気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識の話(27)次元の扉

2017-09-02 06:49:58 | 真我実現シリーズ
わたしとは何か?
真に、自分自身に問いかけてみることが重要だ。
文字を目で追うだけでなく、言葉に出して、
そして改めて、想念の中で真剣に・・、
自分とは何だろうか?と問いかけることだ。
・・・
「わたし・・・とは何か?」
・・・
すぐにその問いかけの答えはないはずだ。

しかしながら、ここで言えるのは、
「わたしとは何か?」という問いかけの意味は、
魂にとって極めて重大であるということだ。

普段の自分と考えている自己イメージそのものに疑いをかけ、
まことの自分?という新たな自己イメージを模索していることを示すのだ。

理解可能だろうか?

即効の結果ばかりを求めて、すべてを金勘定にしてしまう、
物欲、生存欲だけに縛り付けるマトリクス思考では、
「わたしとは何か?」という問いかけそのものが、
まったく価値のないものに思われ、あなたのマインドに、かすりもしないであろう。
・・
「わたしとは何か?」
わかっているはずの・・わたし・・をあえて質問のテーマにする、

それ自体が、十重二十重に張られた唯物的マトリクスを破る原動力なのだ。

わたしとは・・・”あれ”だ、”これ”だ、
私は女だ男だ、生年月日は、年齢は、履歴は、趣味は・・・、
身長は、体重は・・・・etc、
それらは、私という個人の肉体と、思考の経歴である。
いやいやいろいろ経験しました、人生ずいぶんありました・・、

様々なそれらは・・単に「記憶」・・である。
今回魂に追加された、想念の束・・である。

生まれてからの時間軸に沿って体験した一連の知覚・思考・感情の「記憶」が、
肉体自我という”イメージ、姿”を描いているのである。

したがって、私が・・私が・・・、という<私>は
肉体の属性とその肉体を伴った諸経験と、
それに対する思考、感情の集積記憶であるということだ。

・・・
この検索プロセスは、
普通考えている<自分のイメージ>とは何か?を示すものだ。
なので、
何らかのマインド、思考、想念にはまっていない限り、
このような見地からの観察行為も、以外とはいえ、
素直なマインド上の思考過程では理解可能であろう。

「わたしとは何か?」という問い、(何それ?笑)

学校でも社会でも、TVでも国会でも、どこかの大統領でも、
どんなお偉いさんでも、どんな学者でも、宇宙開発でも・・、
全然問わない・・

この方向に、いわば・・次元の壁の扉がある。
いや、本質においては、
本来は無い次元の壁や扉、それもマインドの創造物だ。
すべてはマインド、こころの創造物ということだ。

マインドの幻想物語、
可笑しく、面白く、怖い怖い夢のような物語。
いやそれは確かに、詳細で実にリアルに見える物語である。

踊って、騒いで、騙して、掠め取って、戦って、殺して、
涙流して、喜んで、苦痛に顔をゆがめて、心痛めて、・・
延々と繰り返す、・・・いや繰り返してきた、

そう、決して投影された夢の世界、外の世界ではなく、
意識の中にこそ、
そういうこの次元世界の、いや次元体験映画の、
その退出と入場のための、自在な・・仮の<扉>があるのだ。
(ドラえもんのどこでもドアか?笑)



もともと、
普遍的な意識である<わたし>・・の中にすべての知覚対象が含まれる、
すべての知覚対象とは・・・世界、宇宙のことだ。
わたし・・が・・わたしの全宇宙の中心であり、根源である。
それは決して、探察対象である・・私個人、肉体個人ではない。
それらすべてを意識するもの、気づくものだ・・。

今すでに・・そうである・・ことに気づいていないだけだ。
ここに・・次元の層、壁があるともいえよう。

あなたが見ている世界は、宇宙は・・・
あなたの意識の対象物の総合したものであろう?

実はあなたという意識は、その知覚する宇宙を含んでいるからこそ、
いまここに世界や、宇宙が現前しているように観察されるのだ。

・・・
意識の投影像である、世界、宇宙全体を観ているにもかかわらず、
その像の中の肉体を・・わたしだと・・勝手に決め込んで、
その小さな身体を、宇宙という壮大な知覚イメージの中に畳み込み、
自分自身を大勢の集団の中の1小片部分に基準化して議論する、
お遊びを行っていたということだ。

それは自らが作り上げている像のなかへの自己投入という創造だ。

意識は・・・今すでに、
可能な範囲、あらゆる世界・宇宙・事象を知覚認識している。
肉体は・・・わたしそのものではなく、言わばその次元観察の窓なのだ。
あなたは窓の形を・・自分と思っていた。

その肉体・窓から見ているものは・・誰だろう?
もちろん肉体そのものではない・・・。

では、「わたしとは何か?」頭で情報検索ではなく、

ハートで、つまり内面を感じつつ、問うてみようか。