気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(31)観の転換 その1

2017-09-24 10:23:46 | 真我実現シリーズ
わしたちの世界のすべての根本にあるのは何か?
それは文字通り、それぞれ・・「わたし」・・である。

わたしがなければ、私が見る世界もない。
・・
いやいや、そんなことはないよ、何変なこと言ってんの、
世界の中に私たちは生まれてきたじゃない、
世界が先にあって、大勢の人がいて、その中に・・・
わたしはある時、ある所に生まれてきたんですよ・・!
わたしがいなくても、世界はあるんだよ、馬鹿なこと言うな!、
・・と大方はそう思うだろう。

世界があって、地球があって、日本があって、
わたしはある時、どこどこに生まれてきた。

そう・・、
これが事実だと、絶対的にそう思うものだが、それは全く違うのである。


・・・
いや、全く違うというよりも、それは観点の違いといってもいい。
観点は、一般に”考え方”の違いと言われているが、
確かに、簡単に言えば考え方の違い・・であると言っていい。

えー、どういう意味だろう?

観点の違い・・、
これならば、異次元やらなんやらという、
不明確な物差しを持ち込むことはない。
今在ることを、しかと観る事、先入観にとらわれず、
あらゆる方面から熟考することで、

今・・在る・・わたし・・の奇跡的な事実も窺い知れるだろう。

・・・

わたしが、生まれてきた・・という”私”とは、”身体”のことである。
私の”身体”が生まれてきたと、親や周囲の人が体験して、見て、言ったことだ。
たしかにそうだ、・・・しかしながら、
そのとき、当のその人・・<わたし>はいただろうか?

そう、いま、あなたが”わたしとして自覚している”その・・<わたし>だ。

その時にいたか?といえば、わたしは「まだいなかった」と言うだろう。
全く記憶がないとも言える。
・・
赤ん坊が体内から出てきて、いきなり「わたしだ!」とは言わない(笑)
あなたは、生まれてすぐ「おいらはおいらだ!」とは、・・言わなかったろう。



これは別に、大それた異見ではなく、当たり前の常識なのである。

つまり、身体はその時、その場所で生まれたが、
・・その時には、<わたし意識>の存在は・・は認められなかった。
自己認識の主体であるところの・・「わたし」はいなかった。

なので、わたしという”意識する者”は、後で生じたとなるのだ。

身体から・・・わたし意識が生じたと・・
有機生体物質や身体組織や、頭脳が成長して、
ようやくわたしが芽生えた・・と、

時間経過では、物質が先だ、意識はその後だという・・
常識的かつ先天的な観点となっているのである。
私もかつてそう思っていた。
あなたもそうではなかろうか?

西洋の偉い学者ダーウインが
人間は猿の進化したものだと提唱したとか、、
あるいはアリストテレスの、人間は社会的動物だとか、
そういう話も、まことしやかに聞こえるわけである。

・・・
身体組織、頭脳が、周囲の環境経験をしつつ、
2-4年程度の月日で、次第に自己認識をするまでに成長する、
そして、いつか<わたしという自意識>が芽生えると
いっているということである。

この観点でいえば、意識は・・後で生まれるということになる。
肉体という物質形の中に・⇒・意識が生じる・・ということだ。

常識的でかつ理知的な人は、それはそうだと思うだろう。
そして、わたしという意識、また精神は・・物質から生じるという話にもなる。

なにせ先に生命物質形態が生じて、後で精神、意識的働きが生じるからである。

これが今までの、世間一般の常識的な見解となっているのである。

世界が先にあって、わたしは・・そこに生まれた小さき身体、
知能はあるが、宇宙、世界の中の微小な生物であり、
死んだら終わりの一時的な生命である・・という話になる。

そうではないか?




(つづく)