書きたいと思う。当時、いろいろ調べてみると、グァム島とハワイでは日本の運転免許証で自動車に乗れるということがわかった。グァム島というのは淡路島ほどの大きさしかないので半日ほどあれば1周(といっても3分の1くらいは治安が悪いので行かない方がいいということだった。)できると考えた。せっかくなのでオープンカーがいいだろうと青いムスタングを借りたのだ。

右側通行はかなりやっかいだと思いながらなんとか運転をしていたのだが、途中でUターンしようとして路肩にはみ出してしまい、後ろのタイヤがスタックしてしまった。
日本の道路の路肩というのは相当田舎でもちゃんとコンクリートブロックで固められているが、グァム島の道路というのはそんなものがまったくなく、いとも簡単に路肩にはみ出してしまうのだ。ついでにいうと、中央分離帯というものもまったく存在していなかった。相当意識しないと左側通行の癖が出てしまい対向車線に飛び出てしまいそうにもなるのだ。
オープンカーにロックができるデフが付いているわけでもなく、エンジンを吹かしてもタイヤは空回りをするだけだ。もっと悪いことに、グァム島の道路というのはかまぼこ状になっていて、路肩の方が中央部分よりも低く、惰性で元に戻ることさえもできなかった。
どうしようかと悩んでいると、若い男女3人組の乗った車が停まり、車を出してあげるという。(言っているみたいだった。)藁にもすがる思いというところもあり、運転席のドアをあけたのだが、この島の人たちは手慣れたもので、あっという間に車を路上まで引き出してくれた。
そして、何事もなかったように颯爽とその場を離れていったのである。地獄に仏とはこのことだと思った。右も左もわからないところで手を差し伸べてくれる人がいたというのは本当にありがたかった。逆に、家族からは何で車なんか借りるの!それもこのクソ暑い島でオープンカーなんて!(事実、ほぼ全工程、幌を閉じてエアコンをかけて走っていた・・)普通に旅行しておけばよかったのよ!という無言の抗議が聞こえてきた。
あとから考えたのだが、その時、家族はまだ車の中に乗っており、下手をすればそのまま誘拐されてしまったのではないかと怖くなった。
しかし、世界には悪人よりも善人のほうがはるかに多いらしい。僕はそう思った。誘拐されそうだったのではないかと疑う時点で僕は旅人としては失格だったのかもしれないとこの本を読みながら遠い昔のことを思い出したのであった。