イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「アメーバ経営」読了

2016年06月13日 | 2016読書
京セラのアメーバ経営というと、トヨタのカンバン方式と並んで効率的ですばらしい経営手法としてよく知られている。
まあ、僕がこんな経営方法を読んだからと言ってどうということはないのだが、ずっと興味があって読みたいと思っていた。

方式は単純なもので、経営単位を細かく分け、単位ごとに収支をはじき出して効率化を求めてゆくというものだ。実はわが社でも同じようなことをやっていて、単位をアメーバと呼ぶかユニットと呼ぶかしか違いがない。
でも、どうして片や世界に冠たる企業となり片や業界でも下位のほうに燻っているのだろう。
もちろん、精度の違いは否めないところとしてあるが、実はこの本の中に頻繁に出てくる心情的な部分、そこがまったく違う気がする。システムが立派でもそれを運用する人間の心次第で業績は跳ね上がるし、どん底にもなったりする。当たり前といえば当たり前で、社員を信じきる経営者と経営者を信奉する社員の心の絆がないと何もかもうまくいかないということだ。

稲盛氏の訴えたいことは、ドラッカーの言う、「真摯さ」ということと同じだと理解した。この人は日本航空の再建にも手腕を振るったが、どうしてぜんぜん違う業界でこれだけのことができるのだろうと不思議に思ったものだが、この、「真摯さ」をどれだけ社内に浸透させるか、またその情熱とエネルギーを持っているかということなのだろう。
「信頼できる仲間同士という心の絆」
「人間として何が正しいか」
「会社が、ひとつの大家族であるかのような運命共同体となり・・」
「リーダーとは、全き人格者でなければならない。」
「予定完遂の強い意志を持って実行する。」
「筋の通らない要求に対しては、喧嘩をするくらいの激しい気迫がなくては・・・」
こんな言葉が随所に出てくる。
こんな言葉を真剣に言える人というのが本当に素晴らしい経営者ということに尽きるということだ。


ウチの会社では、僕を含めてどれだけの人が役員の方々を尊敬してついて行っているのだろう。僕は役員さんの直属ではなくもっと下のほうだからどうでもいいのだが、もっと上の人たちなんか、愚痴ではないが、ホトホト言いながら命令をこなしている。そこには信奉も尊敬もないような気がして僕には到底できそうにない。諦めに似たようなものしか感じない。どうしたら滅私奉公できるのだろうか?それが大人ということだろうか?

つい最近、自動車の燃費偽装で対照的なメーカーの記者会見があったが、一方は社員のためを思った会見でもう一方は逆の印象を持った。ウチはどっちに近いかなどと考えたくはないが、僕自身はどうもこの会社のために心血を注いで命を預けてがんばろうという気にはなれない。


“環世界”という言葉を最近知った。もともとは生物学で使われる言葉で、「普遍的な時間や空間も、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されている。動物の行動というものは各動物で異なる知覚と作用の結果であり、そこからその動物独特の行動が生まれてくる。」という考えである。
そういう意味では僕の“環世界”には残念ながら、真摯さ、野心、競争意識、協調性、そういったものがものすごく希薄だ。子供の頃から学校の先生に、「欲がない。」そう言われ続けていた。
だから僕の環世界の中には、アメーバ経営もユニット経営も存在しないということだ。
コメント
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