宇宙、世界、森羅万象すべてが”意識”である、と、
聞いたことがあるかもしれない。
どういう意味だろう?
すべてが意識・・?
すべては、目に見える物質ではないのか?
意識とは何かといえば、”何かを意識する、気にするなど”
英語では、Awareness(注意、意識する)、consciousnessともいわれるもの。
焦点を合わす、あるいは波長を合わすという意味もあるだろう。
まず、確かに、
人間社会においては、すべてが意識・・・であるといえる。
なぜなら、
意識から、その派生である無際限のこころが生まれる。
こころ、マインドがすべてを作り上げているからだ。
ビルも車も、社会制度も、ジェット機も橋も、何もかも、
もとは人間の思考、設計によってできている。
素材は地球にあるものを使っているだけで、
思考、思い、それを秩序立てた「設計」によってすべてが作られている。
その根本にあるのが「意識」なのである。
ここで「こころ」というのは、「人間の精神の働き」とされているが、
それはつまり、”意識”から生ずるのだ。
例えば、
あなたが、何かを見た・・・⇒、それに関する様々な思いが生じる。
何かを聞いた・・⇒、それに付随する様々な感情が沸き上がる。
何かを想像した・・⇒、関連するいろいろなイメージが生じる。
つまり、
”意識する”することで・それに関する”思い”が生じるのである。
これを「マインド」の働きと言っている。
日常の生活、生きて活動しているとは、まさにそれなのだ。
”意識”とその派生である思いや感情、の、その無際限の連続生起なのである。
つまり生きていることは、実に、
”こころ・マインドで充満”している中にいるということなのだ。
気づいていただろうか?
あたり一面様々な「物質」で作られているように見えて、
本質からいえば、・・・
あたり一面・・マインドの充満なのである。
宇宙では、物質が勝手に運動しているって?
物しかない、唯物世界だって?
その換算の、お金がすべてを決めるって?
人間は物質だから死んだら終わりだって?
どこかの大統領が人類の幸せを決めるだって?
もういい加減、騙され続けるお馬鹿はやめたほうがいい。(笑)
肉体の五感感覚を通じて、
何かを見る、聞く、味わう、嗅ぐ、触れる・・ということは、
単に、見る、聞く、味わう・・ではなく、
つまり、何かに”意識”を向けるということなのだ。
見る、聞く、味わうという感覚の違いは、
単に意識を向ける、そのベクトルの種類・・のようなもの。
そして、
あなたが意識を向けるから・・・”同時に”対象が現れて、
同時に、さまざまな想念、マインドが生じる。
そしてそのマインドの形を意識的に変えることによって、
さらに、その対象が様々に変化、デフォルメされるのである。
たった1枚のDVDの中に、時空物語、歴史絵巻が記憶されている。
同じように、あなたの魂意識には無数の記憶があるからこそ、
今、ここで生きている・・と気づけるだろうか?
どのような世界も、マインドで創られている。
かような、変化や多様性しかないマインド幻想世界で、
何をもって、そこに必死になる必要性があるのだろうか?
いいや、ありはしない。
いまはもう、
物質などという幻想のかたちの中に閉じていた
「わたし意識」の殻を、静かに蹴破り、
まず、この観点にまで自らを上昇させる必要がある。
上昇とは時間・空間の物質次元でのことではなく、
それを超えた、魂意識、気づきレベルでのことである。
例えば、迫力や歴史という奥行きがあると感じる映画も、、
それを記録したDVD自体には時間も空間もないように、
実にリアルこの上もないように見えるこの世界も、
普遍的な意識に生じるマインドの物語なのである。
マインドは常に変化変遷するために、
世界は無数に表れては消えてゆく、
数千年も、数万年も、いや何十億年も、
マインドを生み出す・・意識から見れば、
マインドを含み、生み出し、したがってそれを超えている意識からすれば、
ほんの一瞬にもならない。
そして明らかに、それを忘れ、思い出す道すがらの、
あなたやわたしたちは・・・その無限の意識・・そのものである。
それを本当のわたし・・真我と呼んでいる。
わたしとは何か?・・・
それを問うのは誰か?
永遠に、
わたし・・しかいなかったのだ。
意識の大海に生じる波紋・・想念で宇宙が創られる。
物質なるものは、その一定範囲の振動率の・・「意識」の波動である。
聞いたことがあるかもしれない。
どういう意味だろう?
すべてが意識・・?
すべては、目に見える物質ではないのか?
意識とは何かといえば、”何かを意識する、気にするなど”
英語では、Awareness(注意、意識する)、consciousnessともいわれるもの。
焦点を合わす、あるいは波長を合わすという意味もあるだろう。
まず、確かに、
人間社会においては、すべてが意識・・・であるといえる。
なぜなら、
意識から、その派生である無際限のこころが生まれる。
こころ、マインドがすべてを作り上げているからだ。
ビルも車も、社会制度も、ジェット機も橋も、何もかも、
もとは人間の思考、設計によってできている。
素材は地球にあるものを使っているだけで、
思考、思い、それを秩序立てた「設計」によってすべてが作られている。
その根本にあるのが「意識」なのである。
ここで「こころ」というのは、「人間の精神の働き」とされているが、
それはつまり、”意識”から生ずるのだ。
例えば、
あなたが、何かを見た・・・⇒、それに関する様々な思いが生じる。
何かを聞いた・・⇒、それに付随する様々な感情が沸き上がる。
何かを想像した・・⇒、関連するいろいろなイメージが生じる。
つまり、
”意識する”することで・それに関する”思い”が生じるのである。
これを「マインド」の働きと言っている。
日常の生活、生きて活動しているとは、まさにそれなのだ。
”意識”とその派生である思いや感情、の、その無際限の連続生起なのである。
つまり生きていることは、実に、
”こころ・マインドで充満”している中にいるということなのだ。
気づいていただろうか?
あたり一面様々な「物質」で作られているように見えて、
本質からいえば、・・・
あたり一面・・マインドの充満なのである。
宇宙では、物質が勝手に運動しているって?
物しかない、唯物世界だって?
その換算の、お金がすべてを決めるって?
人間は物質だから死んだら終わりだって?
どこかの大統領が人類の幸せを決めるだって?
もういい加減、騙され続けるお馬鹿はやめたほうがいい。(笑)
肉体の五感感覚を通じて、
何かを見る、聞く、味わう、嗅ぐ、触れる・・ということは、
単に、見る、聞く、味わう・・ではなく、
つまり、何かに”意識”を向けるということなのだ。
見る、聞く、味わうという感覚の違いは、
単に意識を向ける、そのベクトルの種類・・のようなもの。
そして、
あなたが意識を向けるから・・・”同時に”対象が現れて、
同時に、さまざまな想念、マインドが生じる。
そしてそのマインドの形を意識的に変えることによって、
さらに、その対象が様々に変化、デフォルメされるのである。
たった1枚のDVDの中に、時空物語、歴史絵巻が記憶されている。
同じように、あなたの魂意識には無数の記憶があるからこそ、
今、ここで生きている・・と気づけるだろうか?
どのような世界も、マインドで創られている。
かような、変化や多様性しかないマインド幻想世界で、
何をもって、そこに必死になる必要性があるのだろうか?
いいや、ありはしない。
いまはもう、
物質などという幻想のかたちの中に閉じていた
「わたし意識」の殻を、静かに蹴破り、
まず、この観点にまで自らを上昇させる必要がある。
上昇とは時間・空間の物質次元でのことではなく、
それを超えた、魂意識、気づきレベルでのことである。
例えば、迫力や歴史という奥行きがあると感じる映画も、、
それを記録したDVD自体には時間も空間もないように、
実にリアルこの上もないように見えるこの世界も、
普遍的な意識に生じるマインドの物語なのである。
マインドは常に変化変遷するために、
世界は無数に表れては消えてゆく、
数千年も、数万年も、いや何十億年も、
マインドを生み出す・・意識から見れば、
マインドを含み、生み出し、したがってそれを超えている意識からすれば、
ほんの一瞬にもならない。
そして明らかに、それを忘れ、思い出す道すがらの、
あなたやわたしたちは・・・その無限の意識・・そのものである。
それを本当のわたし・・真我と呼んでいる。
わたしとは何か?・・・
それを問うのは誰か?
永遠に、
わたし・・しかいなかったのだ。
意識の大海に生じる波紋・・想念で宇宙が創られる。
物質なるものは、その一定範囲の振動率の・・「意識」の波動である。