●想念も高次の波動エネルギー
想いや思考は何か頭の中で生じる、何か空虚なものだと思っている人が多いかもしれない。
じつはこれは嘘である。
目に見えないものは存在しない、あるいは役に立たない、あるいは飯のタネにならない?・・。
そんな唯物論的「思考」で作られている、完全な誤解・あるいは虚偽、または無知を意味する。
人は皆、多次元存在、多次元エネルギー体、多次元意識体である以上、
思考や想いも、その振動帯域が異なるものの、その人の身体と同じ「エネルギー波動」である。
例えば人が頭のなかに描く「思い出」や「過去の光景」等は、記憶の再生等と言っているが、
その画像イメージはまさしく「情報」であることがわかるだろう。
そう「情報」であるからこそ、加工や、計算や記憶も出来るのである。
また情報は必ず媒体なる波動を伴なうのだ。
「情報」は波動であり、内容がその波動に重畳されて伝搬するのは、
スマホや携帯電話、TVラジオ等でも明らかであろう。
パソコンやスマホの画面、そこに映る映像は何かと言えば、
通信用の電磁波に重畳された「情報」であり、それを液晶画面を通じて見ているということだ。
そして、
貴方の頭の中に描くイメージも「情報」であり、従って、
思考やイメージは、それはつまり「波動」と「情報」を意味しているのだ。
これは宇宙全体に貫いて在る・・「意識」と「意図」の関係である。
「意識」は宇宙を貫く波動であり、「意図」は想い、イメージということ。
・・・
●想いは多次元に伝搬している
つまり、人間の想いや感情は、・・あらゆるところに受信・発信伝搬しているということ。
もっとも、その波動は肉眼視を超えた、極めて振動の高いエネルギー帯域、
言うなれば精神あるいは意識領域の波動であるため、
今までの現代科学では検出が難しいと言うだけの話であって、
あなたの頭に思考やイメージが・・生起・消滅する・・ということは、
それが波動として受・発信・伝搬されていることなのである。
貴方の想いは、あらゆる宇宙の領域に放送されていることになる。(笑)
おー、マイ、GOD!
常識に固まった人々は、そんなこと露も知らず、知らされず、教育も受けず、
従ってそういう現象が存在するという認識がないために、全然気づかないだけの話なのだ。
嘘もばれなきゃ良いじゃないか、うまく隠しおおせれば儲けもの、
嘘も繰り返せば本当に見える・・・・・そんなことやっている者は実際結構多いだろう?
特に目立ちたがり屋が集合している、政治や経済や利権の世界に、・・・(笑)
でも、いつまでも騙され続ける必要などありゃしない。
●真実情報は内面から来る
例えば、
ある人と話していて、「ふと」その人の考えていることが「わかった!」感じがしたことはあるだろう?
ある人と一緒にいて、その人が好意持っているか、嫌悪しているか・・何か魂胆があるか・・
表情と会話内容の裏腹にある「想い」を、なぜか身体の一部や感情面に感じたことはあるだろうか?
・・・
こういう内面情報のやり取りは、人が道端に簡単に見ることが出来る「石ころ」物体情報とは、全く異なる情報であるために、
全てが物だ、銭だ、金しか価値がない・・というような唯物論的精神状態、
霊的・意識的な領域の概念がない場合は、内から来る真実情報をまったく検知出来ないことになるのだが、
実際には間違いなく波動情報として存在しているのである。
有るのだが・・気付いていない・・意識的同調状態にいないということ、
あるいは気づかない様に大勢の人の観念を方向づけしていることもあるだろう。
これはいわゆる見えないマトリクス的洗脳支配である。
そう、何ごとも「対象」として「気付かなければ」現れようもない・・・
・・・
●自分の想念に気付かぬ不可思議さ
想念は「精妙な波導域」の情報の受発信・伝搬現象として存在している。
いつも人間の頭の中、こころの中を無数に去来しているわけだが、
ところが・・・、実に不思議なのだが、
想念が自分の中に年中沸き起こるにも関わらず、
人々はこの、自分の中に沸き起こる思考やイメージに相当に無頓着なのではないだろうか?
人生や経験、はたまた転生にも影響する「種」に関して、相当に無頓着ということだ。
そう、これは、この次元世界に支配的な、様々な別の思考・想念形に洗脳、餌付けされている姿を物語っている。
ある意味で、これこそ・・魂が眠っている状況を意味していたのだ。
自己を見失っていた・・自己内面からの情報を見失っていた・・・
魂レベルの真実情報を見失っていた・・ということだ。
●人の想いが伝わる実証実験
人の想念、思考や感情が波動情報として伝搬することについて、1つ実証実験的な話がある。(下記はあるサイトの記事から採用した)
-------------
バクスター効果について
1964年、クリーブ・バクスターはこのポリグラフを、近くにあったドラセナの鉢植えに付けてみることにしました。
植物に水やりをしたあと、根から葉にのぼる水量の増加によって起こるはずの電気伝導率の変化を読みとろうとしたのですが、何も起らなかったため、彼は植物を拷問にかけてやろうと思い立って、葉の先端を熱いコーヒーにつけてみました。
これでも何も起こりませんでした。
次ぎに、マッチを使って葉を燃やしてしまおう、と考えたその時です。ポリグラフの記録ペンの軌跡に劇的な変化が現れたのでした。
そして実際にマッチを探すために部屋を出て、戻ったときにも同じように激しい反応が現れたのです。実際にマッチの火を近づけたときの反応は、それほど激しくはありませんでした。
しかも、葉を燃やすふりだけしてみたところ、全く反応はなかったのです。
このことから、植物は人間の考えていることが分かるらしい、しかも、本気の時と見せかけの時を見分けることもできるらしいということが分かったのです。
そうしてバクスターは、植物が身にふりかかる危険について察知するらしいことを発見し、ある種の基礎的なレベルの知覚があると確信するようになりました。
彼はそれを「基礎的知覚」と名付け、その存在を証明するために、その後も引き続き実験を行ったのです。
この反応は、自分に対してだけでなく、仲間の植物や他の生物に及ぶ危害についても同様に反応します。
(参考:アースワークス・ちくま文庫 1986)
-----------
●植物も想念を受発信する
アメリカのバクスター氏が、ウソ発見器の電極を植物に取り付けて実験している時に、
人間の強烈な思いに植物が明らかな反応を見せたという記録である。
ここでは、犯罪捜査で虚偽を判定する手段の1つであるウソ発見器(ポリグラフ)が検証機器となって、植物の生体反応が微小な電気信号に変換されて検出されたわけである。
人間の想いや感情、意図 ⇒ 植物への生体化学反応・・・の実験だ。
想いや感情が、直接波動伝搬して、植物が生体化学反応しているということである。
つまり、思考やイメージが「直接」伝わっているということを意味する。
直接・・と言う表現は、現代科学ではその情報を媒介する波動が未だ何なのかわからないということ。
ただ言えることは、
「想念」は・・音波や光波、圧力波など、五感で知覚できる波動域をはるかに超えた、
より振動数の高い帯域の波動であるということだ。
植物がペラペラ喋るわけではないが、人間の想念・感情が・・すべて伝わっているということだ。
こういう話、植物や動物を愛でる人たちには理解可能であろう。
●人の想いは多次元放送
ところが、どっこい、知らぬは人間ばかりなり・・?
常識で固まった人にとっては、想いが伝わる事など知らないゆえに
「表面意識に現れない」わけだが、何を隠そう・・・
誰・彼の想いの、嘘や本当も・・全世界にそのまま伝わっている事に気付くべきである。
詐欺師が上面(うわずら)を美しく装って、身体表現、言動よろしくその中に大きな嘘を隠していても、
実際にはまったく筒抜けなのであるが、知らぬ存ぜぬ人々は、それに気づかぬだけ。
想念は波動実態であることを知らないため、それを検知、察知出来ずいつも騙されてしまうという寸法だ。(笑)
なるほど今の時代は、それに気づけるための、ウソと騙しと混迷に満ち満ちた終末の世の現出とでも言えようか。
こんな時代、今までなかっただろうに・・・。
●意識空間を静謐に保つ
例えばの話、現代社会に五万と渦巻く、陰謀や、嘘や誠を判別するには、
その対象に意識を集中し、かつ情報を受信する為の・・『静謐な意識状態に』ある必要があるということだ。
そうすれば、多くの人が何気なく使っているスマホや電話と同じく、内面を通じて必要な情報が得られることになる。
外側の世界に、真実を探す人もいるだろうが、
外の世界は物的、想念的に雑多な結果報告の集積であって、何が真実かは、
結局それは、内面からの直観によることを、肝に銘ずべしなのである。
●混迷の時代に必要な「直観・真知」
有用なアイデアの発案も、人生においての岐路の選択も、
余計な災厄を避けることも、事象の真実を見通すことも、
そういう意識のプロセスにおいて可能となる。
つまり大切なのは・・いわゆる内から起きる「直感」というやつだ。
ここで言う「直感」とは、
こころを空(くう)にしておくことで、
必要に応じて・・その意識内に湧き上がる情報のこと。
単なる希望妄想や自己都合なイメージ創出のことではない。
もっと詳しく言えば、無心・・であること、こころを空にしておくことだ。
とはいえ、決してこれは「想い」を無くするように力むことではなく、
「こころ」そのものが・・空(くう)であり、
その空の中に様々な想いが湧き上がり、伝搬していることに気付くことである。
何か偏った想念形で、意識空間が占有されていない有様のことである。
●こころという魔法の杖の使い方
推進すべき時は・・目的の想念を意識内に占有保持し、
直感を得る時は・・意識内を空(くう)にするのである。
今まで人はその時々の様々な「想い」にのめりこみ、囚われていたことを悟る必要がある。
「この野郎、馬鹿め、絶対許さない、・・あー悲しい、なんと卑劣な・・」
その「想い」に引っかかり、囚われることで、小さな世界で輪廻転生をすることにもなるわけなのだ。
1つの想いや感情に捉われることで、憎しみや恨み、後悔や自責の念に執着してしまい、
それを解消、昇華するために、小さな閉鎖世界で更に輪廻転生していたということだ。
それはもう終わりを迎えている以上、
今は、魂達がそれに気づけるためがゆえの、混迷に満ち満ちた終末の世の現出であろうか。
●意識を自らで上げよ
人間社会の全ての現象の動因である「想念」に気付き、
その「想念」に囚われず、ましてや他人の嘘や無知に振り回されることなく、
こころを空(くう)に出来る意識レベルまで自らを持ち上げようか。
そうして思考やイマジネーションという創造の杖を使うようになる時なのである。
全ての人々の想いは、宇宙の高次元的領域では、全く筒抜けであると同時に、
あらゆるところに通じているのである。
当然ながら・・・、すべてはひとつ・・であるからには、
意識がより高振動領域に同調すればそれだけ情報量も増え、
今まで見えなかった様々な物ごとが、パノラマのごとく一望されることになるのである。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
想いや思考は何か頭の中で生じる、何か空虚なものだと思っている人が多いかもしれない。
じつはこれは嘘である。
目に見えないものは存在しない、あるいは役に立たない、あるいは飯のタネにならない?・・。
そんな唯物論的「思考」で作られている、完全な誤解・あるいは虚偽、または無知を意味する。
人は皆、多次元存在、多次元エネルギー体、多次元意識体である以上、
思考や想いも、その振動帯域が異なるものの、その人の身体と同じ「エネルギー波動」である。
例えば人が頭のなかに描く「思い出」や「過去の光景」等は、記憶の再生等と言っているが、
その画像イメージはまさしく「情報」であることがわかるだろう。
そう「情報」であるからこそ、加工や、計算や記憶も出来るのである。
また情報は必ず媒体なる波動を伴なうのだ。
「情報」は波動であり、内容がその波動に重畳されて伝搬するのは、
スマホや携帯電話、TVラジオ等でも明らかであろう。
パソコンやスマホの画面、そこに映る映像は何かと言えば、
通信用の電磁波に重畳された「情報」であり、それを液晶画面を通じて見ているということだ。
そして、
貴方の頭の中に描くイメージも「情報」であり、従って、
思考やイメージは、それはつまり「波動」と「情報」を意味しているのだ。
これは宇宙全体に貫いて在る・・「意識」と「意図」の関係である。
「意識」は宇宙を貫く波動であり、「意図」は想い、イメージということ。
・・・
●想いは多次元に伝搬している
つまり、人間の想いや感情は、・・あらゆるところに受信・発信伝搬しているということ。
もっとも、その波動は肉眼視を超えた、極めて振動の高いエネルギー帯域、
言うなれば精神あるいは意識領域の波動であるため、
今までの現代科学では検出が難しいと言うだけの話であって、
あなたの頭に思考やイメージが・・生起・消滅する・・ということは、
それが波動として受・発信・伝搬されていることなのである。
貴方の想いは、あらゆる宇宙の領域に放送されていることになる。(笑)
おー、マイ、GOD!
常識に固まった人々は、そんなこと露も知らず、知らされず、教育も受けず、
従ってそういう現象が存在するという認識がないために、全然気づかないだけの話なのだ。
嘘もばれなきゃ良いじゃないか、うまく隠しおおせれば儲けもの、
嘘も繰り返せば本当に見える・・・・・そんなことやっている者は実際結構多いだろう?
特に目立ちたがり屋が集合している、政治や経済や利権の世界に、・・・(笑)
でも、いつまでも騙され続ける必要などありゃしない。
●真実情報は内面から来る
例えば、
ある人と話していて、「ふと」その人の考えていることが「わかった!」感じがしたことはあるだろう?
ある人と一緒にいて、その人が好意持っているか、嫌悪しているか・・何か魂胆があるか・・
表情と会話内容の裏腹にある「想い」を、なぜか身体の一部や感情面に感じたことはあるだろうか?
・・・
こういう内面情報のやり取りは、人が道端に簡単に見ることが出来る「石ころ」物体情報とは、全く異なる情報であるために、
全てが物だ、銭だ、金しか価値がない・・というような唯物論的精神状態、
霊的・意識的な領域の概念がない場合は、内から来る真実情報をまったく検知出来ないことになるのだが、
実際には間違いなく波動情報として存在しているのである。
有るのだが・・気付いていない・・意識的同調状態にいないということ、
あるいは気づかない様に大勢の人の観念を方向づけしていることもあるだろう。
これはいわゆる見えないマトリクス的洗脳支配である。
そう、何ごとも「対象」として「気付かなければ」現れようもない・・・
・・・
●自分の想念に気付かぬ不可思議さ
想念は「精妙な波導域」の情報の受発信・伝搬現象として存在している。
いつも人間の頭の中、こころの中を無数に去来しているわけだが、
ところが・・・、実に不思議なのだが、
想念が自分の中に年中沸き起こるにも関わらず、
人々はこの、自分の中に沸き起こる思考やイメージに相当に無頓着なのではないだろうか?
人生や経験、はたまた転生にも影響する「種」に関して、相当に無頓着ということだ。
そう、これは、この次元世界に支配的な、様々な別の思考・想念形に洗脳、餌付けされている姿を物語っている。
ある意味で、これこそ・・魂が眠っている状況を意味していたのだ。
自己を見失っていた・・自己内面からの情報を見失っていた・・・
魂レベルの真実情報を見失っていた・・ということだ。
●人の想いが伝わる実証実験
人の想念、思考や感情が波動情報として伝搬することについて、1つ実証実験的な話がある。(下記はあるサイトの記事から採用した)
-------------
バクスター効果について
1964年、クリーブ・バクスターはこのポリグラフを、近くにあったドラセナの鉢植えに付けてみることにしました。
植物に水やりをしたあと、根から葉にのぼる水量の増加によって起こるはずの電気伝導率の変化を読みとろうとしたのですが、何も起らなかったため、彼は植物を拷問にかけてやろうと思い立って、葉の先端を熱いコーヒーにつけてみました。
これでも何も起こりませんでした。
次ぎに、マッチを使って葉を燃やしてしまおう、と考えたその時です。ポリグラフの記録ペンの軌跡に劇的な変化が現れたのでした。
そして実際にマッチを探すために部屋を出て、戻ったときにも同じように激しい反応が現れたのです。実際にマッチの火を近づけたときの反応は、それほど激しくはありませんでした。
しかも、葉を燃やすふりだけしてみたところ、全く反応はなかったのです。
このことから、植物は人間の考えていることが分かるらしい、しかも、本気の時と見せかけの時を見分けることもできるらしいということが分かったのです。
そうしてバクスターは、植物が身にふりかかる危険について察知するらしいことを発見し、ある種の基礎的なレベルの知覚があると確信するようになりました。
彼はそれを「基礎的知覚」と名付け、その存在を証明するために、その後も引き続き実験を行ったのです。
この反応は、自分に対してだけでなく、仲間の植物や他の生物に及ぶ危害についても同様に反応します。
(参考:アースワークス・ちくま文庫 1986)
-----------
●植物も想念を受発信する
アメリカのバクスター氏が、ウソ発見器の電極を植物に取り付けて実験している時に、
人間の強烈な思いに植物が明らかな反応を見せたという記録である。
ここでは、犯罪捜査で虚偽を判定する手段の1つであるウソ発見器(ポリグラフ)が検証機器となって、植物の生体反応が微小な電気信号に変換されて検出されたわけである。
人間の想いや感情、意図 ⇒ 植物への生体化学反応・・・の実験だ。
想いや感情が、直接波動伝搬して、植物が生体化学反応しているということである。
つまり、思考やイメージが「直接」伝わっているということを意味する。
直接・・と言う表現は、現代科学ではその情報を媒介する波動が未だ何なのかわからないということ。
ただ言えることは、
「想念」は・・音波や光波、圧力波など、五感で知覚できる波動域をはるかに超えた、
より振動数の高い帯域の波動であるということだ。
植物がペラペラ喋るわけではないが、人間の想念・感情が・・すべて伝わっているということだ。
こういう話、植物や動物を愛でる人たちには理解可能であろう。
●人の想いは多次元放送
ところが、どっこい、知らぬは人間ばかりなり・・?
常識で固まった人にとっては、想いが伝わる事など知らないゆえに
「表面意識に現れない」わけだが、何を隠そう・・・
誰・彼の想いの、嘘や本当も・・全世界にそのまま伝わっている事に気付くべきである。
詐欺師が上面(うわずら)を美しく装って、身体表現、言動よろしくその中に大きな嘘を隠していても、
実際にはまったく筒抜けなのであるが、知らぬ存ぜぬ人々は、それに気づかぬだけ。
想念は波動実態であることを知らないため、それを検知、察知出来ずいつも騙されてしまうという寸法だ。(笑)
なるほど今の時代は、それに気づけるための、ウソと騙しと混迷に満ち満ちた終末の世の現出とでも言えようか。
こんな時代、今までなかっただろうに・・・。
●意識空間を静謐に保つ
例えばの話、現代社会に五万と渦巻く、陰謀や、嘘や誠を判別するには、
その対象に意識を集中し、かつ情報を受信する為の・・『静謐な意識状態に』ある必要があるということだ。
そうすれば、多くの人が何気なく使っているスマホや電話と同じく、内面を通じて必要な情報が得られることになる。
外側の世界に、真実を探す人もいるだろうが、
外の世界は物的、想念的に雑多な結果報告の集積であって、何が真実かは、
結局それは、内面からの直観によることを、肝に銘ずべしなのである。
●混迷の時代に必要な「直観・真知」
有用なアイデアの発案も、人生においての岐路の選択も、
余計な災厄を避けることも、事象の真実を見通すことも、
そういう意識のプロセスにおいて可能となる。
つまり大切なのは・・いわゆる内から起きる「直感」というやつだ。
ここで言う「直感」とは、
こころを空(くう)にしておくことで、
必要に応じて・・その意識内に湧き上がる情報のこと。
単なる希望妄想や自己都合なイメージ創出のことではない。
もっと詳しく言えば、無心・・であること、こころを空にしておくことだ。
とはいえ、決してこれは「想い」を無くするように力むことではなく、
「こころ」そのものが・・空(くう)であり、
その空の中に様々な想いが湧き上がり、伝搬していることに気付くことである。
何か偏った想念形で、意識空間が占有されていない有様のことである。
●こころという魔法の杖の使い方
推進すべき時は・・目的の想念を意識内に占有保持し、
直感を得る時は・・意識内を空(くう)にするのである。
今まで人はその時々の様々な「想い」にのめりこみ、囚われていたことを悟る必要がある。
「この野郎、馬鹿め、絶対許さない、・・あー悲しい、なんと卑劣な・・」
その「想い」に引っかかり、囚われることで、小さな世界で輪廻転生をすることにもなるわけなのだ。
1つの想いや感情に捉われることで、憎しみや恨み、後悔や自責の念に執着してしまい、
それを解消、昇華するために、小さな閉鎖世界で更に輪廻転生していたということだ。
それはもう終わりを迎えている以上、
今は、魂達がそれに気づけるためがゆえの、混迷に満ち満ちた終末の世の現出であろうか。
●意識を自らで上げよ
人間社会の全ての現象の動因である「想念」に気付き、
その「想念」に囚われず、ましてや他人の嘘や無知に振り回されることなく、
こころを空(くう)に出来る意識レベルまで自らを持ち上げようか。
そうして思考やイマジネーションという創造の杖を使うようになる時なのである。
全ての人々の想いは、宇宙の高次元的領域では、全く筒抜けであると同時に、
あらゆるところに通じているのである。
当然ながら・・・、すべてはひとつ・・であるからには、
意識がより高振動領域に同調すればそれだけ情報量も増え、
今まで見えなかった様々な物ごとが、パノラマのごとく一望されることになるのである。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。
一言一言わくわくしながら読ませていただいています。今日はここがとても心に残りました。
『●意識を自らで上げよ
人間社会の全ての現象の動因である「想念」に気付き、
その「想念」に囚われず、ましてや他人の嘘や無知に振り回されることなく、
こころを空(くう)に出来る意識レベルまで自らを持ち上げようか。
そうして思考やイマジネーションという創造の杖を使うようになる時なのである。
全ての人々の想いは、宇宙の高次元的領域では、全く筒抜けであると同時に、
あらゆるところに通じているのである。
当然ながら・・・、すべてはひとつ・・であるからには、
意識がより高振動領域に同調すればそれだけ情報量も増え、
今まで見えなかった様々な物ごとが、パノラマのごとく一望されることになるのである。』
実践が大事ですね。日々の積み重ねが大切と思われますが、意識を上げるにおいての注意点とかアドバイスをお願いできたらと思います
丁寧に記事をご覧いただき、誠に有難うございます。
---
そうですね。絶対的に大切なのは実践です。
実践とは、ばたばた肉体レベルで行為、行動することではなく、自らの「在る」ことを”深く理解”してゆくことです。
深く理解してゆくことは「自ら」を知ってゆくことです。
知るというのは当初は心、思考を使って自らのことを思い巡らせることですが、つまり真実の探求・求道ですね。
その先にあるのが--自らの”無限性、神性、永遠、絶対性”・・であることに気付いたならば、あるいは真に理解できれば、必然的にですが、
思考・心・マインドを超える”実践”が必要になります。
超えるというのは、それを対象として観ることを・・実践することです。
・・・
まず1つ有力なのが、
日常生活で起きている自分の”こころの動き”を「観察」すること。
まるで公園で遊んでいる危なっかしい子供の動きを見るように・・自らのこころの動きを観ること。
いつでもどこでも行えますが、こんな実践?誰もわかってくれず、どうでもよさそうなので、すぐに忘れるわけですが(笑)それが我(わが)ままです。
ご存知のように、瞑想はその実践の最たるものですね。
日常生活とは、マインド・心の噴出するさまを見るためにあるようなものでしょう。
どのようにお感じでしょうか?
私は活動的な性格で、一日の中では動的な部分が多く占めているように思います。
だからこそ 聖なる、静かなる時間を持つことが大切だと思っています。
ーーー
『深く理解してゆくことは「自ら」を知ってゆくことです。』
ほんとですね。自分の内に穿ちいって行くこと・・・どれくらいできてるのかな?と思います。
『まず1つ有力なのが、
日常生活で起きている自分の”こころの動き”を「観察」すること。』
日常では感情に流されてる時と自分を見つめている時と両方あります
思いが三次元的になればなるほど、心のコントロールを失い、失速・・・果ては墜落です(笑)
守護霊様との会話も有効でしょうか?
折に触れて力をもらっている感じはします。
こうして学ばせていただいているのもその一つでしょうか
そして『自らの”無限性、神性、永遠、絶対性”』この言葉に無性に惹かれます。
胸の奥で・・気づいているよと応えているような感じです。
今世、しっかりと学んで還りたいと思うものです。
最後に・・『日常生活とは、マインド・心の噴出するさまを見るためにあるようなものでしょう。』あぁこれは、反省とともに納得です。心を掌握されてる方の言葉ですね
勉強になりました。本当にありがとうございました
いや、まったくそうですね。
「日常では感情に流されてる時と自分を見つめている時と両方あります
思いが三次元的になればなるほど、心のコントロールを失い、失速・・・果ては墜落です(笑)」
”感情に流される”・・根は、身体に関わる防衛反応から来ています。
自己の肉体・身体、そして身内等・・の生き残りのための思考と感情が根底にあります。もちろん、それはこの世界での体験をしている証でもあります。
多くの人が分離した「観念」に嵌っている、この次元世界では致し方ない部分もありますね。
でも、それにすでに気づいている・・ことが、肉体とマインドに埋没していないことを意味していますし、魂・意識と呼んでいますが、そのレベルに戻りつつあるということです。
御菓子の沢山入った瓶に、突っ込んだ手は、引っこ抜かなければお菓子は食べられないようなもんです(笑)
---
守護霊との会話・・・、つまり意識内面の高次の自己との対話という意味でしょう。ご存知のように・・守護霊それも・・あなた自身ですね。
わたしも経験しましたが、確かに意識内面から何かのメッセージというか知らせと言うか、指導というか・・そういうものが感じられるようです。
それらも・・マインド・思考・イメージ・直感等と云う形で現れますので、
常に・・内面、マインド・こころに気付いている必要があるわけです。
・・・