私個人、わたしなどと呼ぶ「主体」は想念である。
想念とは様々な想い・思考・記憶という活動する波動である。
想い、思考、イメージ、記憶、その再生という働きを、
いわゆる精神の働きというが、
その精神・活動する想念こそが・・「魂」というものだ。
その活動する想念すなわち魂は・・波動である。
波動は様々な形を創り上げ、記憶をし、それを再生し、
肉体経験を重ねながら、新たなイメージを追加しつつ成長してゆく。
そうではないか?
人の幼いころからの成長も、そうであったはずだ。
あなたの・・私は・・という主体感覚は・・想念によって生じている。
私は・・男だ、女だ・・わたしはあれが好きだ、こういう経験がある、
こういう経歴の持ち主だ・・などと言う「自己認識」によっている。
その根本にあるのは・・意識・気づいていること・・そのものであり、
その気づいている・・意識・・から・・
その気づいている対象への認識が生まれる、
そして、それらの対象認識の集合形が「想念」の束である。
束になって記憶された想念、膨大な想念の活きた記憶・・
それが個性ある「魂」・・といって良い。
あるレベルから言えば、あなたは想念の束・活きた記憶の集合形、
すなわち魂なのである。
今までの、いわゆる3次元的世界、
「肉体」を自己の本質とみなす存在の集合世界では、
肉体を経由した五感の知覚・痛覚・圧力などに気に取られるあまり、
自分は肉体であるという錯覚が真実とされ、
ちょっと深く認識したとしても、
その中枢たる頭脳である・・という錯覚で終わり、
結局、私とは身体であるという信念が出来る。
しかしながら、偶然生まれて死んだら終わり・・
現象としての肉体を・・わたしだ・・と認識することも、
そう自覚し、イメージする「想念」によっている。
そして、その想念も頭脳が作ると「思う」のだ。
くどいようだか、そう「思う」・・のである。
再度言うが、想念とは・・その時々の突発的な想いではなく、
それらが無数に集合・組み合わさったもの、続く記憶の連鎖であり、
物理科学的な認識で言えば、まごう事なく・・「波動」なのである。
魂は、意識より生じる想念の集合形、個性ある意識活動の記憶である。
また魂は・・
波動であるがゆえに・・情報(想い)が載っている。
波動であるがゆえに・・記憶があるのだ。
波動であるがゆえに・・想いの共感・共鳴が起きるのだ。
また波動であるがゆえに・・
時間・空間を超えて伝播するし、
そっくりそのまま転送・転移も行われる。
これは「魂」の・・生まれ変わりと言われるものである。
つまり、個々人の魂、根源から派生した個性ある意識は、
途切れず・・時空間、次元を超えて連続するのだ。
根源から派生した波動は、大いなる拡大をしながら、
全ての領域に伝搬するのである。
意識があり、それに気づいている者を人という。
人は、様々な波動域を経験しつつ成長拡大するのである。
あなたが・・・
観ている宇宙には、何兆もの銀河がある。
その銀河の中には・・数えきれない星々がある。
無数の・・文字通り無数・無限の世界があるという事は、
いったいどういう事だろうかと・・もう気づいて良い時期。
いや、想い出してよい時期なのだ。
この写真は、今いる時空から見た天の川銀河のほんの一部である。
私たちが認識する無限宇宙の一端、
認識する「対象」(宇宙)が無限なのは、
真のわたしたちが・・無限であるからに他ならない。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、
誠に有難うございました。
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