日本においても確かに戦後レジームと言われるものはすでに終わったのである。
戦後を通じて陰に陽に維持されてきた様々な秩序、支配体制の基本形が既に崩れてしまったのだ。
社会形態、組織形態は未だ存続しているように見えるが、60有余年の歳月を経てその根幹のあり方がすでに終わりを迎えているのである。
1つには、現在起きている様々な想定外の事象に対し、どれにもまともに対応することの出来ない社会の体制や仕組みが否応なくクローズアップされたことで、今までの思考、古い体制、常識とされてきた観念体系の結果としての『虚偽性』が明らかになったという事でもある。
また国家負債はその限度を超えつつあり、また日本の国際収支もついに今季は赤字転落が濃厚であるし、原発事故は放置状態であり、また必死で増税をするような政府の台所事情のはずが、なぜかよその国の償還されることのない赤字国債を実に何十兆円も購入するという話もあるからして、まるで辻褄も合理性もうかがえない。
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不思議なことではあるものの、時を同じくして2011年前後からあらゆる古い仕組みが、あからさまに音を立てて崩れ去っていると思われるのだ。それは何も日本だけではなく、アメリカやヨーロッパも含めて世界的に言えることである。
最も容易にそれらを確認できるのは、人々がその意識を重点的に向けているお金経済、そして政治、あるいは社会で起きている様々な現象であるし、さらにそれと呼応しているかのような自然環境での顕著な異変である。
人間を取り巻く環境は、実に人間の想念、思考、感情という思念活動によって直接的、間接的に生起しているというのが筋であって、その逆ではないということを理解しなければ、今起きていることが何が何だかわかりようもない。
要は人類の意識がそのアンダーグラウンドにおいて大きく変わって来ているということである。
意識、想念は常に現象に先立つのである。
以下誰でも分る可能性のある表層の事象を上げてみると、
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日本周辺で起きた前代未聞の地震とそれに付随する福島原発事故も、現れた想定外の現象としては最も象徴的であると言えるかもしれない。
それらの現象の周囲から焙り出されたものは、有るはずで無かった原発の安全性、放射能に対する新たな危機認識、人工地震の可能性、電磁波集中照射による地殻の歪への関与、小型の核兵器使用の噂、そしてトリガーさえ与えればとてつもない変動に至るレベルにある地殻の動きや歪でもあるだろう。
福島の原発施設は、未だほとんど当時のままの姿形であり、炉心冷却を何とか維持することで延命を図るしかない有様である。施設全体を隔離したとか、使用済み核燃料を撤去したとか、当然当たり前のことがなぜか実施されていないのは、放射性物質を容易に扱う事の危険性と現状での人為的限界を如実に示している。
(広島の原爆ドーム)
未だに福島から毎日数億ベクレルとも言われる放射能汚染粒子が排出されているのを何かの気のせいにはできるわけもない。
何も手を打たないでいれば、そのうち風化し忘れ去られるとでも言うのだろうか。残念ながら出てきた放射性物質の多くがその減衰半減期が数十年~数万年なのである。未だにチョロダシならぬ垂れ流しというから実に凄まじい汚染の継続である。
復興に数十兆円かかるという試算から、政府はその後始末だけにお金を投入することの非採算性にビビッて出し惜しみをしているか、あるいはもう諦めているかのどちらかだろう。
これは原発の推進理由が既に終わっていることを示していないのか。
それでも経済効率性のため?に再稼働の動きがあるともされているが、噂される東海、東南海大地震の可能性とセットになったような今の情報錯綜等は、まさに混乱の極みにあるとでも言えよう。
既にわかってしまったように、放射性物質の本質的な制御も出来ず、事故の後始末も出来ず、放射性廃棄物の保管設備にも事欠き、実に膨大な資金を必要とする高コスト、高リスクな発電方法の、いったいどこに正当性があるのだろうか。
それとも、まだ何か有用な理由があるのだろうか。
いいやありはしない、・・・それは既に終わっているのだ。
残念ながら、過度の経済観念に汚染されていない子供達の方が良く分かっている。
なんとまた、それを再稼働する動きがあるというならば、それは決して許されざることであるし、それに気づかざる政治・行政も、既に終わっているということだ。
『 窮すれば通ず ・・・』ということわざがあるが、窮すること自体をごまかし、それを必死で回避しようとする今の政治経済的な行為からは、決して通ずる道は開けないだろう。
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昨今は日常でもメディアでも、太った米国人をほとんど見かけなくなったのは気のせいだろうか。数年前までは大体2人に1人の割合で太ったアメリカンという、良く言えば豊満な、悪く言えばブクブク肥え太ったイメージが当たり前であったし、それがまるで彼の国の豊かさを示しているような雰囲気を醸し出していたが、それらのイメージはいったい全体どこに行ったのだろうか。
リーマンショック後に急に民衆の困窮化が進み、全国で4000万人以上、約7人に1人がフードスタンプ(食糧配給券)を受けているというのは嘘ではなかったのだろう。
結局はあの経済学者ラビ・バトラの言ってきたような、自由競争のゲームセットの合図、すなわち貧富の差の増大が極限まで行ったのである。
なるほど生き残って肥え太った企業が競争しようにも、小金持ちの一般民衆という相手が少なくなっては経済ゲーム自体が終わりなのだ。
今アメリカという国体はその隠された巨額の経済損失という大きな穴の開いた身体に苦しみ、やむにやまれずその政治・経済・軍事規模を縮小しつつあり、またその縮小のために様々な種類の国内の締め付けが始まっているし、またそのように食糧配給の増えた国家が今までのように世界を引き付ける為の一大市場であるわけもないではないか。
要は、古きアメリカは既に終焉したということだ。
そこで新たに出てきたのが太平洋沿岸をブロック市場にしようとするTPP等であろう。
これは米国内市場の終焉に伴い、さらに拡大された市場を確保しようとする行為であるが、如何せん今までのアメリカのような余裕は微塵もなく、企業のなりふり構わぬ生き残りのための、あからさまな収奪主義が明白に謳われている。
いつものアメリカ発の、何か目新しい、何か良いことありそうな・・そんな仕組みであろうかというような、植えつけられた淡い期待イメージでそれに参加するならば、今の骨抜きの多くの日本の民は数年後には食糧配給券を受けることになるかもしれないということなのだろう。なるほど予想が簡単で笑う気にもなれはしない。
負け組の参加景品として手に入るなけなしの食料は、
「遺伝子組み換えでない」・・というラベルを張っていない・・リーゾナブル?で安い食糧ということかもしれない。
それにしても、一般民衆が困窮化して、いったい全体誰が企業の商品やサービスを購入するというのだろうか。
自由競争、グローバリズム、規制緩和などを象徴とする拡張型の金融経済資本主義も既に終わっていることに気づかなければならない。
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昨年末の衆院選挙に不正選挙疑惑が持ち上がっているのは有名な話である。現在、地域の違いによる票の格差の方面からも「違憲」であるという司法判断が出ているが、それよりもっと直接的な得票の操作に関する不正疑惑である。
選挙に不正?・・・まさか、そんなことやるはずがない・・という常識的な観念や期待を誰しも持っているわけだが、
先の大地震と驚天動地の原発事故による放射能の危険性の認知が民衆に行き渡り、これではいけないということで少なくとも「反原発の意識」によって多くの人が投票に参加した感があったのだが、
あにはからんや、いつの間にか原発を推進する党にすり替わっているような状態であり、これはどうもおかしいということになったわけであろう。・・・自分も含め、投票所に行った多くの有権者はそういう感覚があるはずだ。
前代未聞のM9という地震、それに伴う原発の国土や海洋の放射能汚染、じわじわと進む生物環境への侵食・・・・それが解決してもいないのに、いったいどこの国民が原発を是非にも続けて行きたいと主張するのだろうか?
普通に考えて、・・・・・あるわけもない。なるほど、これも想定外の人工事象なのであろうか。
往々にして政治には汚濁と疑惑はつきものなのは承知の上だが、ところがどっこい、とうとう主権者たる国民を騙してまでも事を進めようとするような『疑惑』が生じてしまっては、形ながらの民主主義も、それがすでに終わっているということになる。
国民の代表たる代議士を選定するための選挙、その選挙で生じた不正疑惑は、疑惑自体だけでも致命的なのである。金の貸し借りと同じようにそれが信用されなくなってはもう終わりなのだ。事はあなたやわたし達の知っている政治家たちは良い人だとか悪い人だとかの人情的な問題ではない。
そう、戦後創られ良くも悪くもアメリカナイズされた政治体制は、結局のところ金と欲によって・・・・既に終わってしまったのである。
問題は今有るべき本質的な変容に気づかず、脅しの種の核を温存しようとしたり、軍事によって国内外を締め付けるような動きに終始するならば、今起きている様々な天地のメッセージ・印に対して対応するわけでもなく、何かの変化に対して「恐怖」で反応する行為となってしまうことである。
卑近な例を挙げてきたが、マクロ的な俯瞰によって気づける肝心なところの1つは、
現在生起している様々な人為的、自然的な想定外の事象に対し、どれもまともに対応することの出来ない権威社会の体制や仕組みが、否応もなくクローズアップされたことによって、
今までの思考、古い体制、常識とされてきた観念体系の、結果としての『虚偽性』が明らかになってきたという事にある。
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地震や原発事故、また様々な人間社会の騒ぎによって観察できることは、
地殻の大きな変動を含むところの人為的、あるいは地球大自然の大きな動きに対して、それに気づかず、またそれに対応もしようとせず、旧態依然たる自己保身と身の安全の中に没入しつつ、大勢の他者の犠牲の上であぐらをかいているような人間達の、無知で高慢なエゴ的な姿も浮き上がってきたのではないだろうか。
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これらの事柄を含め、様々な人間世界の様々なイレギュラーな諸現象が目立ってきたのは、今までの古き観念とそれに基づいて構築された様々な制度、体制が、本質において既に終っているということでもあるし、また想定外の事象を含めて、新たな地球、宇宙規模の胎動がスタートしているということなのかもしれないのである。
昨今地上を覆う地殻プレートも活発に動き始めているようだし、その地殻の微妙な振動の蓄積による、あちらこちらの土地の陥没、シンクホールも、
そして我々のエネルギーの元である太陽の異変も観測機器の発達だけのせい、あるいは何かの観測間違いでもないはずである。
あるいはまたスピリチュアル系の懸念情報や観念的な大騒ぎで済ませられるものでもない。
多分・・・それらは<印>しるし、なのである。
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今までの資本主義や物質繁栄主義の結果的な虚偽性への気づきの問題等というだけではなく、それらを含んだ人類の古い価値観念自体が急速に変容しつつあるということでもあろう。
また人類は今までのような汚染垂れ流しのままでは存続が出来ないという直観が現実化してきていると同時に、色々な陰謀やら自作自演やら、古いマンガでよくあったような世界の支配やら、いずれにしても、何か大きな転換が差し迫っているということでもある。
それらの人為的、自然的異変事象の増加は、ここでいうところの一大転換のしるしなのだと云えるかもしれない。
それはまるで・・・煮込んだ鍋がブクブク沸騰してきたような、あるいはコップの水が溢れだしたような、パンツのゴムが切れてしまったような?、さなぎが蝶に変身しているような、嘘が人前でバレテ顔が真っ赤になったような・・・・自転車が脱輪して放り出されるような、・・・例えは変だが、要は何かが急変しているような、そんな感じではないだろうか。
しかしながら、その地球全体規模の変化あるいは「転換」とは、実のところ、単なる安易でお粗末なSF映画での物質的な一大爆発や世界の崩壊等という終末ではあり得ず、
それより実はもっとも苦しいかもしれないところの、
人類のこころの中で歪み切ったエゴの解消とその昇華に他ならないだろう。
分る人には分るけれども、世の中で変えることが最も難しいのは、ビルや建物、金やなどではなく、人の心・・内面なのだということだ。
様々な虚偽性から目覚めた人びとは、それがもっとも困難とも思えるところの、自らの想念の浄化と昇華を果たさねばならないはずである。
他者は自己の「鏡」のごとくに映りだすように、自己の魂を「磨き」上げる時なのである。
人類の蓄積してきた、ある意味で経験の『肥やし』となる歴史上、精神上の様々な『歪』は、人類それぞれ観察点によって、それを精神的な昇華でもって有意味に解消されることがその目的であり、
物質形態レベルでの安易な暴発、爆発や滅亡や崩壊によるフィナーレを求めるならば、そのサイクルを再びまた何処かのステージで行わなければならないことを意味するのである。
そうでなければ、やむかたなくこの地球という次元舞台サイドでの浄化、『一大転換』が起きても致し方があるまい。
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今までは、人類の霊的進化の夜明け前・・・とはよく言われたけれども、
色々な汚れた想念、その結果である騙しや嘘や隠しという現象が、多くの人々の知覚上に現れてきたということは、
自己の中にあるエゴや心的歪が外に投影されてきたということでもあり、
今はもう、それが夜明け前どころか、実のところ、ようやく、
既に闇夜は終わりを告げ、この時空のあちこちに光が煌々と差し込んでいるが故なのである。
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それぞれの魂たちの演じるこの地上舞台は、いずれにしても新しいステージに変容しつつあるということだ。
銭金の乱舞する浮かれ囃しや、経済崩壊の前の恐怖の乱痴気騒ぎ、人の命財産を犠牲にした金儲けである戦争と戦争の噂などに意識同調せずに、
しっかりと意識の眼(まなこ)を覚ましているべきである。
今はそういう時なのである。
(転換・・・了)
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。