気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

(41)意識は光源、世界は投影

2020-10-19 11:15:48 | 意識の科学

何度も言うが、最も基本的なことなので、何を言っているのかわからないかもしれない。

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わたしが生まれる前に・・しっかり世界や宇宙はあった。

あなたはそう言うはずだ。

わたしは確かに赤ん坊で生まれてから、その後で、

この世界に気づいたことはわかる。

でも、その前にこの世界は絶対あったのだと・・そう思っている。

 

なぜならば、

親や社会や世界の人々の、歴史や記憶や記録があるからだ。

世界があったから、その膨大な記録があるということ。

これは絶対にその通りだと・・思っている。

 

思うって?あんた・・・いい加減にしなさいよ、・・世界はあったんだから。

そういう声が聞こえそうだが・・。

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しかしながら、よくよく考えてみると・・・、

その記憶・記録・歴史、伝承、親や周囲の人の昔話、経験談話も、

・・・あなたが・・見聞きして来たことである。

 

もし、あなたに・・”意識” 気づくということ” がなければ・・

一体全体・・あなたにとって・・この世界や宇宙のことを知り得るだろうか?

 

何の話をしているのか・・ついて来れている?

 

人は何百年、何千年という月日を生きてきたわけではない。

あなたが生まれる前に、ほかの大勢の人がいた、膨大な歴史があったというのは・・あなたが生まれて来た後で・・見て聴いてわかったことなのだ。

全ての記録・歴史は、羊皮紙だろうと口伝だろうと電子文書だろうと、あくまでも人々の伝承・記録・情報なのである。

言い換えれば、

その歴史・伝承・記録が正しいとか事実だとか嘘が多いとか、主観的だとか客観的だとか言うけれども、それらはすべて人の見聞きした・知覚したこと、関連する思いの記録なのである。

その伝承・記憶を・・・あなたが今・・アクセスしているということだ。

皆よく知っているように、アクセスしなければ、ファイルもDVD映画さえも観ることはできない。

今、アクセスしている・・意識的に気づいている・・である。

 

過去はあったかどうかわからないが、今、その記憶があることに気づいている。

別に多くの人の言い分、記憶、記録を疑うわけではないが、

今・・気づいているからこそ・・その過去の記憶、歴史も知覚することができる。

 

・・

同じく、

「事物」がそこにあったかどうか、

「事物」を ”知覚”するまで・・決してわからない。

 

人にとって、

知覚とは・・五感であろうと六感であろうと、「気づく」ことである。

意識する・・気付くことなく・・「事物」は存在し得ないのである。

 

これを言い換えれば、

意識があるからこそ「事物」があるということだ。

事物が勝手にそこにある・・なんてことは無い。

誰が・・そこにあると・・気づいているのか?

 

「事物」とは、ものごと・環境・物質・出来事・・世界、宇宙である。

事物は・近くにある物や環境、出来事ばかりではなく、

いかに小さかろうと、膨大であろうと、複雑であろうと、

自然環境や世界であろうと、宇宙であろうと同じことなのである。

 

あなたという意識が・・それに気づかなければ・・

 

それは、あなたにとって存在しないのである。

そして、

自然環境、肉体、頭脳も・・・、知覚される事物・物質形態に相違ない。

これにひきかえ、

意識は・・働きであって・・身体や頭脳の中のどこか?・・ではない。

また・・働きは・・機能・動き・エネルギーの意味がある。

エネルギーはまた波動でもあり、エネルギーは様々な物質にもなるものだ。

 

意識は・・科学的にかつ直感的にわかりやすく言えば、

マインド・物質・素粒子よりもさらに細かい超微細・精妙な「波動」である。

また、

意識は・・光源(根源波動)であり・・世界はその投影(波動諸現象)である。

したがって、すべての対象物やそれらの記憶も、意識の投影物ということである。

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最も身近なことであるが、

あなたが24時間中、何時間か眠っているときがあるだろう。

その、あなたが眠っているとき、特に熟睡しているときに「意識」は無いというが、

それは、意識が何も知覚していない状態、いわば空(くう)であると言える。

しかし、決して「無」ではない。

なぜならば・・無意識からまた目覚めるからだ。

無は、永遠に無であるから、再びも、三度も目覚めることはない。

でも、あなたは毎日目覚める、

つまり何度も眠り(無意識)、また目覚める(有意識)を繰り返す。

だから・・熟睡は、

意識がない?といえども、無ではなく空(くう)であるというのだ。

 

熟睡中・・空(くう)は意識が無いのではなく、

意識を波動とした場合、無限小の意識の波の状態であるといえよう。

科学的に言えば・・空(くう)は、

ゼロでも無でもなく、波動の最小「基底状態」ともいえる。

 

無限小の意識の波・・これは、空(くう)に最初に起きた・・、

神の目覚め、原初の波動・根源意識なのである。

そこからすべてが現れる・・元の元のことだ。

 

全ての元の元の・・根源、魂・・真我・・、いわば・・無限なる空(くう)

そこに最初に起きた原初の波動、微細・精妙な極限波動が、

様々な周波数・振幅・位相において変調展開して、

その波動の無数の織り込み、組み合わせで世界が投影されている。

 

これは、例えば映画、光源から放射される動画像の知覚の仕組みと同様である。

 

あなたの周りの環境世界、地球・宇宙もその投影像(波動)である。

あなたの肉体も投影像(波動)であって、

肉体と環境を含む、様々な投影像(波動)の交差、共鳴・反発などという波動間の諸反応が「知覚」として時空間上に投影結実されている。

時間空間上に・・物事として結実されているように観察されるともいえよう。

でも、その時空間とは・・光源波動の・・結実された像の集合なのである。

 

ややこしい表現だと感じるかもしれないが、

簡単に言えば、

あなたの「意識」が・・超微細な根源波動つまり「光源」であって・・

その無数の展開する写像の集合、環境・時空間と称する結実像の集合が、

世界、さらには宇宙なのだということだ。

 

したがって、世界や宇宙、物理的事象が先にあって、

それに気づく「意識」が・・後で出てくるということは、

映し出す本源・光源が・・事象・現象から出てくるというような、

いわば、結果と原因が逆になったお笑い世界、

そっくり、ひっくり返った世界観であると云うことなのである。

 

「事物」がそこにあったかどうか、

「事物」を ”知覚”するまで・・決してわからない。

 

知覚とは・・五感であろうと六感であろうと、「気づく」ことである。

意識する・・気付くことなく・・「事物」は存在し得ないのである。

 

意識に先立って・・事物・現象・肉体・世界は存在し得ない。

 

覚醒の巨人とも言われた、

かのニサルガダッタ・マハラジは、探求者に何度も何度も話したと言われる。

人の最も大きな罪は何かといえば、

自分が死すべき肉体であると信じていることだ・・と、

そして、

わたしは在る・・という存在感は、至高の実在の反映であり、

それを真に理解する、真我を実現するためには、

・・わたしは在る・・に深く深く入っていくべきだ・・・・と。