気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

転生の話(13)想念の質

2019-10-15 07:17:55 | 語り部の章

若い時でも老いた時でも、
そして誰でも理解していることなのだが、そう、人生には限りがある。
そうではないか?

あなたやわたしが、いつまでも若い若い・・と思っていても、
いつか、気付けば・・歳をとっていることに気付くはずだ。
気付けば・・常に・・「あっ」と、時が過ぎているだろう。

そして、それに気づかぬ状況・日常の生活にいつも舞い戻る・・のである。
日常の生活とはつまり、自分の肉体、家族、社会生活を維持しなければならないという、
社会常識観念の集合で出来ており、
それから何か外れたことをすることに常に恐怖を感じているからである。

そう、色々な意味において、既成の観念から外れることは、
犯罪やら事故やら、社会的トラブルやらの恐怖の宣伝によって、
何でもかんでも、問題が起きてしまう様なイメージを植え付けられるため、
そこから逸脱、あるいは解脱することを畏怖してしまうのである。

しかしながら、「常識」という当たり前の観念体系の中にある、
実に見えにくい呪縛、強い集合意識的な傾向にはなかなか気づけない。

生まれ変わりや転生さえも、自己の意図によって生起することを知るべきである。

わたしの世界の原因としての・・自己とは、
自分の持つ体でも、それを取り巻く環境でもなく、
ましてやご先祖さまでも、時の支配者でもなく、

それらすべての対象世界に・・気付いている・・こと、
認識主体としての・・わたし・・意識・・のことである。

人が、ある意識的傾向、想念形を持続して持っているならば、
それが魂・意識におけるテンポラリーな”内部プログラム”となって、
人生やさらにその大きなサイクルを示す「転生」までも大きく影響を与えることになる。

引き寄せなどと言われる、想いによる現象誘因作用は、
何も1つの人生の中だけではなく、
より大きな幾多の人生においても有効となる法則と言えようか。

そうだ、
わたし・・意識の創る想念波動が様々な人生シナリオを描き出すと思えないだろうか?
それとも、人生・生命とは、何かあなた任せの単発・偶然の出来事だろうか?

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例えば昔、仏教僧たちが真言・念仏を唱えれば極楽浄土に行けると強調したのは、
迷信や人集めの仏教宣伝ということではなく、
念仏や真言により、少しでも想念の質を変えようとする行為によって、
今の瞬間の連続であるその時どきの人生や、
さらにその大きなサイクルである生と死、
つまり「転生」のサイクルをも改善をすべきであると説いているわけだ。

改善というよりも、より自由度のある自己表現形への意識進化とも言えよう。

つまり、生まれ変わり・転生も、想いの質、
意識における自己プログラムに沿って起こるということである。

簡単に言えば、
想い・想念、そしてそこから出力される表現・行為によって生起するということだ。

想念・想いの質が・・形として現れるわけで、
そこに嘘や隠しは全く通用しない。

そのまんま・・わたしの・・知覚する存在世界として映し出されるのである。

そして、生まれ変わる主体としての「魂」、
つまり、
あなたやわたしたちの本質としての個性化した魂・意識は、
すべて・・ひとつ・・の無限の(宇宙)意識の分化したもの、
あるいは全体の個別化という実に奇跡的な意識存在なのである。

意識存在は・・
その意識に重畳する波動、簡単に言えば想念の質によって、
それにふさわしい波動表現形、
つまり身体・環境・世界・宇宙の中心として自己顕現するということだ。

したがって、例えば、
あなたはこの世に生まれることを決めて来た・・・
等とスピリチュアルな話で言われることも、全くその通りで、
意識に生起する意図・・想念の質がシナリオになって、
そのとおりここに生まれてきたと言う事である。

ある意味で、
無知と無意識の支配してきたこの世界に「わたし」として出現すること、
今・・ここで、生きていることは・・、
そういう意図、つまり自己を忘れて再び思い出すこと、
無知・無明から雄々しく経ち返る意図があるからなのだと言えよう。

あなたは自分のことをどう想っているだろうか?

I AM THAT・・I AM.

ここで、 I(わたし) とは、
その時々の人生における肉体自我の事ではないことを、
すでに「あなた」は気付いていることだろう。



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