普通、私は何か?と改めて問うならば、
あなたはどう答えるだろうか?
既に説明したように、わたしの身体感覚、
見ること、聞くこと、味わうことなどをしている、
この体のことだと感じているのである。
この体無くして人格も、人生の履歴、記憶もない。
記憶や精神作用は、頭脳で生成されている・・と、
そう信じているはずだ。
信じている?というより、世の人々、学者なども、
そうだと思い、また説明しているために、
それが事実当たり前だと、
そう思っているだろう。・・・そうではないか?
事実私個人(筆者)もそうだったから、よくわかる(笑)。
いや、これを見ている読者の中には、
「確かに、真実は・・そうではないかも」という、
驚天動地の感覚を既にお持ちの方もいるかもしれない。
何せ、このブログ自体が一風変わった?ブログだから(笑)、
それ観ていること自体が、どこか分かっているかもしれない、
そういう事を示している。
・・・
「私とは・・この体」であるとすることは、
どこが間違いかと言うと、
いやそれは間違いではなく、
いわばこの世的、3次元空間認識的見解であるということだ。
簡単に言えば、視点の違い、見解の違いとも言えよう。
私個人という肉体が、わたしである・・、
それは、真実ではなく、見解、認識に過ぎないという事だ!
平たく言えば、そう思っている・・ということ、
それも大勢の人々が、今までの大多数の人々が、
学者のように明確に、あるいは大衆のように漠然と、
そう思っていた・・ということだ。
「事実」ではなく・・「思考」であったということだ。
・・・
バカな!そんなわけない・・阿保かっ!
そう思う人も必ずいる。
そう思っている・・分けないのに、
体はこのままであって、年を取りつつも維持しなければならず、
小さな体が含まれる、さらに大きな外の世界があって、
例えば、ニューヨークがあって、エジプトがあって、
はたまた国会では、国民の金を浪費しつつ、
バカな議論がされて、中東では悲惨で陰湿な戦争があるではないか!
わたしが、そんな世界を「思考」しているというのか?
ああ、いつも疲れる人間関係も、
金稼ぐための仕事も毎日行わなければならず・・、
世界で目立つ者たちは、まるで阿保の集合のように感じる
そんな事思っているわけはないじゃないか。
バカ言うな!
わたしがそう”思っている”から、身体があって、人間関係、
その集合である社会、そして国、世界、71億人がいるというのか?
わたしは個人として、肉体として・・その中にいる・・
これが事実、そうだろう・・?
・・・
と、そう”想っている”のである。
私とは・・有機的肉体のかたまりであるという、
漠然として、常識と化していた、集合意識的な「見解」
あるいはそういう想念(思うことの集合・記憶の束)という、
視点であったということだ。
簡単に言えば、そう思っている・・いや、
そう思っていたわけだ。

(つづく)
あなたはどう答えるだろうか?
既に説明したように、わたしの身体感覚、
見ること、聞くこと、味わうことなどをしている、
この体のことだと感じているのである。
この体無くして人格も、人生の履歴、記憶もない。
記憶や精神作用は、頭脳で生成されている・・と、
そう信じているはずだ。
信じている?というより、世の人々、学者なども、
そうだと思い、また説明しているために、
それが事実当たり前だと、
そう思っているだろう。・・・そうではないか?
事実私個人(筆者)もそうだったから、よくわかる(笑)。
いや、これを見ている読者の中には、
「確かに、真実は・・そうではないかも」という、
驚天動地の感覚を既にお持ちの方もいるかもしれない。
何せ、このブログ自体が一風変わった?ブログだから(笑)、
それ観ていること自体が、どこか分かっているかもしれない、
そういう事を示している。
・・・
「私とは・・この体」であるとすることは、
どこが間違いかと言うと、
いやそれは間違いではなく、
いわばこの世的、3次元空間認識的見解であるということだ。
簡単に言えば、視点の違い、見解の違いとも言えよう。
私個人という肉体が、わたしである・・、
それは、真実ではなく、見解、認識に過ぎないという事だ!
平たく言えば、そう思っている・・ということ、
それも大勢の人々が、今までの大多数の人々が、
学者のように明確に、あるいは大衆のように漠然と、
そう思っていた・・ということだ。
「事実」ではなく・・「思考」であったということだ。
・・・
バカな!そんなわけない・・阿保かっ!
そう思う人も必ずいる。
そう思っている・・分けないのに、
体はこのままであって、年を取りつつも維持しなければならず、
小さな体が含まれる、さらに大きな外の世界があって、
例えば、ニューヨークがあって、エジプトがあって、
はたまた国会では、国民の金を浪費しつつ、
バカな議論がされて、中東では悲惨で陰湿な戦争があるではないか!
わたしが、そんな世界を「思考」しているというのか?
ああ、いつも疲れる人間関係も、
金稼ぐための仕事も毎日行わなければならず・・、
世界で目立つ者たちは、まるで阿保の集合のように感じる
そんな事思っているわけはないじゃないか。
バカ言うな!
わたしがそう”思っている”から、身体があって、人間関係、
その集合である社会、そして国、世界、71億人がいるというのか?
わたしは個人として、肉体として・・その中にいる・・
これが事実、そうだろう・・?
・・・
と、そう”想っている”のである。
私とは・・有機的肉体のかたまりであるという、
漠然として、常識と化していた、集合意識的な「見解」
あるいはそういう想念(思うことの集合・記憶の束)という、
視点であったということだ。
簡単に言えば、そう思っている・・いや、
そう思っていたわけだ。

(つづく)