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気付きの科学 新世界版

ここで言う 「気づく」という意味は、空(くう)の状態から、在る状態に引き出す意識的行為・・すなわち創造のことです。

臨死体験(11)知識・英知の習得

2023-06-15 07:29:58 | 臨死体験

臨死体験者は肉体自我を離れた段階で、一種の悟り、特別な知識・英知を習得・獲得する人が多い。

宇宙的な叡智が・・明らかにそれとわかる・気づく・悟る・・のである。

この世で良くある、物的証拠が云々とか、誰かが信頼できるとか、嘘か本当かわからないとか・・・そういうこの世の状況、どぶさらいのような状態ではなく、

明らかに何が真実か・・わかる、つまり悟る・・ことが起きる。

もちろん、1つの大いなる悟り・・それが起きたとしても、それですべてが終わる・・わけではないのだ。

そしてその「悟り」も、この次元世界に舞い戻ってから、次第に色あせてゆく状況にも陥るが、ただその体験インパクトの記憶だけは忘れるものではない。

・・・

臨死体験 9つの証拠(ブックマン社)25ページ

特別な知識に出会い、習得する

至高の存在の”目”を見つめると、宇宙のすべての秘密が明らかになった。彼の目を一瞬覗き見たおかげで今、私には万物の働きがわかる。

宇宙のすべての秘密。あらゆる時代のあらゆる知識、何でもわかるのだ。」

・・

「色のついた無数の雫(しずく)は、これまでに生きたすべての人間の経験なのだと分かった。(そう教えられたわけではないが)

それぞれの経験は独立して存在すると同時に、全体の一部でもあった。
全体とは、すべての知識の集合体である」

・・

「数分して自分が死んだことを悟ると、あたたかな愛が私を包み込んだ。その時のわたしに肉体はなかったのに、自分を抱きしめる両腕を感じた。まわりの色は、電気を帯びたように鮮やかで、芳しい香りがした・・・。

そして圧倒的な「生」の秘密を、本当にシンプルな形で理解した。

その感覚以外は、現実ではない確信もした!
死に際しての体験は人生の何にもまして現実的で、肉体的な感覚を伴ったものであり、戻ってしばらくは、この世界は冷たく、重苦しく、現実感を欠いていた。」

・・・ 

我々が唯一と思い込んでいる、この現実世界、地球を中心とした3次元的認識世界は、逆に・・・そういう意味で全くの体験幻想世界である。

幻想とは・・想いの創り上げる 幻(まぼろし)であるが、それが実に堅牢に出来たように感じられる・・まぼろしなのである。

 

この地球世界は、やって来て体験する魂たち、

大勢の人間たちが低次元に落ち込みつつ、

この世界が唯一としがみ付いているがゆえに、

それに呪縛されつつ、狭い意識領域に閉じこめられていたという事なのである。

 

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臨死体験(10)「天国のような」世界との遭遇

2023-06-12 05:42:52 | 臨死体験

意識が肉体を外れていく先は、いわゆる天国のような世界だったという証言が多い。

この世の一般常識では、ほとんどの人が幸せでないこの世界だけが現実のすべてであり、そして悲しいかな人間は死んだら終わりだ・・・という観念が常識とされているが、

これなどは、まったくのウソ・妄想・虚言・騙しの想念であると言えよう。

れとも、そんな天国なんてあり得るわけないと思うだろうか?

不幸が常識で、幸福は容易ではないという信念、幸福は何かの間違い、勘違い、見違い、妄想と思い込むのが頭が良いのだろうか。

それとも、自らの魂の無限性の真実を思い出し、我々は本当に狭い3次元世界、局限極まりない世界に幽閉されていたことを実感できるだろうか。

あー、何というおバカな自己認識、そしてそれに沿った体験世界だったのか!・・

今はもう、この世界の・・自虐的、自己閉鎖的な物質的自己認識から自らを解き放ち、時空間を超えた魂としての本来の自由度を取り戻すべき時である。

わたしたちは、偶然の単なる肉体生命ではない。

わたしたちは・・もともと・・無限の意識・生命である。

あなたやわたしたちが、今こうしてこの世界で生きているように、

無限の意識であるからこそ、どんな個体・肉体自我にも自己表現可能なのである。

無限の意識であるからこそ、どんな人生・どんな世界への転生も可能なのである。

 

無限の幸福、調和、叡智、愛・・・それを・・各次元、世界で顕現・結実させる楽しさを・・想い出す時が来たのである。

天国も・・それこそ無数にあるということだ。

天国の様相は、言葉では表現しきれるものではないことが、以下の証言からわかるだろう。

その中に、言葉より深い、無限の意味合いを感じ取れればいいと思う。

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「臨死体験 9つの証拠」ブックマン社 23ページ

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臨死体験者の見た「天国」の様相

「トンネルを抜けると、そこはこの上もなく平和な場所だった。想像したこともないような、清らかで静かで愛に満ちた場所だった」

「美しい風景、青い空、なだらかに広がる丘、咲き乱れる花、すべてが光で満ちていた。外側から光を浴びているだけでなく、内側から明るく発光しているようだった。」

「とても美しくて、言葉では言い表せないほどだった。遠くには輝く虹のようなものも見えた。すべての色や造形は美しく、・・畏敬の念を抱くほどだった。」

「あたりは素晴らしい安らぎと、愛と平和を感じさせる静けさで満ちていた・・・。左側には、見渡す限り、想像しうるあらゆる色のチューリップが咲き誇り、どこまでも続いた。右側には、空の色と調和する美しい青色の壁があった。」

「そこに流れる音楽は、言葉では表現できない。この世ではあれほど鮮明な響きは不可能だからだ。色はこの世界とは違った。より深く輝きを放ち、とても美しい!」

このように、「美しかったり、美とは違う意味で際立った場所や世界、次元を見たり、訪れたりしましたか?」

という質問に、40.6%が「はい」と答えている。

同じ内容をより広い意味で「この世とは違う、どこか別の場所へ行ったと思いますか?」と尋ねると、52.2%がこの世とは違う領域に遭遇したと答えている。

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臨死体験(9)人生回顧(ライフレビュー)

2023-06-06 08:27:32 | 臨死体験

臨死体験では、多くの人が「自分の人生がどうだったか?」という反省、ライフレビュー:人生回顧を行っている。

有意義だったか? 他者との関係は? 優しくしたか?人生の目的を達したか?・・・人生すべての詳細をあっという間に振り返ることになる。

すべての魂は成長・進化・神への帰還のルートにあるのであるから当然のライフレビューである。

魂から見てうまく行かなかった経験も、恥ずかしい経緯もすべて露わになるのだが、肉体煩悩を外れたレベルでの回顧であるがゆえに、

それによって落ち込むとか悩むとか、罰則を科すという事ではなく、その魂の仲間・指導者たちの愛に満ちたサポートによって、人生の全てを真摯に受け取りまた反省しつつ、次への進化の糧を得た気概が満ちると言っても良いだろう。

魂という意識の高次レベル、大所高所から見れば、人生も世界も何もかも無駄なものは一切無い!

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「臨死体験 9つの証拠」(2014年刊:ブックマン社)22頁~

人生回顧(ライフレビューが起きる)

「肉体から抜けたばかりでまだ病室にいるときに、目の前で人生が走馬灯のようにめぐるのを見た。そして、これからあなたは大勢の人たちを教え導くようになると言われた気がしたが、まさに今そうなっている」

「私の人生で起こった重要な出来事をすべて見た。初めての誕生日からファーストキス、両親との諍いまで。自分がどんなに身勝手だったかを知り、戻ってやり直せるなら何でもしようと考えた。」

「それまでの人生を見せられた。生まれてから死ぬまでのすべての瞬間を目の当たりにすれば、自分だけでなくその時自分が傷つけた人の立場まで体験して、痛みや気持ちが共感できる。

このようにして、自分がどんな人間で、他人をどう扱ってきたかを、それまでと違った視点から知ることができ、今後自分を誰よりも厳しく評価するようになる。」

「他者が自分に何をしたのかはわからない。自分が他者に何をしたかがわかるだけだ。」

・・・

このように、臨死体験者は過去の出来事を再び追体験する。人生の断片が見える事もあれば、全体がパノラマのように展開することもある。

「人生の過去の出来事を再び目にしましたか?」という質問に、22.2%の人が「はい」と答えている。

以上抜粋。

 

人生が一時の偶然であり、そこには何も意味がなく、人間とは・・大勢の人々に合わせて集団で生きてそして、死んだら終わりの動物的集団であると・・?!

そういう、極めて愚かで、悪意のある嘘を・・一体誰が言っているのだろう?

この世の支配者か? マスコミか? 大学の偉い先生か? おバカ極まる政治屋か?・・・誰に従っている??

誰が言っているのだろうか?・・・・責任者は誰か?・・?

騒がしいこの世の中、3次元レベルの地球人人間社会において、

いざという時の「責任者」は、

それぞれのわたし以外・・誰もいないのだ。

 

もういい加減、真の意味で目覚めなければならないのだ!

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究極では、ただ一者のみが存在する。

ただひとつのものがあらゆるすべてである。

したがって、多くの個別の人たち、赤の他人たちは、

向こうの次元から別人格として現れた・・あなた自身である。

 

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臨死体験(8)時間空間の変質

2023-05-31 07:24:46 | 臨死体験

臨死体験中は、肉体から意識が外れた状態である。つまり意識が体外離脱した状態で、意識が現実の空間や次元の異なる空間を知覚するという経験であると言えよう。

肉体の五感経由ではない、”意識”による直接的な知覚経験ということだ。

なぜならば、臨死体験中は脳機能・心肺機能は停止している、すなわち五感の機能は停止している状態であるからだ。

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「臨死体験 9つの証拠」頁21~

時間や空間の変化を感じる

「初めて体外離脱をしたとき、私は(ダイビング中だったために)ダイバーズウオッチをしていた。そこで目印になるものの間を進むのに何秒かかるか、秒針を見るという方法で、自分の移動距離を測定してみた。全く非科学的な結果だった。・・時間の流れが変化していたのだ。通り過ぎる地面はまっすぐな動きではなかったし、距離の進み具合も不規則だった。距離は常に変化していて、いつまでも近づかないかと思うと、突然目前に迫ったりした。

しかし私のダイバーズウオッチは変化することなく動いていた。推測だが異なる時間の流れにいたのではないだろうか。そこでは時間と空間が規則的に進む現世とは違って、時計は全く役に立たない。

もうひとつ、体外離脱はとても長く。間違いなく一時間以上は続いていたように感じられたが。だが、ダイビングのパートナーに意識を失っていた時間を尋ねたら、5分か10分ほどだったそうだ。これも臨死体験中は時間の測定にダイバーズウオッチは使えないと考えた理由のひとつだ。

・・

「地上の時間ではほんの少しの間に、向こうではとてもたくさんのことを経験したようだった。魂が行った場所と、この地上とでは、時の流れが違っていた。」

・・

「地上の時と空間は完全に動きを止めた。その間もあちら側の「時と空間」は完全に動いていて、どうみてもそれは現実だった。」

・・

「そう、その中にいるあいだは、地上と同じような時間の感覚はなかった。別の言い方をするなら、過去、現在、未来といった連続した流れが感じられなかった。光の中にいたときは、過去も現在も未来もすべて同時に経験していた。」

このように、「空間や時間の感覚が変化しましたか?」という質問に、半数以上の60.5%が「はい」と答えている。「時間が早く感じられましたか?」という質問には、33.9%が「すべてが同時に起こっているように感じられた」と回答している。

・・・

●時間・空間は相対的

もともと時間とは物事の変化率のことであるが、その変化を感じるのは人間の観察・意識以外にはない。つまり時間とは「意識」によって認識されているものである。

現実世界では一定の時間が進むように見えるのは、ただ単に時計の秒針や、原子時計の単調な刻みのことであり、

それだけを見ていれば・・その単調さを観察することになり、それが一定のリズムであるかのような錯覚に陥るのだ。

また、物事のテンポ、スピード、変化率は(つまり時間)は・・物理学的には「エネルギー」の違いでも起きて来るものであり、必ずしも一定の時間刻みで起きるわけではない。

また、時間や空間は絶対、一定ではなく相対的に伸び縮みするというのが「相対性理論」の結論である。

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●時間・空間は、意識の知覚現象である

時間は我々と無関係に均一に刻まれているわけではなく、それは完全に我々の「意識」の産物ということだ。

臨死体験中は、肉体感覚が外れているため、直接・・意識によって知覚するということになり、日常の慣れた物質感覚を外れた状況になる。

通常の時間空間の知覚・感覚、つまり偽物の感覚は、本来の意識による直接感覚に置き換わるということだろうか。

時間・空間は、我々とは別個に、圧倒的な現実感で実在している・・わけではない。

圧倒的な現実感で実在しているのは・・”意識”のほうであり、

時間・空間はその”意識”の展開する、二次的知覚現象であると言えるのである。

言い換えれば、世界は勝手に変わるわけではない。

意識が変わるからこそ、その意識の経験する世界が変わるのだ。

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時間・空間とは、この世界あるいは宇宙、または向こうの世界、様々な次元世界の展開する事象・現象のことであり、意識的な知覚現象である。

 

 

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臨死体験(7)魂の家族との遭遇

2023-05-29 08:41:37 | 臨死体験

この世においてもお互いが深い付き合いのある人々は、

魂レベルにおいても深い絆(きずな)がある場合が多い。

それはまるで人生という総合演劇の出演者たちが、時間・空間の異なった人生においても、様々な別人格、別の役割を担って登場するようなものである。

そういう人たちを「魂のファミリー」といって良いだろう。あなたにもこの世の現実上の親兄弟・親戚などがいるように、はるかに広範囲・歴史・時間を越えたレベルの、魂における親兄弟・親戚・近親者・親友・盟友なども存在しているのである。

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下記は、臨死体験において、神秘的存在、あるいは亡くなった身内や友人など、他者に遭遇する体験告白である。

 

・・・「臨死体験 9つの証拠」(ブックマン社)より抜粋  p18~

「ほかの存在や人間に囲まれていた。見覚えがある気がした。家族や古い友人のように、遥か昔から一緒だったように感じた。霊的あるいは魂の家族とでも表現すれば良いのか、人生でとても大切だった人たちと、長い間、離れ離れになったあとで再会したみたいだった。みんなおたがいに愛と喜びを爆発させた。」

「目には見えなかったけれど、父がすぐ横にいた。姉もすぐ近くにいた。左側だったと思う。ほかの家族もいたが、もっと見ることは出来なかった。姉や他の家族は左側だった気がする。姉と父以外ではっきりわかったのは祖母だけ。ほかにもいたが誰だかはっきりしない。」

「母と娘の声が聞こえた。娘は亡くなった当時、まだ2歳くらいだったが、聞こえた声はもっと成長したものだった。ふたりが私の名前を呼んで、体が空気の流れの中を進むように素早く移動した。風にさっと運ばれたように、一瞬すごく明るい光が見えたと思ったら目の前にビーチが現れ、やがてそこに母と娘が立っているのが見えた。娘は成長した姿だった。」

このように、、「他の存在に遭遇しましたか?」という質問に、57.3%が「はい」と答えている。死者との遭遇は、友人や恋人ではなく、ほとんどが身内だった。中には、見覚えがある気がしたがあったことのある人かどうか、定かではなかったと語る体験者もいる。そのうち何人かは、臨死体験から生還後、写真などで死んだ身内だったと確認できた。体験者が生まれるよりも何年も、ときには何十年も前に亡くなった身内だと判明したケースもある。

・・・

この3次元世界でもどんな人にも、人と人とのつながりがあるように、

時空を超えた魂にも、家族、ファミリー、縁故、繋がり、ネットワークと言っても良い集合体が存在しているということだ。

魂という存在は単発・単独なんかではなく、膨大な集合形、いわば集団を形成している。

これを”霊団”などと呼ぶ人もいるし、ロバートモンロー(ヘミシンクで)は、I THERE:向こうのわたしたち・・と呼んでいる。

 

魂の仲間たち・ファミリー達は・・・もちろん赤の他人の集団ではない。

赤の他人どころか、自分に最も近しい存在ばかりの集団である。

自分に最も近しい・・とはどういう意味だろうか?

もう一人の自分、またべつの自分、別バージョンの自分達と言っても良いだろう。

・・・

自分:わたし・・のことを「肉体個人」であると認識している人にとってはまったく理解できない。

自分を魂・意識であり、物質・時空を超えた存在であると認識している人にとっては、ある時、ある場所、ある時代の自分も、過去の自分も、今の自分も・・、究極は・・別人格の赤の他人も、あるいは無数の別の自分という理解も可能であろう。

つまり、赤の他人様も・・本源においては・・わたし・・なのである。

そして、そういう少しづつ、あるいは大幅に異なったわたしたちの集団は、それこそ無限・無数に存在しているということになる。

・・・

そういう意味で、仏画、曼荼羅絵図は、実際にはその魂のネットワーク図を示しているといえるのである。

 

魂の集合団は多次元に渡った集合形を成していて、その中には、極めて高次の魂から、発展途上の幼い魂まで存在しているようである。

それらの魂のファミリー・集団は、多次元レベルにわたって、部分集団をも形づくりながら経験・転生しつつ、個々の魂の経験を蓄積しつつ相互に霊的進化をしているのである。

 

根源・創造のもとは・・ただひとつであるから、それらの魂の集合形、霊団、多次元的ファミリーは、

それぞれのわたし・・を中心として・・気付ける限りの高い次元から低い次元までの無数の<わたし>の集団とも言えるかもしれない。

わたしとは、究極では無数のあなたでもあるわけだ。

 

 

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