気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

夢とハイアーセルフ

2009-01-12 18:11:31 | 宇宙的気付き

 「外界」は「内面」の反映にすぎないという言葉は、極端な理想論と感じるかもしれませんが、かなり深い意味でまさにそのとおりであると思います。また人間の行なうべき最も大切な探求は、自分の意識を掘り下げることでもあるようです。

 外の世界に生起する様々な現象の本当の因は、それを観察している「あなた」にあると言うことが、’どえらい’意味を有していることに気がつくでしょうか。

 古来から、しっかり自分発見の方法が伝わっています。修行、修道、瞑想、座禅、読教等そのほとんどが外界から内面への意識の転換とその探求と言っても良いでしょう。それらは意識的な内面探索の手法ですが、「夢」の観察も、最も身近な、誰にもいつもできる内面探索の手法でもあります。なにせ毎日必ず眠るわけですから、いつでもできることなのです。

 今回はハイアーセルフが「夢」に出てくるというお話です。

●ハイアーセルフとは

 「ハイアーセルフ」は、高次の自己意識、超自我、等といわれます。この言葉自体には、仮想でない「本当の」自分という概念が現われています。自分というものに、「仮想」のものと「真」なるものがある?という意味であり、一般通念ではとうてい理解出来ないことだろうと思います。これは実際問題、なんでしょうか。

 今の自分よりも高次な、またはそれを超えている「わたし」とは何でしょうか。そのような「高次なわたし」があると言うことは、どういうことでしょうか。

●夢はハイレベルな情報源

 私自身、アイデアやヒントを大切にする仕事に従事してきたために、「発想やヒント」が、どうやって得られるのかという試行錯誤を多く経験しています。新しい発想やヒントなどに対処するのに、普段の思考活動では必ず限界があります。 企業活動でもよくあるように、画期的な新商品や新企画など、簡単に出てくるものではないということは誰しも知っています。ちょっと考えただけで、決して新しい考えやヒントは出て来ないものです。

 例えば睡眠中の「夢」などは実は重要な情報源と言えるものなのです。肉眼のみ、五感のみを信じ込んでいる人にとっては、「夢」などアヤフヤな、意味の無いものと考えてしまいがちですが、睡眠中の「夢」や「夢に準じる意識状態」というものは、実はきわめて重要な情報源でもあるのです。

 それらを一括で「夢」としますが、夢は、普段の「顕在」意識の有り様とは異なり、それが「潜在」的というだけのことであり、人間の意識の有り様の「別の側面」を言っているにすぎません。 それこそ「夢」自体も、「わたし」という存在の意識状態の一側面なのです。

 夢を見る、またはそれに準じた意識状態で得られる情報は、この潜在意識から顕在意識への「意識の湧出」ともいわれるべきものです。何気なく見る「夢」には、その潜在意識から顕在意識にやって来る、無限の可能性が隠されています。

●ベンゼンの夢の逸話

 自分の幼少時に、六角形の「ベンゼン核」の発想が、化学者自身の夢の中から得られたという本を読んでから、発想の湧出する有効な方法への理解が少し出来るようになりました。多くの発明家や科学者等が、「夢」や、リラックスした意識状態の時に、極めて重要なヒントを得ている事は、実は「常識」なのです。重要な発想やヒント・理解などは、腕組んで首ひねって、なにか考えるだけで出てくるものでは決してありません。

 ・・・ある時、ベンゼンは新しい化学物質の構造を考えていたのですが、考えに考えた挙句、結局疲れ果てて眠ってしまったのです。そうした時、「夢」の中で 「へびが現われ、六角形を形作っている映像」を見た瞬間に、新しい化学物質の構造(ベンゼン核)が瞬間に解かったというお話です。それはベンゼンと名付けられる物質が、分子同士特殊な六角形に結合したものだという事が「直に」解ったという逸話です。

 表面意識であらゆることを考えた挙句、その力んで考えること自体を放棄した状態、(睡眠中の夢の状態に)なって初めて、その「答え」が得られた・ということのようです。 まさに必死で追い求めている間は、決して目的は得られず、逆に力みを放棄した状態で、そのものが得られる・・というパラドキシカルなプロセスとも言えます。これは顕在意識で問題を十分に提起し、潜在意識で解決するということでもあり、総合的な人間の意識の広さ、深さを感じさせるものともいえます。

●夢も現実生活と同じ、意識経験に違いがない

 学術的にはノンレム睡眠、レム睡眠という睡眠の深さや特徴等も調べられており、また各睡眠レベルでのθ、α、βなどの脳波の特徴なども解っているのですが、その時の人の内面で何が行なわれているのかということに関する分類や精査は十分に行なわれていないのではないかと思います。夢、それはあくまでも「心理的」なものであり、物性科学的な範疇を超えていると考えられているのかも知れません。

 木を見て森を見ず、または本を買っても、その本の外装や価格などの外部観察をするだけで、実際の中身を読まないようなものでしょう。確かに、意識的、心理的という言葉は、現状の測定器の対象外ということでしょう。TVのメカや機能、仕組みを調べるばかりで、放映される内容自体に意味を見出すことが出来ないようです。

 外の世界で生きていると言うことは、肉体に装備された五感の刺激を元に経験をしていると言うことであり、結局は外の世界を「見て感じている」という「意識体験」です。ハッキリすっきりしているため、それこそがリアルであると思い込んでいますが、意識体験であることには変わりがありません。

●夢を見るのは受像機を見るのと同じ

 夢は五感を経由しない「意識体験」と言えます。実は、予言、予知、発明、遠隔地の透視、テレパシーによる直覚知、リモートビューイングなどは、夢と同様、内面から得られる外部情報とも言えるものです。

 こころと身体を意識的に制御出来ていないために、あやふやな幻想のようなものと思い込んでいますが、自分のこころを分析・制御することで、肉眼、音覚では到底及ばない情報取得、送受信も可能なのです。

 米露その他の国々では、これらの情報取得手法はすでに密かに認知されていますが、もっぱらの目的はセキュリティ・軍事系のようですが。

 「外界」を知るために「内面」を探索するのは、目の前にある受像機や受信機を使って、外の広いエリアを探索するようなものです。夢はそのような様々な意識レベルでの探索を可能にしているのです。ただ、搬送波たる波動は、我々の認知している電磁波という限られたものではなく、「未知なる波動」としか言いようが無いのですが、ザックリ言えば「意識による波動」と言えるかも知れません。

●夢での情報感受 

 睡眠中は身体が休んでおり、意識の焦点が内向きにあります。外界からの刺激がない分、クリアーな意識状態であると考えられる為に、その中で得られる情報は極めてダイレクトなものになることがあります。但し、睡眠中も考えている位の「意識の方向性」を有していることが必要のようです。ついつい眠りこけてしまい、その時の意識の状態を「忘れて」しまうからです。

 また意識というものは森羅万象、全てと繋がっているために、遠隔地の出来事や、過去の記憶や、未来の可能性を「情報」として感得することも可能ですが、本人の目的意識、自覚意識の程度に応じて、相応のフィルターが掛かるために、その分「不確かさ」が増えるものです。

●潜在している、より大きな意識

 表面での意識・思考活動や感情表現、これを「顕在意識」とするならば、「夢」の状態を含む潜在下といわれる意識は、「潜在意識」といわれるものです。存在してはいるが、現われていない・顕在していない意識状態、これを「潜在意識」と言っています。実在するが普段はそれを意識していない状態・・とも言えるでしょう。

 顕在意識は、いつも外の世界との接点にある意識です。そう、今も行っている、瞬間瞬間の思いや感情、五感による刺激を伴う意識活動です。また、それらの毎瞬の意識活動は全て記憶され続けています。たまに夢で幼い頃のことや、忘れてしまったはずの古い出来事が、「夢」で映像になって出る時があります。そんなこと全然考えてもいないにもかかわらず、「夢」という状態でポッと出てきて驚くことが誰にもあります。 これは体験映像や感情、思いなどの意識経験が、すべて記憶されているという証拠です。

 このように、生まれてからの事は全て記憶されており、潜在意識の中に存在しているのですが、表面の意識がそれを「意識」しないために、普段は「存在しない」ように錯覚しているだけ、忘れられているだけなのです。ここまでのこと、顕在意識、潜在意識という「意識状態」があることは、臨床心理学、生理学などでも違和感がないものでしょう。

●普段意識されない意識=潜在意識

 まさにパソコンと同じく、全ては履歴情報として記録されているにも関わらず、それにアクセスしないだけのことです。人生体験の数々、これらは記憶として残されますが、パソコンでの機能・操作と同じく、再びそのファイル(記憶)を呼び出した場合には、そのときのイメージ映像や感情なども、臨場感そのままに再現されるのものです。

 しかしながら、TPOに合わない古い情報を、いきなりランダムにアクセスした場合は、現状に合わない為にしっくりとこないものです。一連の意味が繋がらない、意味不明な情報というわけです。「夢」も当初はそのように感じるため、意味の無い脳髄の信号の映像化などとして捨ててしまいう傾向があります。

●「夢」は潜在意識下への、1つのアクセスルート

 「夢」は、確かに表面意識の意図に沿わない、一見無意味な情報アクセス状態といって良いものです。また夢を、それを「夢」と認識する為には、その夢を「憶えて」いなければなりません。すなわち、表面意識レベルでそれを意識し、記憶していなければならないのです。様々な夢のうちで憶えているものが「夢」なのです。

 「夢」を見た直後の半覚醒状態では、それを実にハッキリ覚えていますが、不思議な事に、直ぐに忘れてしまうことがよくあるものです。夢を見た記憶だけが残り、すぐに中身などは不思議にあっという間に忘れてしまうものです。そのうち、そのこと自体も忘れてしまいます。絶対憶えているとその時思っていても、不思議に、忘れてしまうことも多いものです。

 ところが、メモなど取ったりして、その夢を憶えておこうと意識的に努力することで、潜在意識に顕在意識からの光を当てることになり、その潜在意識下から来る様々な情報に、次第に気付くようになります。当初は一見無意味に思えた夢の内容に大きな意味があることが次第に解ってきます。

 例えば、はめ絵パズルも全くそのようなものであり、1ピース1ピースが、当初は何の断片なのかさっぱり解りませんが、進めてゆくうちに、次第に意味のある「絵」になってくるのと同じです。

●ハイアーセルフが垣間見える

 夢は当初は表面意識・顕在意識に沿ったものではありませんが、逆に表面意識でとりあげなければ「夢」にならないのです。ここに重大な秘密があります。その秘密とは、普段の顕在意識でない「別の意識」が、一見脈絡のない「夢」を見せ、「あなた」という顕在意識にそれを知らせている・・ということです。普通にあれこれ行なっている、普段の現実的な「わたし」以外の「わたし」が夢を見ている、見させている・・ということです。

 「普段のわたし」以外の「別のわたし」が夢を見ているために、「普段のわたし」にとっては、それがチンぷん・カンプンになってしまうのも無理はありません。目が覚めた時に 「何なんだ?あの夢は・・」 と感じる所以です。

 「普段のわたし」以外の「別のわたし」・・、それは実は「大いなるわたし=ハイアーセルフ」の一部がそこに顕在化している証拠と考えられるのです。極端に言えば、あなたのハイアーセルフが、あなたに夢を見させているということです。

 簡単に言えば、表面意識である「わたし」ではない、さらに大きな潜在意識をも含む「わたし」が出てきているということです。

●夢は意識周波数のシフトした状態

 夢の状態での(ハイアーセルフからの)メッセージが理解しやすいのは、肉体や顕在意識が休んでいて、外乱が少ない状態である為です。五感で忙しい状態では外の世界に意識の焦点が行っており、ハイアーセルフ等眼中にありませんが、瞑想やリラックスした状態では、ふとしたことに気付くものです。 

 外の世界のみに意識の焦点があれば、内なる情報源ともいえる夢など、なんの意味もないと感じるのも頷けます。逆に、自分自身の方向に意識の焦点がある時には、それに気付きやすいのでしょう。TVラジオの同調周波数が、別の周波数に無意識にシフトした状態とも言えます。

●潜在意識を超えた意識

 実は生まれる前の記憶も、さらにその潜在意識を含む形で存在しているのですが、「連続した生まれ変わり」 の事にも、「生き通しの生命形態」にも、全く気付いていない意識状態では、まさにその意識の選択どおりに、夢などで見る内容は、潜在意識での「生後」の記憶に限られています。 

 生命の普遍的な連続などを理解しようとしない現代科学のレベルでは、心理学で言う「(生後の)潜在意識」が精一杯のようです。

●過去生は超意識からの情報

  現在の生活や生き様に全く無関係な「夢」も憶えているようになるものです。その不可思議とも感じるレベルの「夢」は、そもそも本人が意図しない内容であるわけであり、従って、顕在意識の勝手な想像と切り捨てる事はできないものなのです。

 「生まれ変わり」 もあり得るという観点を、理解できる意識状態になった人には、文字通り、「過去生」なる記憶?等がポツポツと湧出してきます。 夢に対して意識的になるにつれ、ひょっとして過去生かもしれない?あるいは自分を含む広範囲の世界に関する有意味な情報かも知れない?・という「夢」も体験するようになるでしょう。もちろん、それらは幼いときの事を思い出す以上に現実離れしたものと感じてしまうため、そのような夢も容易に忘れ去る傾向があります。

●普段の自分では思いもよらない「夢」に注意

 勝手な思い込みであれば、都合の良いことばかりを想像することになりますが、それがそうでもないところを、決して見逃してはならないようです。また脳内シナプスの勝手な信号の映像化であるという切り捨ては、それこそ人間は肉体であるという観念体系そのものであり、意識、生命などとは無縁な方面からの思い込みと思われます。

●必要なのは、掘り下げる自助努力

 「夢」が現実離れしているからとして、全てを捨て去る行為は、金鉱脈を前にして、金が延べ棒になっていないじゃないか!何処に金があるんだ!と言っているようなものであり、与えられることが当然と思っている幼さを示しているようです。

 真に重要なメッセージは、解りやすく加工されて、与えられる事はないものです。それなりの努力や成長は、いつでも何処でも必要なものであり、まさにその為の、メッセージでもあります。夢情報もそういう意識進化を促す働きの一側面なのです。

●フルコンシャスネス(統合意識)への階段

 偶然や刹那だけの生命観を越えた、大きな生命の在り様に気付くようになると、この人生体験で形成された潜在意識もさることながら、さらに過去生といわれる体験記憶をも含んだものや、来世の可能性等の情報も少しづつ意識されてくるようです。これを「超意識」からのにじみだしと呼んでもいいかも知れません。

 超意識は、顕在意識、潜在意識を含んだより大きな意識であり、「ハイアーセルフ」といわれる「真のわたし」が存在している意識フィールドと言えるでしょう。実は今もいつも、同時に存在しているのですが、現状はこの世界、すなわち今の物理次元に「意識」をフォーカスしているために、それに気付かない状態であり、「大いなるわたし」自身を忘れているだけのことです。

 それに気付いて、実感してゆく程度に応じて、ステップアップして行くのだと思われます。そのための段階、階層もあるようであり、古代からメンタル、アストラル、コーザル等と言われている高次の複数の階層・ボディー等と密接に繋がっていると思われます。

やはり、「汝自身を知れ」という奥深い言葉の中に「全て」が凝縮されています。

(つづく)

   

  Nature1016

次回は自分自身の実際の意識体験とその分析などをご紹介する予定です。    

本日も拙い記事をご覧頂きまして、誠にありがとうございました。