気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(29)転生の仕組み 自然の理

2021-12-02 07:18:17 | 意識の科学(総合編)

高みから低みへ流れるのがエネルギーだ。

上空から地上へ物が落ちるのは、重力のせいだが、

物は重力エネルギーが高いところから低いところへ移動するということだ。

物質の運動は、高いエネルギーから低みへと展開する「姿」を現している。

物質はエネルギーそのものというのは有名なアインシュタインの発見だ。

 

E(エネルギ)=MC^2(質量kg×光速の2乗)

そしてエネルギーは保存される、保存とは・・消えないで続いてゆくことだ。

それがエネルギーの基本性質である。

でもそれ、エネルギー自体は目には見えない。

目に見える物質は・・物質だが・・エネルギーの顕現したものであり、

エネルギー自体ではない。

 

エネルギーは、物質になり振動になり、温度に変換され音にもなる・・

そういう物理現象の背後にある・それらの元になる・・・普遍的な・・何かとされている、それがエネルギーであり、

そのエネルギーは保存され、様々な運動や振動として連続して伝わる。

エネルギーが保存しながら様々な現象に転化して行き、

空中に放散したならば、その物質、形態、現象は消えてなくなるけれども、

エネルギーは空中に保存されているのである。

エネルギー自体は・・・決して消滅せず、保存されるのだ。

現代科学では・・これは基本中の基本・・常識である。

・・・

さて、人間の転生に関しても同じことなのだ。

転生するとは、「魂」が・・次へ転がって生き続ける・・意味であれば、

「魂」自体は・・目には見えないエネルギーに相当することがわかるだろう。

自然界・宇宙の仕組みはフラクタル(相現象)でシンプルなことを知っている人であれば、

魂を、普遍的なエネルギーと捉えることは十分可能ではなかろうか。

それは消えることなく、保存され次々と展開するものであることが、大自然の理から見て・・当然のことだと気付けるだろう。

 

ここまでは、地球上での一般的な概念で話をしているわけだが、

転生をする主体としての「魂」が、

自然界の物理的諸現象の原因・元にあるエネルギーと、

同じ働きを持つものであると理解することが重要だということだ。

 

 

・・・

 

エネルギー・・諸現象の背後にある、原因としてのエネルギー、

魂・・・人生の諸経験の、背後にある原因としての魂、

簡単に言えば、

転生の主体である・・魂が・・エネルギーと同一の仕組みであり、

それは保存されて、別の形態(人生)に転化する・・・。

つまり生まれかわり、転生が存在する・・という仕組み(法則)だ。

 

「あんたその物的証拠はあるのか?・・・」

そういうことを言いたい人もいるだろう。

たいそうなことを言うが、証拠は・・?なんだ・・・である。

・・

しかしながら、

物的証拠を求める気持ちはわかるが、物を用意しても証拠にならない。

その現象を説明する背後にあるもの(法則)なので、

目に見えない物を、その人の前に提示したりすることはできない。

 

つまり、

自分で経験する以上の・・証拠はないのである!

そして、今あなたが生きて在る・・ことがその証拠である。

だからこそ、自分自身を知ることが大事なのだ。

 

・・・

その転生があるからこそ・・今ここに、この次元世界に、

生まれ、そして存在しているということなのだ。

あなたもわたしも、一回ポッキリ、単発のインパルスのような

偶然起きた・・刹那的な存在ではなく、

 

一連の転生ストリーム、転換し続ける生命表現のサイクル(波)そのものであるという事なのである。

 

従って、その・・人生を送っている・・それそれの・・わたし・・

自己自身を探求する以外に道はないということだ。

 

・・・

このブログをご愛読の方はそうではないだろうが、

たまたまある人は、よぎる想いがあるかもしれない、

「そうは言うけど、証拠が無ければ・・・ねえ、・・(疑笑)」

 

つまり、他者にその証拠を・・求めている、

誰かがその証拠を見せてくれることを待っている・・・。

というよりも、証拠が無ければ嘘に決まっている・・としたいところだ。

例えばそうならば、・・・

それって、おかしいんじゃないの?・・・

ということにもなるのだが、余計なお世話だろうか。

また、もうすでに、

そういう時代ではなくなりつつあることに気付けるだろうか。

 

 

(つづく)

例えば、映画を見る場合には、

親に連れられ、嫌々嫌いな映画を観ることもあるかもしれないが、

大人になれば誰も皆、自分で決めているはずである。

同じように、

どのような人生かも、最終的には自分で決めているのである。

ここで言う 自分とは、人生の因である魂のことだ。

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。