予定していた真空エネルギーの話のはずが、書いているうちになんだかこんな記事になってしまった。
・・
でも何かありそうかもしれないので、取りあえずそういう記事を間に挟むことにしよう。
・・・・
現代の文明社会は大きな壁にぶち当たっているのを知っているだろう。
ましてやそれが壁なら良いが、実のところそれは急勾配の崖のようなものである。
それって、いったい何を言っているのだろうか。
往々にして、我々が目先の生活だけに焦点を合わせ、その中をいかに泳ぐかだけを考えている場合は、観察視点を自らで狭く、低く設定しているために、マクロ的な現象を観ることが難しいかもしれない。
狭い視野の内にあっては、当然ながら大きな変化もそれを感じることが出来ない場合があるのだ。
え、?大きな変化だって・・、以前とそう変わっていないじゃないか・・としか感じないかもしれない。
世界は今どういう状況か、すでに察している人々もいるし、また相変わらず忘却の中で眠っている人々もいる。
しかしながら、実のところは現文明は、あるいは物質偏重文明と言おうか、それは危急存亡の淵にあるという事に気づけるかもしれない。
しかしながら危急存亡と言っても、それは悪いことではない。
そう、今の世界情勢は、まるで、いつでも、すぐにでも崩壊する状態にある・・・ということであり、また昨今は明らかにガラガラという崩壊の音が聞こえる段階になってきた。
・・・あなたには聞こえないだろうか。
なるほど気のせいかもしれないが、どうも聞こえるよう?なので、それもまた仕方がないかもしれない。
多くの人びとは「それ」に気づいていないようだし、逆に気づいている人も結構いるのだが、それでも現状にどこか満足な思いがあれば、そんなことあったとしても、一時のプロセス変化であるとしか見ていないかもしれない。
残念ながらというか、なんというか、すでに現代文明の屋形は加速度をつけて傾いてきており、あと何かの切っ掛けさえあれば、あちらこちらで奈落の崖に転落する寸前まで来ていると思われるのだ。
しかしながら、この崩壊と見えるものは、実のところまるで「生まれ変わり」のようなものだと考えるべきものかもしれないし、また根本的なリニューアルというべきものかもしれない。
要は、古きものが壊れ、新しきものが生まれてくるということだ。それも根本的に質の違うものへの転換のようなものだ。
それは新しい文明の勃興ともいえるだろうが、決して悠長でお気楽なものでもなく、また今までの延長でことが済むものでもない。
・・・
地球という生態系、ガイアにとってその循環生命系の中での、頭脳ともいえる人類は、
今までのように病んだ有り方、つまり地球という身体を壊し汚染し、
また他の細胞を無軌道に殺して、
自分たちだけが生き残るだけのエゴ的なあり方、
そして今はもうお先真っ暗の末期症状を示しているこの文明から
大きく、大きく転換しなけらばならないということである。
ここで文明の勃興等という表現をするが、ある側面では人間が病から健康体へと転換することと似たようなものだ。
それは何か喜ばしい、さらに物の豊かな状態へ移行するということではなく、まず本来当たり前の有り方に戻るという表現の方が適切であろう。
「病は気から」というのは単なる例えではなく、気とは、思いのパターンであり、想いは見えないけれども見える病に転化する確実な意識要因であり、これが転換せざれば、決して快方には向かわないだろう。
ことは地球規模の不自然な状態、つまり人間が作り出した病のようなものであるからして、安易にクスりを飲めば治るというようなものでもなく、また現状維持で様子見という悠長な状態でもないのは誰でもわかるはずである。
ましてや、札束を市中に流せば済むという次元の話でもない。
古い想いの集積した世界は既に転換点を超え、いつ何時何が起きるかわからない微妙な状況に来ているということは、
優しい表現で云えば、つまり今までの考え方、やり方が飽和してしまったということでもある。
飽和しているからこそ、経済においても外への拡張がこれ以上有効性を生じず、逆に様々な火種が生じ、国や組織間の軋轢や、世界的な金づまり、金融資産の合法的な簒奪や、ことさら借財を増やそうとする算段でしかない増税などが出てきているのだ。
領土や海洋資源の簒奪意図、様々な国家の財政の破たん寸前の状態、キプロスでの預金封鎖やこれから始まる合法的な収奪は、金だらけの世界ネット、金融伽藍の崩壊の予兆以外の何ものもないだろう。
メジャーと言われる表面ずらだけ良いメディアによって、そういう報道が出ざるを得ないような状況をみれば、もうそれは古い世界の終わりに来ているという傍証でもあろう。
なるほど、転んでも唯では起きないような欲得観念の発達した者たちは、こういう状況においてもさらなる優位性を確保しようと、陰謀や権謀を駆使しているようであるが、結局のところ、そういう何かありそうな人工的なうごめき自体は、決して事の本質ではなく、今生起しつつある一大変化による単なる影響の1つであると考えた方が良い。
・・・
既にもう、地球という1つの生態系、閉鎖系の中においては、環境汚染や人心荒廃とセットになった経済成長という人類的信仰をこれ以上進めることは実質上不可能なレベルに来たという事もできる。
すでにマージン、遊び分、余裕分がなくなったということでもある。
それに気づかず、相変わらずダメ押しのようなばらまきと収奪のセットになった経済政策をとっている国々や企業もあるのだが、実際のところ、これからの世界情勢ではすぐに大きな付けが回ってくるのだ。
それは、思考と行為とその結果、種蒔きと刈り取りの因果のサイクルが短縮してきたとも言えようか。
よく時間が短くなった等と言われるが実際にそうなのである。
一般に、「時間」とは現象の変化率で定義されるものであり、その変化率が縮小したということは、因果のサイクルが早まったともいえるのである。
また時間が早くなったと感じる人達は、潜在意識下でそういう原因と結果に関する認識度が向上しているがゆえに、感覚としての時間の短縮を、実際に感じているのである。
単なる気のせいではないということだ。
それはまた、今までのカルマを返す時期に来たということでもある。
・・
人々の意識が集中しているところの金融・経済において、いままでのような経済拡張、産業成長による利益創出では間に合わなくなり、鵜の目鷹の目でお互いの富を狙うやり方が主流になって来ていることに気づけるだろうか。
要は、合法的な形式の、あからさまな簒奪、収奪が始まっているとうことだ。
いずれにしても、契約でしばられた世界は終わりを告げるだろうし、溜まった借財は返済されることになるだろうし、また今まで隠されていた事実が表に顕れざるを得ないだろうし、国家間や人々の間の歪も、何らかの現象として解放せざるを得なくなった時期にきたという事かも知れない。
しかしながら、これから何が起きようと、結果でしかない現象に翻弄されることはない。
それが過ぎ行くさまを、しっかり観ることが出来るかどうかである。
多分、もう準備はできていることだろう。
そう、やがて春から夏、そして秋にかけて季節外れの嵐が来るかもしれない。
少なくとも色々な揺れが次第に激しくなることだろう。
いずれにしても、いろいろな方面で波動の変化はすでに始まっているということだ。