気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(32)幸せである方法

2021-12-19 06:27:16 | 意識の科学(総合編)

人は誰でも幸福でありたいと願っている。

誰でもだ。

不幸になりたいとは、どんな人も決して思わない。

これは断言して良い。

例え闇だろうが光だろうが、誰でもだ。

 

でも、幸せではないと多くの人が感じている。

また成功者や大富豪や、世間でもてはやされている人は、

きっと幸せなんだろうと思っていて、

わたしもああなりたい、幸せになりたいと願っている。

 

・・・

これは真っ赤な嘘、騙しである。

あなたは幸福の所有者ではないと思うように仕向けた、

巧妙で愚かしい虚偽・詐欺である。

・・・

わたしは・・今・・幸せでないと、

子供のころから洗脳をされ、繰り返し・繰り返し騙され続けてきたのだ。

誰にだろうか?

周囲の人たち、社会の人たち、世界の人たちによってだ。

そうやって、騙され続けてきた人たちが、

そのままそれを伝え続け、不幸せなことが当たり前だと・・

そう想い、そういう言葉を発し、そういう行為をしてきた。

そういう集団を創り上げて来たのだ。

 

いかに自分は不幸であるか・・を実感し、

不幸であるがゆえに、

幸福を得るために努力をするのである・・と、

さも当たり前の論理を掲げ、

様ざまな社会的努力に勤しむことが、

生きていることの、人生の意味であると、

そういう風に思って頑張ってきたのだ。

 

こういうと、あーそうだね・・と思うだろう?

あなたは、ちがうのだろうか?

 

しかしながら、しかしながら、

いつまでたっても幸せではないことに、

あなたも、もう気づいても良い頃ではないか?

 

確かに、

幸せを得ようとして、頑張って、頑張って、

物や人や組織や地位を獲得し、

人々の注目を浴び、ほめそやされ、うらやましがられ、

・・・

あなたは一時の幸福感を得たかもしれない。

しかしそれは決して続くことはない、

それもすでに経験済みだろう。

実のところ、この世は、そのための人生である。

それに気づくための人生である。

 

幸福は・・得るものではない。

得たものは、失うということを意味する。

幸福は、得たり失ったりするものではない。

あーそうかも、と、それも理解可能である。

 

でも、あなたは今幸福ではないと・・・思っているだろう?

では・・

あなたは今・・幸福であると思えばどうだろうか。

わたしは不幸である・・とするのではなく、

幸福である思う・・とするのである。

つまり・・幸福であろう・・とするのではなく、

幸福である・・とするのだ。

 

「何かの条件がないから・・不幸だ!」・・が、大いなる詐欺師なのだ。

お金?名誉?人気?愛してくれる人たち?

それらが無いから幸福ではない・・と、パブロフの犬のように、

子供のころから条件づけられてきたことに・・気づけるだろうか?

 

「あの人のようになれ、あの人偉くなったわよ、随分お金持ちだよ、

あの方大企業の社長さんなんだって、お役人様待遇が違うね・・」

 

ハッキリ・・断言しよう。

彼らは絶対に幸福ではない。

なぜならば、幸福ではないから・・努力も、嘘も、騙しも使って、

必死に幸福になろうとしているからである。

 

しかしながら、ある人はこう言うかもしれない。

 

そうは言うけどね、

「何の努力もしないで幸福になれるわけはない。」・・と。

そう、そう、その通りと・・思ってしまう。

努力をして・・・⇒初めて・・ 幸福になる・・

こういうことを言っている。

そうであれば、

はしゃいで遊ぶ子供たちは・・幸福ではないのか?

家族同様のペットたちは不幸なのか?

いいやどう見ても不幸には見えない。

 

何かが変だと気付かないだろうか?

・・・

幸福は・・すでにある・在るものであり、

何かを獲得して得られるものではないということだ。

あなたが変身すれば成るものでもない。

大勢が同じ行動をすれば得られるものでもない。

 

実は・・幸福は・・すでに在るものであることに、

気付くべきなのである。

 

幸福であることに気付くこと・・

それを「実感する」ことである。

実は・・・努力は・・ここに集約しなければならない。

すでに幸福である・・と実感・するのだ。

 

実感することで、

いつまでたっても実感できない・・幸福が現れるのである。

・・・・

ここは多分、意味不明の方もいるかもしれない。

なぜなら、

いままで、、不幸の再生産マトリクスの中で、

随分とお騙し絵ばかりを見せられてきたかたらだ。

 

「何の努力もしないで幸福になれるわけはない。」

努力をして・・・⇒初めて・・ 幸福になる・・

その努力とは、

地位や名誉やお金や財産、見栄えや評判・・の獲得努力。

その全ては・・儚く消えるものばかりではないか!

それは・・幸福ではなく、

単なる一時の「創造されたもの」なのである。

 

真我は・・存在・意識・至福である。

創造物の中には幸せはなく・・、

創造そのものが・・幸福なのである。

 

 

幸福であることに気付くこと・・

それを「実感する」ことである。

実は・・・努力は・・ここに集約しなければならない。

すでに幸福である・・と実感・するのだ。

それが・・幸福の創造の・・元にある。

 

だから、何を置いても、

わたしは・・幸せであると・・実感しなければならない。

 

この実感が・・創造のパワーなのである。

既にそうである・・・こと、

これは頭で考え、すぐに忘れることではなく、

実感・・・をすることだ。

 

わたしたちは、繰り返し、繰り返し、

外の世界の虚偽のマインドに幻惑されてきた。

そして、大体いつも・・幸福でない状況を造りあげてきた。

 

であれば、

繰り返し・繰り返し・・幸福を・・実感することで、

 

大体・いつも幸せである状況を創り上げようか。

 

3次元的観念世界の普通のマインドの働きは、

考えて、想起して、そして忘れることだが、

それを超えた次元世界においては、

そのマインドを使って、感情という実感を使って、

本来望むあり様を・・自らで起動・創造することになる。

 

幸福であることに気付くこと・・

それを「実感する」ことである。

実は・・・努力は・・ここに集約しなければならない。

すでに幸福である・・と実感・するのだ。

それが・・幸福の創造の・・元にある。

 

単なる気の利いたスピリチュアル話でもなく、

そうなら楽しいなと思うような、寓話やたとえ話でもなく、

 

全てであり、全ての背後にある・・意識・・

その意識の派生した想念・マインドでの創造の方法である。

 

 

実感することが創造という・・

新たな生き方・・公式の話である。

 

・・・・・

 

意識の焦点化した先に・・知覚が起きる。

人間本来、そう私たちは皆・・そういう創造を行う者たちなのだ。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。