吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2008年10月6日/〈日記〉283・八女市と酒井田柿右衛門

2008-10-06 08:09:43 | 日記
写真①:色絵磁器が並ぶ酒井田柿右衛門の資料室
     =八女市福島地区の「市横町町家交流館」で、2008年9月28日午後1時58分撮影

 町興し住民団体「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(略称・「海とまちなみの会」)の町づくり先進地視察団の一員として、9月28日に訪ねた福岡県八女市福島地区で、同市が陶芸家・初代酒井田柿右衛門の出身地ということを知りました。

 八女市観光ボランティアガイドの馬場早智子さんに案内された「市横町町家交流館」2階に、酒井田柿右衛門の資料室=写真①=があったからです。初代は、「濁手」と呼ばれる乳白色の地肌に赤色系の上絵を焼き付ける柿右衛門様式という色絵磁器の作風確立で知られています。

 展示資料によると、室町時代の文明2年(1470年)、酒井田氏の始祖で八女市南部の酒井田に移り住んだ上妻上総介家持の弟が酒井田姓を名乗りました。安土桃山時代の天正10年(1582年)、豊後の大友義統と肥前の龍造寺隆信が、大友方の辺春城で戦った際、城主辺春鎮信を助けて奮戦した酒井田壱岐守統連は討ち死にしました。

 この時、10歳だった統連の末弟弥次郎は、龍造寺氏の人質となり、肥前白石郷の郷士・上野讃岐入道用伯に預けられ、鍋島領内の白石郷龍王村飯盛山麓(現佐賀県有明町龍王)に住み、酒井田円西と称した。安土桃山時代末期の慶長元年(1596年)に生まれた子供の喜三右衛門が、赤絵磁器の焼成に成功し、初代柿右衛門を名乗ったという。

 第十四代柿右衛門が当代で、人間国宝。八女市酒井田には2002年、「酒井田氏一族発祥地」の記念碑が建立されています。
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