何度も言うが、最も基本的なことなので、何を言っているのかわからないかもしれない。
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わたしが生まれる前に・・しっかり世界や宇宙はあった。
あなたはそう言うはずだ。
わたしは確かに赤ん坊で生まれてから、その後で、
この世界に気づいたことはわかる。
でも、その前にこの世界は絶対あったのだと・・そう思っている。
なぜならば、
親や社会や世界の人々の、歴史や記憶や記録があるからだ。
世界があったから、その膨大な記録があるということ。
これは絶対にその通りだと・・思っている。
思うって?あんた・・・いい加減にしなさいよ、・・世界はあったんだから。
そういう声が聞こえそうだが・・。
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しかしながら、よくよく考えてみると・・・、
その記憶・記録・歴史、伝承、親や周囲の人の昔話、経験談話も、
・・・あなたが・・見聞きして来たことである。
もし、あなたに・・”意識” 気づくということ” がなければ・・
一体全体・・あなたにとって・・この世界や宇宙のことを知り得るだろうか?
何の話をしているのか・・ついて来れている?
人は何百年、何千年という月日を生きてきたわけではない。
あなたが生まれる前に、ほかの大勢の人がいた、膨大な歴史があったというのは・・あなたが生まれて来た後で・・見て聴いてわかったことなのだ。
全ての記録・歴史は、羊皮紙だろうと口伝だろうと電子文書だろうと、あくまでも人々の伝承・記録・情報なのである。
言い換えれば、
その歴史・伝承・記録が正しいとか事実だとか嘘が多いとか、主観的だとか客観的だとか言うけれども、それらはすべて人の見聞きした・知覚したこと、関連する思いの記録なのである。
その伝承・記憶を・・・あなたが今・・アクセスしているということだ。
皆よく知っているように、アクセスしなければ、ファイルもDVD映画さえも観ることはできない。
今、アクセスしている・・意識的に気づいている・・である。
過去はあったかどうかわからないが、今、その記憶があることに気づいている。
別に多くの人の言い分、記憶、記録を疑うわけではないが、
今・・気づいているからこそ・・その過去の記憶、歴史も知覚することができる。
・・
同じく、
「事物」がそこにあったかどうか、
「事物」を ”知覚”するまで・・決してわからない。
人にとって、
知覚とは・・五感であろうと六感であろうと、「気づく」ことである。
意識する・・気付くことなく・・「事物」は存在し得ないのである。
これを言い換えれば、
意識があるからこそ「事物」があるということだ。
事物が勝手にそこにある・・なんてことは無い。
誰が・・そこにあると・・気づいているのか?
「事物」とは、ものごと・環境・物質・出来事・・世界、宇宙である。
事物は・近くにある物や環境、出来事ばかりではなく、
いかに小さかろうと、膨大であろうと、複雑であろうと、
自然環境や世界であろうと、宇宙であろうと同じことなのである。
あなたという意識が・・それに気づかなければ・・
それは、あなたにとって存在しないのである。
そして、
自然環境、肉体、頭脳も・・・、知覚される事物・物質形態に相違ない。
これにひきかえ、
意識は・・働きであって・・身体や頭脳の中のどこか?・・ではない。
また・・働きは・・機能・動き・エネルギーの意味がある。
エネルギーはまた波動でもあり、エネルギーは様々な物質にもなるものだ。
意識は・・科学的にかつ直感的にわかりやすく言えば、
マインド・物質・素粒子よりもさらに細かい超微細・精妙な「波動」である。
また、
意識は・・光源(根源波動)であり・・世界はその投影(波動諸現象)である。
したがって、すべての対象物やそれらの記憶も、意識の投影物ということである。
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最も身近なことであるが、
あなたが24時間中、何時間か眠っているときがあるだろう。
その、あなたが眠っているとき、特に熟睡しているときに「意識」は無いというが、
それは、意識が何も知覚していない状態、いわば空(くう)であると言える。
しかし、決して「無」ではない。
なぜならば・・無意識からまた目覚めるからだ。
無は、永遠に無であるから、再びも、三度も目覚めることはない。
でも、あなたは毎日目覚める、
つまり何度も眠り(無意識)、また目覚める(有意識)を繰り返す。
だから・・熟睡は、
意識がない?といえども、無ではなく空(くう)であるというのだ。
熟睡中・・空(くう)は意識が無いのではなく、
意識を波動とした場合、無限小の意識の波の状態であるといえよう。
科学的に言えば・・空(くう)は、
ゼロでも無でもなく、波動の最小「基底状態」ともいえる。
無限小の意識の波・・これは、空(くう)に最初に起きた・・、
神の目覚め、原初の波動・根源意識なのである。
そこからすべてが現れる・・元の元のことだ。
全ての元の元の・・根源、魂・・真我・・、いわば・・無限なる空(くう)
そこに最初に起きた原初の波動、微細・精妙な極限波動が、
様々な周波数・振幅・位相において変調展開して、
その波動の無数の織り込み、組み合わせで世界が投影されている。
これは、例えば映画、光源から放射される動画像の知覚の仕組みと同様である。
あなたの周りの環境世界、地球・宇宙もその投影像(波動)である。
あなたの肉体も投影像(波動)であって、
肉体と環境を含む、様々な投影像(波動)の交差、共鳴・反発などという波動間の諸反応が「知覚」として時空間上に投影結実されている。
時間空間上に・・物事として結実されているように観察されるともいえよう。
でも、その時空間とは・・光源波動の・・結実された像の集合なのである。
ややこしい表現だと感じるかもしれないが、
簡単に言えば、
あなたの「意識」が・・超微細な根源波動つまり「光源」であって・・
その無数の展開する写像の集合、環境・時空間と称する結実像の集合が、
世界、さらには宇宙なのだということだ。
したがって、世界や宇宙、物理的事象が先にあって、
それに気づく「意識」が・・後で出てくるということは、
映し出す本源・光源が・・事象・現象から出てくるというような、
いわば、結果と原因が逆になったお笑い世界、
そっくり、ひっくり返った世界観であると云うことなのである。
「事物」がそこにあったかどうか、
「事物」を ”知覚”するまで・・決してわからない。
知覚とは・・五感であろうと六感であろうと、「気づく」ことである。
意識する・・気付くことなく・・「事物」は存在し得ないのである。
意識に先立って・・事物・現象・肉体・世界は存在し得ない。
覚醒の巨人とも言われた、
かのニサルガダッタ・マハラジは、探求者に何度も何度も話したと言われる。
人の最も大きな罪は何かといえば、
自分が死すべき肉体であると信じていることだ・・と、
そして、
わたしは在る・・という存在感は、至高の実在の反映であり、
それを真に理解する、真我を実現するためには、
・・わたしは在る・・に深く深く入っていくべきだ・・・・と。