気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(29)問うのは・・誰か?

2017-09-05 05:25:51 | 真我実現シリーズ
わたしは何か?・・と問うのは誰であろうか?

それは・・わたし以外にない。

つまり、わたしが ⇒ わたしに問うている。
思考や言葉を使いながら、わたしが⇒わたしに問うているのだ。

その問うている<わたし>とは・・・何か?


こういうプロセス自体、自己にとって最も根本的なことでありながら、
世の中の雑事や混乱、身体的快楽と苦痛に意識を集中している場合、
一体全体なんのことか、まったくわからない人々もいるだろう。

あなたは、いま・・・これを読んで、何を感じるだろうか?

<わたしが ⇒ わたしに>問うている。

意識を・・・わたしという意識のほうに向けている。

わたしとは何だかわからないけれど、
とにかく、わたし自身が何かを・・わたしが・・問うている・・のだ。

自らに・・気づいていること・・
創造の根幹にあるものだけができることである。

自らに気付いている者、それはわたしの宇宙で・・わたししかいない。
多くの同じ人間たちが、多分私と同じであることはわかるが、

わたしの世界には、いや気づける範囲の無限の彼方も含め、
<わたし>という・・自らに気付いている存在は、
わたし<しか>いないのである。

天上天下唯我独尊・・
あらゆる全ての中において、ただ<わたし>だけが・・唯一・・在る・・のだ。

釈迦の伝えたとされる言葉には、その表現こそ色づいているが、
確かに嘘はない・・、
それは偉い人だから信じるというよりも、
まったくその通りだと感得するからなのである。
あなたは綿々と伝わっている、真実の言葉に気付いているだろうか。



それとも、実はあなたの培った、歪んだ想念の記憶という、
膨大な潜在意識の映し出す幻影に幻惑され、

同じく想念で映し出された、一時の身体的感覚に埋没し、
実際にはどこにもいない、大勢の他者の影の行く道に従うのだろうか。

いや、それもまた良し、閉じられた時空間での、
夢の中の夢、苦痛と快楽の味わいもまた良し。
それも、無意識ながらも・・・自らに気づく方向のものである。

しかしながら、
わたしの世界には、いや気づける範囲の無限の彼方も含め、
<わたし>という・・自らに気付いている存在は、
わたし<しか>いないのである。


わたしは・・在りて、在るものだ。(旧約聖書)
わたしとは、特大な神という何か別の存在などではない。

天上天下唯我独尊・・

それは、わたしであり、またそして・・あなたである。

その証拠は、<わたし>をよくよく吟味すること、
あるいは平たく言えば学ぶことだ。

まったく意味不明で、何の役に立つのか?と言われる問いかけ、

わたしは何か?・・と問うのは<誰>であろうか?

これだけは、

他の誰かがあなたに代わって問うことはできない、

絶対に・・・。






まさに知るべし、空は一草なり。
この空、必ず花咲く、百草に花咲くがごとし。(空華 :正法眼蔵 道元)