goo blog サービス終了のお知らせ 

気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

意識はどこにある?

2022-04-19 07:02:03 | 意識の科学(総合編)

多くの人はこの世界のことを非常に気にする。

自分が生きているこの世界がどうなるのか、

自分に直接関係する重大事であるからだ。

 

目先の生活、人間関係、経済状況に埋没している、

小さな世界に閉じ込められている人を除き、

意識の広がった人ほど世界の動きを気にするものだ。

この先、世界はどうなってしまうのか?

・・・

しかしながら、そこにある信念はどうかというと、

自分はこの世界の中に生きている生命・人間・生物であり、

世界という圧倒的な物質環境の中に従属しているというものだ。

だから、世界がどうなるということが、

自分がどうなるということに先行する

最重要問題であると考えているのだ。

・・・

しかしながら、朋よ・・、

あなたは世界の中にいるのではなく、

あなたの中に・・・世界があるという事を知らねばならないのだ。

 

そんな馬鹿な、そればっかりはあり得ない。

そう想うものである。

 

わたしはこの肉体であるという信念であれば、

この肉体の中に世界があるわけはなく、

ましてや、あの天空に輝く星々のある宇宙が、

わたしの中にあるわけがないじゃないかとなる。

馬鹿言うんじゃない、

 

しかしながら、それは観点の違いなのだ。

観点の違い?・・・

どこをどう見たって、どう考えようとも、

世界や宇宙がわたしの中にあるものか!

そう言ってはばからない。

またこんなことが思考されることもほとんどない。

・・・

確かに・・そう、

あなたが肉体・個体であれば、

あなたは、

それらを含む個体、生命体・物体の集合する世界・宇宙の中にある。

 

ところで、あなたが肉体でないとしたらどうだろうか?

わたしは・・肉体ではない?・・・

どういう意味だ?

怖いから、やめてくれ。

 

そう、

肉体そのものではなく、意識であるとしたらどうだ?

意識・・何度も何度も出て来る言葉だが、

意識は・・何かに気付いていることを意味する。

さらに、

何かを知覚することを意味する。

知覚とは・・存在を認識することだ。

山あり、川あり、空あり、目の前の機械あり、

町には人あり、犬が散歩している。

それらすべては、あなたの知覚に映し出されている対象であり、

あなたが・・気づいている対象としての存在形なのである。

そして、あなたはあなたの肉体をも意識する、

それは、あなたが気づいている対象物なのである。

いかに高性能・精密・精妙であろうと、

それをそうであると認識する・意識する・気づいている、

その事が無ければ、あらゆるすべては存在しないのだ。

・・・

つまり、あなたは肉体ではなく、意識である、

・・と、こういうプロセスで進んできたが、

あなたはどう思うだろうか?

 

自分はこの肉体である・・という今までの観念、

こんなことも考えたことすらない観点、

自分が気づいている・・意識である・・そういう観点は、

しっくり馴染まないだろうが、

これが真実であると感じないだろうか?

 

今までは肉体以外の・・わたし・・という、

そういう観点がなかったし、

探そうともしなかったし、

大勢の人がそんな話もしてこなかったし、

疑いも持つことさえも・・遥かかなたの圏外だったとしても、

いまはもう、気付いただろう。

 

その根本にあるのが、「意識」・気づいている・・

というキーワードである。

肉体・物体・環境・世界・宇宙に気づいていなくて、

肉体・物体・環境・世界・宇宙は存在しないのである。

 

日常で常にこの状態にあるのだが、

全く深掘りがなされず、世界の動く様に圧倒され、

その中で肉体が翻弄され、快感を味わい、痛手をこうむり、

あるいは棄損し、破壊され、

その知覚の激しさに注意を奪われつつ、

意識がそれに完全移入してしまい、

同じような肉体生を繰り返してきたということに、

あなたはもう、気付けるだろうか?

 

気付いていること・意識・・は、

肉体・物体・の次元では語れない。

なぜならば、肉体・物体・世界・宇宙・・

それらは、意識によって対象物とされたものである。

 

意識が様々な事物・肉体・世界・宇宙を対象化するのだ。

その逆ではない。

今までは、それが真逆とされていたのである。

 

意識はこの世界のどこにも・・形はない。

頭脳が意識を創り出す・・という医学・科学的な認識も、

単なるもっともありそうな仮定・・に過ぎない。

将来はそれが発見されるだろう?・・

どこに・・発見されるのだ?

頭脳のどこにある?

意識は・・どこにある?

どこに?・・というのは場所だ・・

 

意識はどこにもない・・。

あらゆるすべてに気付いている・・それだから、

どこかに、あそこに、肉体の中に・・

あるわけはないのである。

 

よく言われるように、この次元世界のどこかにあるわけはない。

この次元世界の上位の高次世界に・・というのも、

誤解を招く言い方である。

 

簡単に言えば、

わたしは・・すべてに気づいている者である。

気付いている様々な対象物は真のわたしではなく、

気付いていること・そのものである。

意識・気づいていることから全てが生じている。

 

それ・・である!

 

出来得れば、その意識・認識・理解を深くし、

あなたがいつか入り込んだ

3(4)次元の粗く不自由な体験ワールドから、

次元浮上すべき推進力を得る時であろう。

 

意識する内容、認識・理解の変化は、

無限性の中からの具体性の方向、

気づく方向性を明らかに変えることになり、

知覚対象世界・タイムライン、体験世界の変化へとつながってゆく。

 

変えるべき、帰るべきは・・意識である。

 

 

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、

誠に有難うございました。

 

 

 

 

 


魂:活動する想念

2022-03-27 06:15:03 | 意識の科学(総合編)

私個人、わたしなどと呼ぶ「主体」は想念である。

想念とは様々な想い・思考・記憶という活動する波動である。

想い、思考、イメージ、記憶、その再生という働きを、

いわゆる精神の働きというが、

その精神・活動する想念こそが・・「魂」というものだ。

 

その活動する想念すなわち魂は・・波動である。

波動は様々な形を創り上げ、記憶をし、それを再生し、

肉体経験を重ねながら、新たなイメージを追加しつつ成長してゆく。

そうではないか?

人の幼いころからの成長も、そうであったはずだ。

 

あなたの・・私は・・という主体感覚は・・想念によって生じている。

私は・・男だ、女だ・・わたしはあれが好きだ、こういう経験がある、

こういう経歴の持ち主だ・・などと言う「自己認識」によっている。

 

その根本にあるのは・・意識・気づいていること・・そのものであり、

その気づいている・・意識・・から・・

その気づいている対象への認識が生まれる、

そして、それらの対象認識の集合形が「想念」の束である。

 

束になって記憶された想念、膨大な想念の活きた記憶・・

それが個性ある「魂」・・といって良い。

あるレベルから言えば、あなたは想念の束・活きた記憶の集合形、

すなわち魂なのである。

 

 

今までの、いわゆる3次元的世界、

「肉体」を自己の本質とみなす存在の集合世界では、

 

肉体を経由した五感の知覚・痛覚・圧力などに気に取られるあまり、

自分は肉体であるという錯覚が真実とされ、

ちょっと深く認識したとしても、

その中枢たる頭脳である・・という錯覚で終わり、

結局、私とは身体であるという信念が出来る。

しかしながら、偶然生まれて死んだら終わり・・

現象としての肉体を・・わたしだ・・と認識することも、

そう自覚し、イメージする「想念」によっている。

そして、その想念も頭脳が作ると「思う」のだ。

くどいようだか、そう「思う」・・のである。

 

再度言うが、想念とは・・その時々の突発的な想いではなく、

それらが無数に集合・組み合わさったもの、続く記憶の連鎖であり、

物理科学的な認識で言えば、まごう事なく・・「波動」なのである。

 

魂は、意識より生じる想念の集合形、個性ある意識活動の記憶である。

また魂は・・

波動であるがゆえに・・情報(想い)が載っている。

波動であるがゆえに・・記憶があるのだ。

波動であるがゆえに・・想いの共感・共鳴が起きるのだ。

 

また波動であるがゆえに・・

時間・空間を超えて伝播するし、

そっくりそのまま転送・転移も行われる。

 

これは「魂」の・・生まれ変わりと言われるものである。

つまり、個々人の魂、根源から派生した個性ある意識は、

途切れず・・時空間、次元を超えて連続するのだ。

根源から派生した波動は、大いなる拡大をしながら、

全ての領域に伝搬するのである。

意識があり、それに気づいている者を人という。

人は、様々な波動域を経験しつつ成長拡大するのである。

 

あなたが・・・

観ている宇宙には、何兆もの銀河がある。

その銀河の中には・・数えきれない星々がある。

無数の・・文字通り無数・無限の世界があるという事は、

いったいどういう事だろうかと・・もう気づいて良い時期。

いや、想い出してよい時期なのだ。

 

 

この写真は、今いる時空から見た天の川銀河のほんの一部である。

私たちが認識する無限宇宙の一端、

認識する「対象」(宇宙)が無限なのは、

真のわたしたちが・・無限であるからに他ならない。

 

悠久なる旅のひと時に

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、

誠に有難うございました。

 

 

 

 


(39)想念の具象化

2022-02-11 06:52:06 | 意識の科学(総合編)

簡単に言えば、

意識とは人間で言えば、想うこと、考えていること、気づくこと等の

精神的な働きといえる。

あなたは起きている間、四六時中意識を活動させている。

 

日常、表層意識でふと思い浮かぶことだけではなく、

信念になった想い、常識と考えている知識、記憶された様々な経験なども、

膨大な潜在意識の層で存在しているし、

存在そのものが振動・活動しているために、

その土台(土壌)から・・日常の無数の想いが飛び出しているのだ。

その潜在意識の振動そのものが、

日常のヒントや想いや行動、言葉、表現となって、

それらが総合的に組み合わさり、

あなたの知覚する世界、

いわゆる現実という世界を創り上げているのである。

その現実の・・土台・土壌はつまり、

「意識」なのである。

 

物理的な物、物質、事物も微小な原子・素粒子で出来ていて、

それらを物理的環境などと呼んでいるが、

実際にはエネルギーの振動の合成されたものであり、

振動・波動に相違ない。

 

従って、意識は環境の元になるエネルギー・波動と考えてよい。

 

意識は、つまり思い・感情・イメージなどは、

エネルギー・振動を誘起させ、

それを知覚可能世界、現実という世界へと展開させるところの、

土台・土壌・原因となっているのである。

 

それぞれの意識(波動)が、

その周囲の知覚環境(これも波動)を投影しているのである。

・・・・

これを明らかに証拠づける実証の1つが、

水の動態によって確認することが出来るのだ。

 

知る人は知る、水博士で有名な故江本勝さんの研究が有名だ。

結論を言えば、

水は、何でもない透明の水のように見えて、

実は様々な波動・情報を記憶しているということ。

電磁波、そして人間の想いも記憶しているのだ。

水は波動の記憶媒体であり、またそれを自らの分子構造で結晶化するのだ。

 

今まで何度も記事に出した下記の写真をご覧いただければ、

何を言わんとしているか一目瞭然であろう。

まず下の写真は、学校でも習ったかもしれないが、

水が凍った状態の、雪の結晶である。

信じられないほど美しく、均斉がとれた姿をしている。

地球環境で形づくられるこのような美と調和は、

地球の生態環境、地球の意識の驚愕すべき素晴らしさを示している。

感嘆すべき美と調和ではないか。

 

水は水溶性の状態から固体状の氷になると、

このような分子構造を描き出す。

つまり大気中の水の中には、様々な意識・情報が含まれていて、

それを結晶化・具象化しているということなのだ。

 

次に、江本博士の紹介していた水の結晶の例・・、

その時に、水に対して発する「想い」の違いによって、

その水が氷となった時の、その結晶の違いを示すものだ。

 

 

 

何が違うかと言えば、その水に対して発する人間の「想念」である。

右のほうは、「ありがとう」・・・の想いを受けた水の氷の結晶で、

左のほうは、「ばかやろう」・・・の想いを受けた水のものである。

 

想いが・・水に記憶され、

氷の状態遷移時に結晶の違いとなって結実・具象化するのである。

またその氷の美しさ、均斉度、調和の具合が全く異なる様相を呈している。

ばか野郎!・・に至っては、

ぐちゃぐちゃ・混乱・めちゃくちゃと言っていい。

 

 

また、植物にクラッシックの名曲を聞かせた場合と、

激しいロックミュージックを聞かせた場合の、

生育や収穫の違いなども大きいと言われているが、

これらは波動の質、人間の想念が色々なものに、

多大な影響を与えている証拠と言えよう。

 

これらは、

太陽の光(波動・意識)が万物・生命を活かしていることと

同じ仕組みから来ているものである。

・・・・

 

人の・・意識の中身、思いの内容、感情の色合い、

感謝、慈しみ、嫌悪や憎悪・・・等‥

頭で思い浮かぶ様々な想いは、

”単なる抽象的な想い”等ではなく、

それは明らかに具象化させる振動・エネルギーであり。、

確実に波動・情報となって周囲に発信されているということだ。

 

想念が見えないから・・実体がないのではない!

ところがどっこい、

実体を創り上げる側のエネルギーなのである。

 

波動の高さ・低さとも言い換えられようが、

あなたの想い、その想いの質的な内容は常に周囲へと伝搬され、

記憶され、具象化するように促されているということだ。

 

昔から言われているように、

因果応報、全ては自分で刈り取るもの、

悪い思いは、悪い結果となり、

良い思いは、良い結果となる。

・・・・・

人間の体は複雑で無限に精巧であるが、

その成分の70%は「水」である。

 

人の、常日頃の想い・感情・思考・・想念は、

水にも多大な情報を蓄積・記憶しているわけであり、

つまりは身体自体を健康・調和に維持することも、

あるいは病や不調和になることも、

その多くの責任は・・自らの想念に拠っていることがわかるだろう。

 

心穏やかにして、初めて心身健康が可能であること、

肉体の健全さを維持するためには、

こころの健全さを先んじなければならないのである。

 

昔から、健全なる精神は、健全なる肉体に宿る‥と言われるが、

詳しく言えば、

健全なる肉体は・・健全なる精神の具現化である。

 

こころ、穏やかにし、

こころ、朗らかにし、

こころ、慈しみ深くし、

こころを感謝で満たす・・

 

何はなくとも、嵐が吹こうと、周りはどうあろうと、

それに振り回されず、結果に支配されず、

常に・・今・・しかないからには、

あー、幸せだ

ほんと、ありがたいな

いやー、楽しいんだなあ

そういう習慣づけられた想念を潜在意識に植え付けることだ。

 

今後の人間の、本来の無数の幸せ経験のためには

これは絶対的に重要な要素なのである。

 

誰がそれを実践・創造するのか?・・・

それぞれ、あなた以外にない。

それを、いつやるのか?

もう、今しかないではないか。

そう、

実感と実践こそが・・本命なのである。

 

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、

誠に有難うございました。


(38)言霊の実践・実感

2022-02-03 12:05:06 | 意識の科学(総合編)

内にあるものが外になる。

これを理解し実践する必要がある。

ただ・・それだけの話である。

 

実にシンプルで、ただ、それだけといっても、

それぞれの内(意識)を変えなければならない

これが真実なのである。

 

言霊(ことだま)を使うとは、考えることではなく「実践する」ことだ。

何事も、実践によって実感・結果に変わる。

これは誰でも経験している。

 

言霊・・・

言葉を発するときのその波動の中には「想い」が重畳している。

それを、波動を発する行為が「実践」である。

瞬間考えるだけでは、その創造効果は極めて限られたものになる。

ちょっと波動が生じてはすぐに拡散・消滅してゆく。

 

それに引き換え、

実感を込めた言葉・実感伴う想いの発振・持続・・

そこに言霊の技術がある。

またこれは意識の技術ともいえるだろう。

 

肝心なのは・・実践・実感・・なのである。

実感とは・・すぐに消えない「想念」なのだ。

単なる「考え」とは違う。

 

意識的「実感」こそが・・生きた波動・振動となり、

あなたの常在の定在波として持続する。

持続する定在波は時間とともに消えることなく、

その振動・エネルギーを保持できるのだ。

振動・波動・エネルギーは二次的な事象・環境を生み出す元である。

3次元的認識、意識では理解は難しい。

 

言霊(ことだま)を使えるという事、

ここには、自らのマインドを観察できる意識が必要である。

マインド・こころを観察できる意識は、

自分のマインド・こころ、想念より上の意識レベルだ。

 

例えば基本的な幸せ感覚の想念形、

 

ああ、うれしいな・・

楽しいな・・・

しあわせだな・・・

 

そういう想いをまず言葉やイメージで起こすことだ。

イメージしつつ、出来れば静かに言葉に出す。

残された古い腐敗した時間という土壌の中に、

想念を持続させつつ「幸せ」の種を蒔くのである。

 

最初は・・

そんなわけない、はずかしい、・・そういう想いも起きるだろう。

「幸せ」・・・え、なんかこう、何よそれ・・?

自分、何やってんの?

何も無いのに、そんなんで幸せになれるの??・・

 

そういう想いも色々と出て来るのが観えるだろう。

そのまますぐ忘れてしまうことも起きるだろう。

だって、信じられない・・・

それに、色々忙しいし・・・

そういう想いが勝ってしまうかもしれない。

 

そこで終われば、持続出来ない単発の実践で終わる。

 

そして、また幸せ探しの旅が始まる。

きっと、どこか、誰か、何か・・のところに、

幸せがあるはずだと・・

いつものマインドにせかされて、

気を紛らわせることが出来る日常世界へと戻るだろう。

そして、その世界が幸せを与えてくれないことを知り、

打ちひしがれて、また自分自身に戻る。

 

あー、幸せなんかどこにもありゃしない!

でもみんな同じだからいいや・・。

 

内に無ければ・・外にあるわけはない・・

それが嫌というほど、

これでもか!というほど理解するために・・

この世、3次元世界は存在してきた。

 

マインド、意識の含まれない・物質的3次元認識世界。

でも、それは終わりをむかえている。

社会、世界情勢を見ても気づけるだろう。

 

あなたはどうありたいのか?

それを決めるということは、

あなたの中に幸せ・希望・喜びを振動させるということだ。

そのために言霊の技術がある。

 

それぞれの中に「幸せ感」をまず創り出す。

それを保持・持続・進化させること。

創造は内から外へ・・・である。

 

活きた想念、つまり

意識的実践・実感が・・周囲世界へと投影される。

 

内にあるものが外になる。

これを理解し実践する必要がある。

ただ・・それだけの話である。

 

実にシンプルで、ただ、それだけといっても、

それぞれの内(意識)を変えなければならない

これが意識としての人間の真実なのである。

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、

誠に有難うございました。


(37)言霊の技術

2022-01-24 06:15:36 | 意識の科学(総合編)

言霊・・には、言葉に霊力が宿るという意味がある。

人の言葉に霊力があるということだ。

霊という言葉には様々な意味があるが、

霊力とは、身近な物理的な仕組みではない、高次の仕組みによる力と解読されよう。

また力をエネルギー、現象化する力・法則と解釈できる。

 

スピリチュアルで言えば、霊力とは、

3(4)次元的なエネルギーでなく、5次元以上のエネルギーであり、

3次元的(物理的)なエネルギーに影響されない、

逆にそれを上位から動かすところの、

それを超えたエネルギーであると解読できるのである。

・・・

言霊・・・人の発する高次のパワーを内在した「言葉」である。

あなたはいつでもそれを実施できる。

発動できる。

ただ今まではごく少数の覚者達を除いて、

あるいは部分的に応用している少数の人たちを除いて、

多くの人たちは、

それを知らず・知らされず、またそれを習得してもいない。

・・・・

 

何度も繰り返して悪いけれど、

人が幸せでないと・・そう思い・そう感じていることが、

そのもの・・不幸せであることを認めている。

そう、その通り・・不幸せなのである。

意味不明だろうか?・・・

 

かくかくしかじか、こういう理由で・・・

あれもない、これもない、得られていない・・

それはもう、様々な理由付けをして、

・・私は不幸せであると自己認定しているのだ。

 

これは禅問答のように聞こえるかもしれないが、

再度言えば、

そういう想いを発することが、

そう言葉や行為に出すことが、

 

それそのものが、

不幸せな状態を・・・長年に渡って創り出してきたのだ。

 

我知らず、他も知らず、

実は世界の人々も知らず、

言霊を自虐的に使ってきた・・とも言えようか。

 

言霊は、思いを形にあらわすパワー・技術なのだ。

これは言わば、自分自身の中に既にあるにもかかわらず、

それを外界の現象世界の中に探し続ける愚策を続けるがゆえに、

実に発見されにくい、

秘中の秘の技術であると言ってもいいだろう。

事は・・実は重大なため、人の意識の進化・開花を伴わない間は、

秘中の秘であるともいえる。

 

言霊は、3(4)次元的な物理的エネルギーを超えた、

言い換えれば、我々の馴染んだ次元、

物理的環境や事象世界、

それを含んでそれを超えているところの、

高次のエネルギーを駆動する技術ということだ。

 

誰にもよらず、依存せず、

ただ本質の真我の方向へ意識を向けること、

 

うれしいなあ、たのしいなあ・・幸せなんだなあ・・

そういってもいいなあ・・という感覚を起すこと、

これに努めること・・

幸せの振動を内面意識で起動・発振すること

 

これは単なる自己暗示やマントラではなく、

これは「言霊」の技術を駆使することであり、

長く、長く不幸の中で、苦しく遊んできた者たちだけが、

ハッキリと気付けることでもあるだろう。

 

今はもう、それぞれの個性化された意識の上に、

本来備わった、幸せの振動を起こす時なのである。

 

 

 

本日も拙い記事をご覧いただきまして、

誠に有難うございました。