転生するのは「魂」と呼ばれるものだ。
当然ながら、肉体が転生するのではないことは明らかだ。
肉体が消滅しても、魂が残され持続されることを「転生」といっている。
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それは例えばパソコン(ハードウエア本体)とプログラム・データ(ソフトウエア)の関係のようでもある。
多分パソコンや端末機器などを使う人ならば、
誰でも経験しているはずだが、
パソコンが壊れたら、また新しいパソコンを購入して使う。
その際に、
以前に使っていた様々なデータファイル(記憶情報)を再びインストールすれば、
新しい別のパソコンでも、以前と同じような動作を再現することが出来る。
パソコンや携帯端末などの機器・機種が違っても、
以前と同様の働きを再現・続行することが出来るのである。
人によっては、何度も経験しているのではないだろうか。
パソコンや端末の本体とは違い、記憶され移植される”プログラム・データ”は、ほんの小さなUSBメモリなどに記憶できるデータ・信号である。
つまり、記憶・情報ということになる。
これは本体機器・ボディとは本質的に違うことがわかるだろう。
片や大きさや重さをもつ「物質ボディ」であり、片や物質的とは言えない・・いくらでも小さく記録可能な「記憶・情報」なのだ。
・・・
「肉体ボディ」は物体としての機能であり、「プログラム」はそれをどのように活動させるかという機能を生み出すものである。
これは肉体とマインドとの関係でもある。
通常は、肉体とマインドは混然一体となっているように感じているため、
それを一緒のもの、あるいはすべて肉体の機能であると考えがちである。
しかしながら、
よくよく自己観察が出来るならば、
肉体とマインドは違うカテゴリー、あるいは次元に属していると知ることになる。
機器本体(ボディ)と、それを動かすプログラム・データは本質的に違うカテゴリーであり、
これが「肉体」と「魂」との関係に似ていることがわかる。
肉体(機体)は1回だけであるが、魂は持続・再現可能なものだ。
また、再現するためには「記憶」が必要である。
したがって、転生は「記憶」の持続が必要なのである。
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しかしながら、
「魂」という概念をどういう風に意味づけるかによるが、
魂を、人の存在としての”本質・根幹・原因”としてとらえた場合には、
魂は記憶そのものというわけだはなく、転生・進化する魂の一部には必然的に、様々な「記憶」が二次的に付随しているという事である。
あなたが人間として生まれた・・ということは、
既に、人間経験をするべくして生まれた、
持続することを可能とする、つまり経験・記憶があるからなのである。
あなたが、今生きて在る・・ということは、
かつても、生きて在った・・ということを意味するのだ!
今・・在るというは・・・過去も未来も・・在るということだ。
つまり、転生する「魂」には、様々ないわゆる過去生の経験や体験の「記憶」も付随しているということだ。
そうであるがゆえに、転生するたびに、魂の記憶が増大しつつ結果的に進化するのである。
例えば、
幼稚園生と小学生はその経験と記憶、それを活かす選択肢や行動・表現も違うのである。
ところが、
転生をするのに、どんな情報も持たず、一回一回記憶を持たず、毎回毎回ゼロからの立上げであれば、それは「転生」とは言わない。
わたし・・人間、いつも初めてです・・みたいなものである。
この世界は、まるでそんな信念が主流になっていたであろう。
あなたもそういう風潮の中で生まれて来たのではないか。
人間は知的な動物であって、偶然生まれ・そして死んだら土に還る。
それは肉体を見てそう言っているだけである。
われわれは、まるでパソコンの進化の仕組みにも劣る・・
一回ぽっきりの単なる機械体(肉体)である・・
などというような・・??
一体全体・・どんなに無知で無明な世界だったのか?
なるほど、
そういう観念的閉鎖世界に生きていたということは、
これまた奇跡と言わねばなるまい。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
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