気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

悟りの道標(23)見牛・・ マインド発見!

2016-09-20 06:30:35 | 人間とは何か
(尋牛)わたしとは何か・・人生とは何か・・という疑問が生じ
(見跡)生活の合間で何かの糸口がつかめそうな感覚が生じる。

現状に甘んじながらも、それを全てとすることなく、
どこかで何かの真実を探す感覚を持っている人々は、
尋ねること、疑問、問いかけを意識に消すことなく持続しているわけで、
したがって、疑問や苦痛や、虚飾だらけの世界の中において、
おー、これは・・という感動を人生で味わうことができる人である。
人生の「味」を感じることができる人である。

多くのまじめな人々がまさにそうである。
あなたもそうではないか。





牛というのは古代は、牛は強い力を持った身近な動物で、
扱い方によっては人間に役立ってくれる存在であった。
そう、牛とは農耕作業や荷物運搬に使うほど身近なパワフルな存在という意味である。

したがって、禅の悟りの道標に・・どうして「牛」なのかといえば、
それが実にパワーのある、身近で親身な存在であることからきているのだ。



そのパワーとは何か?・・すでに気づいているように、
それはマインド、こころ、思考という精神の働きのことである。

牛とは、人生の道で、あなたをどこへでも運んでゆくパワーを意味しているのである。
あなたがそう思って、そう表現し、行為しなければ何も生じない。
決意、決心、あるいは日常に起きる軽い意図さえも、
常に何かを生じさせるのである。



そう、マインドがすべてを創り出しているのだ。

なんでもかんでも、人の在り方の方向性はマインドで決まるのだということ。
お金でも地位でも、獲得した栄冠でもない。
それらはすべてマインドの求めた結果、現象でしかなく、
やがてはすぐにも消えてゆく幻想なのである。

見牛・・は、不十分ながらも、そのマインドの姿を発見したということである。
・・・
世の中に五万と流れている宣伝や洗脳、政治のプロパガンダ、学校の偏向教育さえも、
このマインドを操り、方向づけするためのものだということも、
すでに気づいていることだろう。


牛の姿をようやく垣間見たこと、
これは・・それぞれのわたしの・・
マインド・思考、の何たるかを垣間見たということである。

あなたはもう、それを見たはずである。

これが・・「見牛」  だ。