気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(34)生誕・目覚め

2017-10-03 05:19:14 | 真我実現シリーズ
私たちは皆、眠り、夢を見て、目ざめる。
毎日毎時、毎瞬そのどれかを経験している。
それ以外にはない。
眠り、夢見、目覚め・・以外にない。
これが、”生きている”、ということだ、
起き出して、活動してる間だけではない。

これら3つはすべて、「意識」の状態といえる。

誰もみな、目覚めている間のことは、よく知っている。
肉体が活動し、思考を巡らせ、感情を持つ・・。
幼少期からそれらを記憶しつつ・・自我、私・・を創り上げてゆく。

幼少期のいつころか、2歳か3歳か・・
次第にわたし・・という自我意識・・に気づいて来たはずである。
思い出せるだろう?

幼児期に、とある家族の中の自分がいる・・こと、
親との関係性に気づき始めると同時に、
いつからか・・わたし・・という意識が目覚め始める。

これは、何年何時何分は覚えていないだろうが、
目覚め始めたことに・・気づいたことは・・
あなたの記憶の中で確実なものだろう。

みなそれを通ってきた。

ここらあたりが、おぼろげながらも、
世界の知覚や思考の・・中心の・・自分・・の芽生えといえる。

無(限)意識から・・意識へ・・。
普遍意識から個別意識へ。
自(おのず)から・・分かれた・・自分、というものが芽生える。
膨大な無限の海と、表面の波頭の関係ともいえる。
あるいは根源から光が放たれることと同じだ。

これは毎朝の、眠りから目覚めへの意識の移行とも同じようである。
いや個別でありながらも、本質的には同じことである。

生誕とは、気づきの新たなサイクルとでも言えようか。

幼児期に、とある家族の中の自分がいる・・こと、
親との関係性に気づき始めると同時に、
いつからか・・わたし・・という意識が目覚め始める。
周りに気づき始めるのだ。
そこから<わたし>の世界・宇宙が始まる。



それがこの世での生誕だ。

肉体の観点からではなく、観の転換の後の、
<意識>から見た生誕とも言おうか。

それまでは、周囲の人が観察する「肉体」はあれども、
意識が目覚めておらず、その時、
<わたし>の世界があったと明確には言えまい。
先にあったのは、
地球が設(しつらえ)た、そして親や家族が用意した、
愛らしい想いで観ている・・「肉体」である。
私たちは、皆、そこ、神の宮・・で目覚めたのだ。
大変な世界が待ち受けている事も知らず(笑)。

それが、わらべ歌にある
「行きはよいよい、帰りはこわい♬・・」天神様の通り道だ。

そう、ここでいう”天神さま”とは、

誰あろう・・あなたである。