イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「お金がない!(暮らしの文藝)」読了

2020年09月21日 | 2020読書
赤塚不二夫、平松洋子、高野秀行 「お金がない!(暮らしの文藝)」読了

この頃、アンソロジーをよく読んでいる。「日本文学」という書架の一部にはこういうタイプの本がたくさん並んでいて読みやすいのでつい手に取ってしまう。今度はお金にまつわる1冊だ。29人の作家その他の人たちが収録されている。
それぞれの人は何かお金に対して哲学的なものを書いているわけではなく、何かお金にまつわる話を書いている。
そんな中でも、一番多いのはやはりお金と幸せについて。少しは哲学めいてくる。そういう人の哲学はみんな、お金を持っていることと幸せはリンクしないという。しかし、幸せの定義を、「不安のないこと」とすると話が変わってくる。少なくとも作家と言われる人たちはそれなりに収入があるだろうから将来に対する不安のようなものは一般サラリーマンと比べるとはるかに少ないだろうから、本に書かれていることをそのまま鵜呑みにすることもできないだろう。
しかし、その定義を、「不満のないこと」としてしまうと、いったいどこまで行かねばならないのかとなってくる。幸いにして僕は物心ついたころから今まで、飢えに苦しんだことはないし、遠足にも修学旅行にも行かせてもらった。しかし、生活に不満がなかったというとどうだろうか。ガンジーは、「世界にはすべての人を飢えさせない分の富はあるけれども、すべてのひとの欲望を満たすだけの富はない。」と言ったそうだが、まさしくその通りだ。いい車に乗りたい。ロレックスがほしい。船ももっと速いのがほしい。お肉は松坂で発泡酒は飲まないと言ってもそんなお金はない。だから我慢をしなければならない。
そこでどう折り合いをつけるか。諦めて気にしないというのが一番なのだろうけれども、そうはいかないのでいやいや僕はそういう価値観がないのだよとうそぶくのである。
車は荷物がたくさん乗るからとステーションワゴンを乗り継ぎ、軽の貨物車になったのは実はクラウンやセドリックなんて絶対に乗ることができないからだ。時計は師が晩年使っていたものを偶然ぼくも使っていたから壊れるまでこれを使うのだといいながら、外国製の機械時計を買うだけの余裕なんてまったくない。お肉はいつものスーパーで4割引きの商品に出会うことに大きな期待を寄せ、出会った時の幸福度で味の差をカバーしようとしている。新艇なんてもとから夢のまた夢だ。
そうやって自分の心の裏側をそっと覗いてみると一気にむなしさがこみあげてくる。なんでも買えるひとがうらやましい。資産を持っている人がうらやましいとなってくる。
もうそろそろゴールというか、一度人生を下車する先が見えてきたのだからいい加減に諦めの境地に入らねばと思いながらも周りの人たちと比べてしまうのだ。
やはりお金と幸せはリンクしていると思う。

せめてこれから先、飢えないという意味でお金の心配はしたくないものだが、一体全体これから先、どれだけの生活ができるものだろうか。ある作家は、「人間三日くらい働いて十日くらいはぼーとしているのがいいと思う。」と書いているのだが、それはやはり作家と一般人の時給の差がわかっていないのだと思う。
お金をもらうためだけに通勤している人間が偉そうに言えるものではないけれども、少ない給料でもやりがいというものがあればきっとそれはひとつの幸せになるのかもしれない。そんなことを書いている人もいた。
そんな幸せなら僕は大歓迎だ。
どこかに幸せが落ちていないだろうか・・。

コメント
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