●転生の記憶
人々の多くは「転生」という言葉を知ってはいるが、ほとんど馴染みがないといっていい。
概念としては知ってはいても、それが自分とどう関係しているのか?
多分、それを突っ込んで探求・調査などしたことがほとんどないだろうということだ。
あなたはどうだろうか?
多分、そのような概念に全く無縁な人はこれを読んではいまい。
●過去生が無ければ来世も無いという考え
前世の記憶があるならば、わたしに転生(生れかわり)があることが理解できるが、
その前世の記憶が無いために、前が無い・・ならば、後も無い・・と、
そう言う風に考えるのは自然なことだと思うものだ。
普通は漠然とながらそういう考えを通過しているはずだ。
その思考のまま、その先を突っ込まないまま、肉体の維持できる間だけ、
忙しく人生を消費するということをやっていたということだ。
そんなもの無いと、みんなそう言っていると勝手に鵜呑みにしているわけだが、
鵜匠に使われる「鵜」は、ただ上に指示されるように魚を飲み込む者の例えだ。
与えられていない、または聞いてない、
わたしの・・今のこの意識には、過去の記憶がない・・、
なので、一切無いということにして、そのまま・・
何もしていないという事である。
それで良いと、人生を通じて思い込んでいるということだ。
皆が信じていることが正しいという考えを吹き込まれ、また、
事実ならば、教えられるはずだと・・そう思い込んでいるふしもある。
しかしながら、この世界は決してそんなお花畑的世界ではない。
●アクセスしないものは出てこない
前世記憶などは・・無いのではなく、
単に・・”アクセス”していない・・ということだ。
アクセスとはこの場合、意識探査とも言える行為だ。
原理原則を言えば、
根源・神・創造者が宇宙すべてを創っているというように、
(魂・)意識が知覚対象世界を投影しているのであって、
知覚対象世界(現象)が、意識を創っているのではないということである。
これは深く理解すべきところであって、
これを理解することは、大いなる意識転換であると言えるだろう。
●全ては気付き・意識の対象
単純に”こころが先か物が先か”というのではなく、
唯物論か唯心論かの、永遠のバトルロイヤルでもなく、
物もこころも・・いわゆる次元(波動帯)は違えど、気付き・意識の対象ということだ。
そして、
前世の記憶”情報”というのも、やはり意識の知覚対象に含まれるのである。
他人にトイレの用を済ましてもらうことが出来ないように、
自分でアクセス・知覚しないで、どうもこうもありはしない。
気付くまでは永遠に。
●アセンションは内側から外側へグレンと引っ繰り返ること
余談かも知れないが、
外側世界が変わることがアセンションだという誤解釈?も未だにあるようだが、
(集合)魂・意識の、その(波動)質に応じて、集合世界が展開するということ、
また今は、その一段の意識波動の上昇時期にあるということであるが、
これは妥当と感じられるだろうか。
内側(意識)が、外側(知覚世界)に
グレンと(一機に)
引っ繰り返る(転換)する時期(周期)とも言えよう。
なので量子的飛躍などとも言われる所以である。
量子的飛躍とは、エネルギーの増大して飽和した量子(素粒子)が、
一気にその活動位置を上昇・ジャンプするようなことである。
魂意識の波動(周波数)レベルの高い人は、
それだけ情報アクセス力もあるといえるため、
いま世界の様相がかなり変わってきていることに気づいているはずである。
●科学的実践意識へ
誰もが科学的な姿勢を重んじるというだろうが、そもそも、
科学的姿勢とは、それが事実かどうか試しつつ法則を見いだしてゆく行為である。
そして、
転生の証、前世の記憶、つまり
魂レベルの・・わたし・・の情報に関することは、
そもそも、・・わたしの意識・・の事なので、
わたし(意識)が・・為すことが必須なのである。
また、
それぞれの別のわたし(意識)達が経験して出した結果等を参考にすることも
立派に科学的な姿勢なのである。
意味不明で思わせぶりな、悟った風な謎の人達の言い分を鵜呑みに信じることではないし、
ましてや、意識的、霊的と言われる次元のことなど、
試してもいないどこかの先生が話すこと、単なる権威づけされた言説などには、
どんな真実性も妥当性も無いことに気付かなければならない。
これはよく言われる個人だけの主観的経験の話ではなく、
意識としての・・それぞれのわたし・・の科学的法則の探求なのである。
物質組成が意識を作っているはずだと言っている
頭脳や神経、裁縫組織という肉体機能を研究しているとされる科学者は、
わたし・・意識の直接の経験をせずに、ことを済まそうとしているわけであり、
それこそ単なる”思い込み”なのであるということなのだ。
真実は・・単に理論や推論だけではなく、
直接経験・・今・・生きて在る・・ことに深く気づいてゆく直接経験からくる。
そうではないか?
●今在ることの中にすべては存在する
意識は・・存在・・そのものである。
今・・在ることの中に・・・すべて、そう過去も未来もある。
あなたの転生の記憶も、いまそこに、
すでに人としての形として再現・出現しているといえるのだ。
過去も未来も・・今の瞬間・・の連続であり、
その連続という感覚は・・「記憶」の連続として形を成している。
今の気付いている・・(顕在化した)意識、
肉体的に生まれてからその時までの断片的な記憶は、
その意識表層にあるごく一部の記憶に過ぎない。
要するに、わたしとは単なる肉体であるという信念が、
意識的なアクセス範囲を狭くしているのだ。
わたしとは・・何かという・・真我への持続した問いそのものが、
前世の記憶も含む、その広大無辺な層への”アクセスキー”なのである。
この先、
外の映画の世界(変動する知覚対象世界)に巻き込まれたままか、
それを投影しているその光源(意識)に気づいてゆくか
・・今選択すべき方向性といえば、ただそれだけと言えよう。