気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(38)真の目覚め

2017-10-28 09:58:28 | 真我実現シリーズ
私たちは主に、目覚めて起きだしてからの生活だけを意識している。
たぶん現実生活のことしか頭にないかもしれない。
あまりにも忙しすぎる、あるいは気ぜわしい世界にだけ意識を向けている。
そうとも言えよう。

例えば1日のサイクルも、
睡眠は体を休めるだけのもの、
夢見は何かの、ついでの妄想のようなもの、意味不明(笑)・・・
大切なのは、目覚めて起き出してからの生活である・・。
そんな風に思っているかもしれない。

1日の中で、眠りや夢見のことなどトンと気づかず過ごしているわけだが、
これは重大な片手落ちといえよう。

・・・

”意識”は・・熟睡、浅い眠り(夢見)、および目覚めの相を通過して、
この「現実」といわれる世界に気づく。
毎日とは、その繰り返しだ。

熟睡、夢見、目覚めた後の生活・・・
これが「意識」から見た人間の毎日のあり方である。

普通一般では、生活・・身体が活動している・・現実だけが重要と社会全体で思っているが、
”意識”が目覚めて、身体が起きだして、
その身体と思考がいろいろと活動することだけが存在ではない。

目覚めたあとの、身体と思考の働きだけが存在であるという考えは、
「わたしとは・・この肉体である」という信念をそのままを表している。

その観点からすれば、
「熟睡」「眠り」は・・体の休息以外の何ものでもない。
その合間の「夢見」は・・なんだかな~の妄想の類・・と思い込んでいる。
そうではないか?

「意識」としての自分に気づくまでは、
自分がこの肉体でしかない・・と思っているわけだ。

・・・
そう、
「わたしは肉体である」と・・無意識ながら”思って”いる有様、
それを集団で思い込んでいるのが・・この世界の特徴である。

「肉体」としての自己、が、「意識」としての自己に気づくまでは・・
肉体生活だけが現実だ、重要だと・・そう思っているということだ。

・・・
そういう現実世界、この3次元世界といわれるのは、
物理的空間(XYZ)の中の”動きもの”の世界。
さらに、4次元世界といわれるものは、
物理的空間の中の”動きもの”を、時間軸を追加して説明している世界である。
そういう観念世界なのである。

しかしながら、・・・
そういう世界としているのは誰か?・・神か?
・・人間である。

人間が行う・・思考、マインド上の想定なのである。

そう、次元世界などというものは、
人の意識の働きである「思考」あるいはそれを体系づけた「理論」といってもいい。
結局は、3次元世界も、4次元世界も・・人間が「想定」、説明しているのだ。

つまり根本的には、
世界という対象に対した・・その知覚にもとづく”想念”なのである。
われわれは3次元、4次元世界にいる・・等という”世界観”だ。

そうではないか?
・・世界観は・・つまり観念である。

人の”思考””こころ”が介在せずして、そういう世界観もなかろう?
・・・あるわけもない。
世界は、まんま事実・・ではなく事実認識であるといえよう。

つまり、注意深く気づいてゆくと・・、

”世界がある”・・というより、”世界観”があるということだ。
”宇宙がある”・・というより、”宇宙観”があるということだ。



とはいえ、
「いやいや、そういうけれど、世界は現実にあるじゃないか!」
実際に目に見えるじゃないか、聞こえるじゃないか、触れるじゃないか・・。
そういう世界でみんな苦労しているんじゃないか!

・・と、そういう話にもなるだろう。
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しかしながら、それは全て・・・”五感感覚”の情報と、
それらに対する思考認識なのである。

あるのは、
見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる・・五感感覚・・”感覚”だ。
ちょっと現代科学風に言えば、五感も、
つまりセンシング情報ともいえる、一種の「情報」である。

観察「情報」は、、リアルな物・・そのものではない。

そう、
世界にある様々な物事は・・たとえ大きな物体といえども、
重大な出来事といえども、
ちょっと冷ややかに言えば、
それは「物」、「現実」というより・・・「情報」ということである。
・・・

これに気づく人たちは、この世界がバーチャルな世界であると言う。
まったくだ。
この世は、実際に、(五感による)”情報でできた世界”・・なのである。

情報・・味気ない言葉ではあるが、
永遠不滅の「物質」「現実」などは、どこにもないということだ。


なるほど、原子構造からいっても、
物質なるものが・・実にスカスカであることに気付くならば、
世界、宇宙も実に霞(カスミ)以下の密度でできた世界である。
それを幻想世界といっても過言ではない。。
我々の身体も、様々な物質も、ほとんどが「空」なのである。

我々はいわば、五感感覚を伴った、立体映画の中にいるということだ。
肉体はその情報装置のようなものである。
そして、それを観ているのは・・それぞれの”わたし”という「意識」である。

意識は・・知覚する者・・気づく者・・だ。
世界、宇宙は・・知覚される対象である。

我々は、五感感覚を伴った、幻想世界の中にいるということだ。
その幻想世界をリアルに受け取って、二進も三進(にっちもさっち)もを、
ありがたく経験させて頂いているということだ。

誰しもマトリクスの中で、つまり観念の中で、悪戦苦闘していたということだ。
いや、大勢はまだ気づかないかもしれないが、
それも気づくまで・・のことである。

きれいごとを並べて、こうあるべきだと言いながら、
こころの裏では、
肉体自我の生き残り、サバイバルの観念マトリクス世界。

「だってお金がものを言うではないか?!」
すべてがここに集約された・・とまではいかないものの、
今のニュースで、お金に絡まないものを探すのは難しい。

唯物資本主義者の根深い画策とは言わないが・・(笑)
「人間は社会的動物だ・・」という、偉そうな観念で、
明日の糧を得るため・・の観念で餌付けされた「動き物」・・だったわけだ。

文明が進んで?便利になった分だけ、大勢がやたらに忙しくなり、
体も精神もボロボロになるようでは、もう気が付いても良い頃であろう。

・・・
触っている目の前の物体も、コーヒーカップも、
五感の感覚、一種の”情報”の類である。

・・で、
誰がその情報を見ているのか?
・・わたし・・だ。

<わたし>とは、まず・・その情報を”観察”している者である。

情報が勝手に
・・”自分は情報だ・情報だ!!”とは言わない・・(笑)

あるいは、情報の処理・整理・記憶をする「頭脳」「神経組織」が、
「俺がやっている、わたしがやっているんだ・・」とは言わない。

それを”知覚する者”が・・それを”情報だ”と知るのである。
いや”気づいている”のだ。
それが、それぞれの・・わたしだ。


わたし・・は知覚する者、
・・世界は知覚される対象、事物である。
そして様々な想念で脚色されている。

知覚する当事者がいなければ、知覚される対象は、
どうして存在していると言えるだろう?

あなたが眠っているときには、あなたの肉体も知覚できていない。
その間、あなたにとって肉体も存在しなければ世界も存在していない。
・・実感として、・・存在していない・・はずだ。

そうではないか?

傍であなたの身体を見ている人は、あなたが”寝ているだけ”だと・・
外から観察して、そう言うわけだが、
それは、その傍らの人の知覚であって、
<あなたにとっては>・・その時は、肉体もなければ、世界もない。

あなたは生まれる前に、この世界にあったのか?
そんなことはない。

熟睡中は・・あなたという自我意識も、肉体知覚もない、
つまり肉体知覚がないために、世界や宇宙も存在しない。
だが、
眠っていない他者は、あなたの肉体を見ているが、
それは・・他者の世界の中の・・あなたの<体>である。
再び現れるために、世界はずっとあったと錯覚する。
それが毎日だ。

あなたが眠っているときには、実際・・何もない。
そうではないか?
わたし意識が・・眠っている間は・・
世界、宇宙は存在しているとは言えないのだ。

これは・・普通に通り過ぎている重大な事実である!

これは西洋のお偉い先生の理論でもなく、
唯心論だとか唯物論だとかの「論」ではない。
思考や想像、思い付きではなく、

知覚経験上の・・事実・・なのである。

超簡単に言えば・・”気づき”だ・・・。

それぞれのわたしが居なければ、世界も宇宙もあるとは言えない。

それは毎日の・・意識の変遷で、すでに示されている。

・・・
世界や宇宙が先にあって・・あなたも私も、
小さな肉体人間として生まれてきた・・と、
宇宙がずーっと何百億年も前からあった、と・・・
今・・目覚めている時だけ、そういう話を・・聞くのみである。


知覚するわたしがいなければ、わたしの世界、宇宙は存在しない。
わたしの中に・・わたしの宇宙がある。
見える天空宇宙も、わたしの中にある・・というわけだ。
私の”身体”の中ではない。
すべてが”わたし”の知覚の働き、意識のその対象とし現れている。
わたしの気づきの中に、世界がある。

あなたが、
宇宙や世界という現実の中の、小さな動き物であるというのは、
あなたが生まれてきた集合世界の・・支配観念に過ぎない。
それは、他者の目線からみた、
肉体という世界観察点だけに注目した存在認識であって、

・・・わたし・・意識・・という視点が欠落した世界認識なのである。

あるのは、その他大勢の”肉体人間”の集まり・・
あなたもその一員に過ぎない・・という信念体系なのである。

・・・
世界があるから、一時私は存在している・・は、
肉体としての動きを見れば正しいわけだが、

それは外側から見た、肉体の見地からの言いぐさでしかない。
意識である・・わたし・・が外されたまま、
「あーそうだ」と信じているのである。

そうではなく、

わたしは在る・・そして世界はある、のだ。

意識が目覚めれば世界が出現し、眠れば世界は消える。
その繰り返しである。
毎日のサイクルも、人生という大きなサイクルもしかり。
生も死も、そのサイクルでしかないのだ。。

これに気づくのに、
難しい観念も、学問も、霊的知識もそれほど必要がない。
逆に、
様々に複雑な学問や知識は、どんなに深くに入り込んでも、
一層暗くなる思考、マインドのジャングルであることが見いだされるのみである。

そして最後にはマインドのジャングルは自己崩壊する。

意識する者、知覚する者が追い求める先に、
その知覚対象が現れる・・というのが、事実であるからだ。

・・・
”意識”が目覚めれば世界が出現し、眠れば世界は消える。
その繰り返しである。
毎日のサイクルも、人生という大きなサイクルもしかり。
生も死も、そのサイクルでしかないのだ。

毎日の繰り返しと見える中に、すでに真実が示されている。