気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(39)想念とは

2017-10-29 15:29:43 | 真我実現シリーズ
「想念」とは、考えること、思うこと、また感情という精神の働きであり、
またそれらの繰り返しによってパターン化された想いの集合である。

ちょっとした思いなども含めて「想念」としている場合があるが、
より明確に言えば、思考や感情の膨大な記憶集合体と言ってよいだろう。

余談だが、日本語漢字などを見てみるにつけ、
古い時代の人は、現代人に比べて遥かに優れた霊性と知性があったとわかる。

・・・「相」の下に「心」が来る。
相は”木の目”と書くように、階層、多層になっている様を表す。

・・・は心の今・・と書く。今の・・こころの有り様だ。
念とは、怨念、執念、観念、念力、・・などのように、
強くパターン化、集中化された、また持続された「思い」「感情」のことだ。

だから、「想念」とは・・・、
考えること、思うこと、また感情という精神の働きであり、
またそれらの繰り返しによってパターン化された「想いの集合」である。

念力、念写などと言われる現象があるように、
「想念」は情報であり、かつ力(エネルギー)である。
これに気づかない現代文明人は、非常にまずい状況にある。

内面にある想念が・・目に見えないもの、実体でないもの、
他人にはわからないもの、
外的物証としてすぐに役立たないものとして、

単なる「精神」として無視され続けていることは、
実に摩訶不思議と言えなくもないし、
自らの想念によって自らの文明の崩壊を招くことになる、
・・・
それ自体に気づかないからだ。
だから非常にまずい状況にあるということだ。
・・・
話は戻るが、
この「想念」は転生のたびに持ち越し、持続されるものである。
簡単に言えば、ビリヤードのAの球がBにぶつかると、AのエネルギーがBに移る現象、
つまりエネルギー保存則と同じように、想念も消えることなく持続される。

人が生まれてきて、まっさらの赤子から始めるように見えるが、全くそうではない。
同じ親から生まれ、同じ環境で育った兄弟でも、全然性格も趣向も異なるのは、
誰でも気づいているはずである。

なんでも偶然か?
メンデルの遺伝の法則による・・性格の違いか?
まったく馬鹿な話だ。

人間として生まれること自体が、
すでに魂・意識の中に「人として在ること」の<情報>があるからこそ、
人として生まれてくるのである!

何もインストールされていないパソコンが、勝手に動き始めるだろうか?
赤子の頭脳・神経が、勝手に、偶然に、ゼロから自己増殖を始めるのだろうか?
ビルの建築物が、勝手にひとりでに建ってしまうのだろうか?

走っているビリヤードの玉・Aが、静止している同じ玉・Bにぶつかると、
その運動がそっくりAからBへと移る。
A→Bと「エネルギー」が転移するわけだが、動く方向などという「情報」もそっくり移る。
このような、
エネルギーや情報の保存則は何も物体だけの理(ことわり)ではない。

人が死んだら終わりだ、終わりだ・・などと言っているのは、
ビリヤードの玉・Aが、止まった、止まった・・と騒ぐようなもの。
玉Aは動いてまた止まるが、その原因であるエネルギーや情報はBの玉に転移する。

この例と同じように、人の背後にある「エネルギー・情報」も消えることなく転移する。
それを転生とか、生まれ変わりと言っている。

人間死んだら終わりだ・・としている世界は、
人があたかも、読み終わったらゴミ箱にポイ捨てされる雑誌
のようなものだとするような、とんでも世界である。(笑)

したがって、誰かが生まれたということは、転移してきた、転生してきたと言える。
それは、人として成長し、意識的に活動するための「種」を持参しているということだ。
それを魂の記憶などと言っている。
そしてそれは「想念」なのだ。

想念は、目には見えないが現象化を促す「因」であり、植物でいえば「種」だ。
余談だが、宇宙の間で転生する魂を「スターシード」などと呼ぶように、
想念は・・魂、あるいは自己世界開花のための種子ともいえよう。
それは、実に膨大な活きた情報を内包している。
ほんの一部が開花した場合、彼、彼女らは、天才などといわれる。



「想念」とは、考えること、思うこと、また感情という精神の働きであり、
またそれらの繰り返しによってパターン化された想いの集合である。

想念は表現行為のもとにあるものであり、かつ知覚する世界体験に付随する思いでもある。
つまり、想念は、その想念のパターンに<共鳴する世界>との親和作用がある。
想念にふさわしい環境を引き付ける・・というよりは、現出させるということだ。

昨今は、こころの法則とか、引き寄せの法則とかが知られるようになったが、
これは多分の・・架空の話ではなく、
今のまんま、そのまんまの現実を説明しているのである。

自分の来し方行く末を決める・・自分の想念に気づかないで、
外の世界、TVやメディアの情報やら無数の宣伝情報の踊り、
変幻自在の、ある意味、真実などどこにも存在しない、
どうでもよいことばかりに気を取られている現代人は、

いまこそ気づくべき時が来ている。
I AM THAT I AM.

人は、肉体ではなく、まったく想念そのものである。

来し方行く末、もちろん、未来も過去も実在せず、
ただいまがあるのみだが、
その今の無限に展開する方向としての、瞬間ベクトルともいうべき、
自らでしか見えないその「想念」を観る時が来ているのだ。