あなたがある夢をみた。
次に日には別の夢をみた。
それぞれの夢の内容・物語はなんとなく漠然としているだろう。
漠然としてはいるが、
その夢をみている「わたし」には気付いている。
誰か、他人様がみているわけではない。
それがどのような夢の物語であっても、
わたし・・という意識がそこにある。
色々な夢に気付いている‥主体は・・
つねに・・わたし・・ひとつ・・である。
観られる対象(夢・世界・肉体)ではなく、
対象を観ている者が・・・変わらない‥普遍のものである。
また観ること・・に永遠に気付いている者が
・・真のわたし・・真我だ。
起きては消えるという・・時間軸を超えているため、
永遠というしかない。
無数の人生を経験する者を
様ざまな人生を観ている者を・魂という。
仮に1回だけの人生で終わり・・というならば、
それは魂ではない。
それがこの世独特の大きな、真っ赤な嘘であることがわかるだろう。
現に今・・あなたは人生を観つつ経験している。
あなたは様々な事象に既に気づいている、
それは絶対に間違いがないはずだ。
夢を観ていようが現実に没入していようが、
ウソと誤魔化しで固められたマインドの迷路にいようが、
ウソだろうが・真実だろうが・・騙されていようが、
”意識がある”こと
・・・・気づいているではないか!
観ている当の者は・・観られている対象そのものではない。
あなたがみかんを見ているとして、
あなたはみかんそのものではないと同じことだ。
夢や現実という、観ているその物語は、
それが如何に詳細・意味深いものであっても、
”あなた”そのものではないということである。
今生きている現実という、実に広大で複雑な世界も、
あなたが気づいていて、肉体で知覚し、マインドで認識し、
とんでもなく意味深そうでかつ深刻であっても、
それはあなたという意識が観ているものである。
・・
それはあなた自身ではない。
あなたは気付きの集合体・・意識であり、
意識によって・・”観られているもの”ではない。
観られている対象としての世界は、
意識の言わば光(波動)によって、
時空というスクリーン上に展開される物語に過ぎない。
あなたである神は、
すなわち気付きの集合体としての無限の意識は、
いわゆる神・根源であるがゆえに・・
その物語の中に入り込んでそれを自らのものとして経験できる。
そのさまざまな物語のフレーム、仕組み、基本的あり様のことを
次元の多様性といって良い。
その中でも最も物質的な世界が、地球のような3次元世界である。
物質的であるがゆえに、
マインド、精神・意識という、
高次元的レベルから離隔したあり様となる。
・・・
それが今までのこの地球という、
今では小さくなってしまった、3元的時空認識の世界である。
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