多くの人はこの世界のことを非常に気にする。
自分が生きているこの世界がどうなるのか、
自分に直接関係する重大事であるからだ。
目先の生活、人間関係、経済状況に埋没している、
小さな世界に閉じ込められている人を除き、
意識の広がった人ほど世界の動きを気にするものだ。
この先、世界はどうなってしまうのか?
・・・
しかしながら、そこにある信念はどうかというと、
自分はこの世界の中に生きている生命・人間・生物であり、
世界という圧倒的な物質環境の中に従属しているというものだ。
だから、世界がどうなるということが、
自分がどうなるということに先行する
最重要問題であると考えているのだ。
・・・
しかしながら、朋よ・・、
あなたは世界の中にいるのではなく、
あなたの中に・・・世界があるという事を知らねばならないのだ。
そんな馬鹿な、そればっかりはあり得ない。
そう想うものである。
わたしはこの肉体であるという信念であれば、
この肉体の中に世界があるわけはなく、
ましてや、あの天空に輝く星々のある宇宙が、
わたしの中にあるわけがないじゃないかとなる。
馬鹿言うんじゃない、
しかしながら、それは観点の違いなのだ。
観点の違い?・・・
どこをどう見たって、どう考えようとも、
世界や宇宙がわたしの中にあるものか!
そう言ってはばからない。
またこんなことが思考されることもほとんどない。
・・・
確かに・・そう、
あなたが肉体・個体であれば、
あなたは、
それらを含む個体、生命体・物体の集合する世界・宇宙の中にある。
ところで、あなたが肉体でないとしたらどうだろうか?
わたしは・・肉体ではない?・・・
どういう意味だ?
怖いから、やめてくれ。
そう、
肉体そのものではなく、意識であるとしたらどうだ?
意識・・何度も何度も出て来る言葉だが、
意識は・・何かに気付いていることを意味する。
さらに、
何かを知覚することを意味する。
知覚とは・・存在を認識することだ。
山あり、川あり、空あり、目の前の機械あり、
町には人あり、犬が散歩している。
それらすべては、あなたの知覚に映し出されている対象であり、
あなたが・・気づいている対象としての存在形なのである。
そして、あなたはあなたの肉体をも意識する、
それは、あなたが気づいている対象物なのである。
いかに高性能・精密・精妙であろうと、
それをそうであると認識する・意識する・気づいている、
その事が無ければ、あらゆるすべては存在しないのだ。
・・・
つまり、あなたは肉体ではなく、意識である、
・・と、こういうプロセスで進んできたが、
あなたはどう思うだろうか?
自分はこの肉体である・・という今までの観念、
こんなことも考えたことすらない観点、
自分が気づいている・・意識である・・そういう観点は、
しっくり馴染まないだろうが、
これが真実であると感じないだろうか?
今までは肉体以外の・・わたし・・という、
そういう観点がなかったし、
探そうともしなかったし、
大勢の人がそんな話もしてこなかったし、
疑いも持つことさえも・・遥かかなたの圏外だったとしても、
いまはもう、気付いただろう。
その根本にあるのが、「意識」・気づいている・・
というキーワードである。
肉体・物体・環境・世界・宇宙に気づいていなくて、
肉体・物体・環境・世界・宇宙は存在しないのである。
日常で常にこの状態にあるのだが、
全く深掘りがなされず、世界の動く様に圧倒され、
その中で肉体が翻弄され、快感を味わい、痛手をこうむり、
あるいは棄損し、破壊され、
その知覚の激しさに注意を奪われつつ、
意識がそれに完全移入してしまい、
同じような肉体生を繰り返してきたということに、
あなたはもう、気付けるだろうか?
気付いていること・意識・・は、
肉体・物体・の次元では語れない。
なぜならば、肉体・物体・世界・宇宙・・
それらは、意識によって対象物とされたものである。
意識が様々な事物・肉体・世界・宇宙を対象化するのだ。
その逆ではない。
今までは、それが真逆とされていたのである。
意識はこの世界のどこにも・・形はない。
頭脳が意識を創り出す・・という医学・科学的な認識も、
単なるもっともありそうな仮定・・に過ぎない。
将来はそれが発見されるだろう?・・
どこに・・発見されるのだ?
頭脳のどこにある?
意識は・・どこにある?
どこに?・・というのは場所だ・・
意識はどこにもない・・。
あらゆるすべてに気付いている・・それだから、
どこかに、あそこに、肉体の中に・・
あるわけはないのである。
よく言われるように、この次元世界のどこかにあるわけはない。
この次元世界の上位の高次世界に・・というのも、
誤解を招く言い方である。
簡単に言えば、
わたしは・・すべてに気づいている者である。
気付いている様々な対象物は真のわたしではなく、
気付いていること・そのものである。
意識・気づいていることから全てが生じている。
それ・・である!
出来得れば、その意識・認識・理解を深くし、
あなたがいつか入り込んだ
3(4)次元の粗く不自由な体験ワールドから、
次元浮上すべき推進力を得る時であろう。
意識する内容、認識・理解の変化は、
無限性の中からの具体性の方向、
気づく方向性を明らかに変えることになり、
知覚対象世界・タイムライン、体験世界の変化へとつながってゆく。
変えるべき、帰るべきは・・意識である。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、
誠に有難うございました。