気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

悟りの道標(31) 入テン垂手 :やっと当たり前に

2016-10-15 09:22:42 | 日記





十牛図の最後は、入テン垂手(ニッテンスイシュ)。
”テン”はJIS漢字第一水準にないのでカナ表記だが、古語で「市場」の意味。

入テン垂手・・「手をだらりと下げて、市場に入る。」の意。

気楽に、のほほんと・・そのまんまで・・巷(ちまた)にいるようなものだ。(笑)

何が良いも悪いもない、ただ在るがままにすべてが起きている。
またそれが怖いことだという事はない。

あれこれ評価して、どこか自己利益ではじく「そろばん」も持っていない。
計算高い人は、人生での「そろばん勘定」が、いつも合わないので悩んでいる・・(笑)
そうではないか?

そう、本来何も持っていないのに、そろばんも必要はなかったのだ。
片意地張って「俺に逆らうなよ~!」も必要はなかったのだ。


すこしづつであっても、確実に、
あらゆる全ての元にあるマインド・こころが浄化され、
あれこれ、あちこち、恐怖を伴うがゆえのマインドの迷走が消えてゆき、、
生きて<今>在る・・体験そのものが、シンプルに、かつ趣深くなる。

意識でフォーカスするのは、様々なコロコロ変わる迷妄観念でなく、

今在ること・・への驚愕の事実。

その生きて在る・・ことの、真髄の中に留まること。
そう、そこで起きているのが存在、宇宙という奇跡なのだ。

OH、MY GOD!
・・・

その中では、わたしもあなたも全く・・在る・・存在・・として、
ひとつであることがわかっている。

わかっている・・とは、
それは思考ではなく、・・感じるというか、それしかないというか、
ダイレクトな直覚というか、そう・・、悟る・・というか、
理由なき突然の気づき・・というか、
言葉では表わせない・・ので、<在る>という表現になるだろう。

わたしもあなたも全く・・在る・・存在・・として、
ひとつであること、

ひとつとは、1個2個のカウントでなく、・・ひとつ・・
重なって融合して、一体ということでなく、・・ひとつ・・
システム全体、宇宙全体、あらゆる全てが・・ひとつ・・
あなたもわたしも、それ・・ひとつ・・

例え「相手個人」は分からずとも、
「こちら」が分かっているということだ。

それで十分なのである。

なぜなら、わたしの世界には<わたし>しかいないからである。

ここは、・・・本当に・・魂の中から・・把握すべきことである。

あなたも、誰もみな・・そう。

おい、おい、究極の個人主義か~?(笑)


これはパラドックスのように聞こえるが、
ひとつは無限であるということ。
多はひとつであり、一つは多であるということ。

相手に期待するのは、相手個人に何か、望みを託しているという事であり、
まだ<わたし>は、わたしのことを、本当には分かっていないということである。

なぜなら「ねー、私のように、分かってください・」
と求めているからである。


<わたし>しかいない世界に、どうして他者を求めるのか?

世界には<わたし>しかいない、私も、貴方も、誰もみな・・

<わたし>なのである。

宇宙の中のどんな小さなものも、宇宙全体が無ければ存在しない。

そして、逆も真、

宇宙の全体も、小さなものたった1つが無ければ存在しえない。



わたしとは、私個人ではなく、貴方個人ではなく、

決して宗教的誤解を含まないで謂うところの、・・「かみ」である。

人として現れている、今・それ、単純に「神人」だ。

あなたはそれだ。

これがきれいごとのように聞こえるのは、

単に・・、古い思考、マインドの曇りのせいだと思えないか?



入テン垂手・・「手をだらりと下げて、市場に入る。」

余計なマインドは決して留まらない。

マインドは現れては消える雲のよう。

何が良いも悪いもない、ただ在るがままに、宇宙は在り続ける。