人は誰でも幸福でありたいと願っている。
誰でもだ。
不幸になりたいとは、どんな人も決して思わない。
これは断言して良い。
例え闇だろうが光だろうが、誰でもだ。
でも、幸せではないと多くの人が感じている。
また成功者や大富豪や、世間でもてはやされている人は、
きっと幸せなんだろうと思っていて、
わたしもああなりたい、幸せになりたいと願っている。
・・・
これは真っ赤な嘘、騙しである。
あなたは幸福の所有者ではないと思うように仕向けた、
巧妙で愚かしい虚偽・詐欺である。
・・・
わたしは・・今・・幸せでないと、
子供のころから洗脳をされ、繰り返し・繰り返し騙され続けてきたのだ。
誰にだろうか?
周囲の人たち、社会の人たち、世界の人たちによってだ。
そうやって、騙され続けてきた人たちが、
そのままそれを伝え続け、不幸せなことが当たり前だと・・
そう想い、そういう言葉を発し、そういう行為をしてきた。
そういう集団を創り上げて来たのだ。
いかに自分は不幸であるか・・を実感し、
不幸であるがゆえに、
幸福を得るために努力をするのである・・と、
さも当たり前の論理を掲げ、
様ざまな社会的努力に勤しむことが、
生きていることの、人生の意味であると、
そういう風に思って頑張ってきたのだ。
こういうと、あーそうだね・・と思うだろう?
あなたは、ちがうのだろうか?
しかしながら、しかしながら、
いつまでたっても幸せではないことに、
あなたも、もう気づいても良い頃ではないか?
確かに、
幸せを得ようとして、頑張って、頑張って、
物や人や組織や地位を獲得し、
人々の注目を浴び、ほめそやされ、うらやましがられ、
・・・
あなたは一時の幸福感を得たかもしれない。
しかしそれは決して続くことはない、
それもすでに経験済みだろう。
実のところ、この世は、そのための人生である。
それに気づくための人生である。
幸福は・・得るものではない。
得たものは、失うということを意味する。
幸福は、得たり失ったりするものではない。
あーそうかも、と、それも理解可能である。
でも、あなたは今幸福ではないと・・・思っているだろう?
では・・
あなたは今・・幸福であると思えばどうだろうか。
わたしは不幸である・・とするのではなく、
幸福である思う・・とするのである。
つまり・・幸福であろう・・とするのではなく、
幸福である・・とするのだ。
「何かの条件がないから・・不幸だ!」・・が、大いなる詐欺師なのだ。
お金?名誉?人気?愛してくれる人たち?
それらが無いから幸福ではない・・と、パブロフの犬のように、
子供のころから条件づけられてきたことに・・気づけるだろうか?
「あの人のようになれ、あの人偉くなったわよ、随分お金持ちだよ、
あの方大企業の社長さんなんだって、お役人様待遇が違うね・・」
ハッキリ・・断言しよう。
彼らは絶対に幸福ではない。
なぜならば、幸福ではないから・・努力も、嘘も、騙しも使って、
必死に幸福になろうとしているからである。
しかしながら、ある人はこう言うかもしれない。
そうは言うけどね、
「何の努力もしないで幸福になれるわけはない。」・・と。
そう、そう、その通りと・・思ってしまう。
努力をして・・・⇒初めて・・ 幸福になる・・
こういうことを言っている。
そうであれば、
はしゃいで遊ぶ子供たちは・・幸福ではないのか?
家族同様のペットたちは不幸なのか?
いいやどう見ても不幸には見えない。
何かが変だと気付かないだろうか?
・・・
幸福は・・すでにある・在るものであり、
何かを獲得して得られるものではないということだ。
あなたが変身すれば成るものでもない。
大勢が同じ行動をすれば得られるものでもない。
実は・・幸福は・・すでに在るものであることに、
気付くべきなのである。
幸福であることに気付くこと・・
それを「実感する」ことである。
実は・・・努力は・・ここに集約しなければならない。
すでに幸福である・・と実感・するのだ。
実感することで、
いつまでたっても実感できない・・幸福が現れるのである。
・・・・
ここは多分、意味不明の方もいるかもしれない。
なぜなら、
いままで、、不幸の再生産マトリクスの中で、
随分とお騙し絵ばかりを見せられてきたかたらだ。
「何の努力もしないで幸福になれるわけはない。」
努力をして・・・⇒初めて・・ 幸福になる・・
その努力とは、
地位や名誉やお金や財産、見栄えや評判・・の獲得努力。
その全ては・・儚く消えるものばかりではないか!
それは・・幸福ではなく、
単なる一時の「創造されたもの」なのである。
真我は・・存在・意識・至福である。
創造物の中には幸せはなく・・、
創造そのものが・・幸福なのである。
幸福であることに気付くこと・・
それを「実感する」ことである。
実は・・・努力は・・ここに集約しなければならない。
すでに幸福である・・と実感・するのだ。
それが・・幸福の創造の・・元にある。
だから、何を置いても、
わたしは・・幸せであると・・実感しなければならない。
この実感が・・創造のパワーなのである。
既にそうである・・・こと、
これは頭で考え、すぐに忘れることではなく、
実感・・・をすることだ。
わたしたちは、繰り返し、繰り返し、
外の世界の虚偽のマインドに幻惑されてきた。
そして、大体いつも・・幸福でない状況を造りあげてきた。
であれば、
繰り返し・繰り返し・・幸福を・・実感することで、
大体・いつも幸せである状況を創り上げようか。
3次元的観念世界の普通のマインドの働きは、
考えて、想起して、そして忘れることだが、
それを超えた次元世界においては、
そのマインドを使って、感情という実感を使って、
本来望むあり様を・・自らで起動・創造することになる。
幸福であることに気付くこと・・
それを「実感する」ことである。
実は・・・努力は・・ここに集約しなければならない。
すでに幸福である・・と実感・するのだ。
それが・・幸福の創造の・・元にある。
単なる気の利いたスピリチュアル話でもなく、
そうなら楽しいなと思うような、寓話やたとえ話でもなく、
全てであり、全ての背後にある・・意識・・
その意識の派生した想念・マインドでの創造の方法である。
実感することが創造という・・
新たな生き方・・公式の話である。
・・・・・
意識の焦点化した先に・・知覚が起きる。
人間本来、そう私たちは皆・・そういう創造を行う者たちなのだ。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。