鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

京都並みの混雑ぶりを呈していた古都、鎌倉。なかでも覚園寺はもっと知られてもいいお寺だと思った

2024-06-09 | Weblog

 8日はピースボート乗船の友達のH氏夫妻と連れ立って鎌倉見物に出かけた。午前10時に北鎌倉駅に集合することで出発したところ、川崎駅での乗り継ぎに遅れ、定刻過ぎに北鎌倉駅に到達したが、改札を出ると沢山の人が密集しており、まるで東京・銀座や京都並みの混雑ぶりを呈していた。これまで数回鎌倉には来ているが、こんなことは初めてのことで驚いた。円安で海外旅行が敬遠され、国内観光に切り替わっているうえ、天候にも恵まれたとはいえ、老若男女がこれほど鎌倉に殺到するとは思いもしなかった。

 まずは北鎌倉脇にある鎌倉五山のひとつである円覚寺に行くと、入口で拝観料を1人500円也を徴収された。以前は拝観料を取らなかったような記憶があるが、ここでも京都並みということか、と納得した。境内は樹木が生い茂っており、初夏の風が吹く抜く中、境内を散策し、お参りをした。緑あふれる境内は別天地といった感じで、古都鎌倉の匂いを嗅ぎ取ることができた。続いてJR横須賀線沿いを歩き、鎌倉五山のうちの建長寺を訪れ、ここでも拝観料を払い、総門をくぐり、仏殿建長7年(1255年)鋳造の国宝、梵鐘を拝観したあと、方丈の龍王殿に上がり、見事な庭園脇で一服した。けんちん汁がこの建長寺で生まれたものであることを知り、改めて日本の文化にお寺が関わっていたことを思い知らされた。

 この後は紫陽花で知られる明月苑はどうせ満員だろうと敬遠し、ランチを摂るべく鶴岡八幡宮前の蕎麦屋に行ったところ、14組待ちの混雑ぶりだった。とりあえず客待ち台帳に名前を記入して、30分あまり鶴岡八幡宮にお参りした。で、戻ったところ、わずか3組進んだだけだったので、キャンセルし、すぐ隣の同じ蕎麦屋に入り、鎌倉割子そばなる鎌倉名物に舌づつみを打ち、味を堪能した。

 その後は小町通りを散策しながら、鎌倉駅に至り、Hさん推薦の覚園寺に行くべくバスに乗って鶴岡八幡宮の東北あたりに位置するお寺に向かった。覚園寺は建保6年(1218年)に時の将軍、北条義時が創建したもので、以来800年にわたって引き継がれてきたお寺だ、という。現在31代目にあたる僧侶が引き継いでいる、という。本山の薬師堂脇には樹齢800年という神奈川100選の銘木、槇の木が聳えていてお守りしている風であった。境内を一周して、出口にさしかかった脇に合歓の木があり、側にいたお尚さんが「この合歓の木は夕暮れになると花が開いたように咲き、日が出ると閉じてしまいます。それも数日限りである」と説明してくれた。建長寺を出た際に脇に観光案内図が掲示されていて、この覚園寺が紹介されていたのを思い出し、もっとみんなに知られてもいいお寺だ、と思った。

 ともあれ、鎌倉を訪れる機会がもっとあってもいい、と思った。数年前に鎌倉を訪れる観光客は年間2000万人で京都の約半分だと聞いた記憶があるが、今日の感じではいずれ追いつくことも夢ではない、と思った。

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