臨死体験では、多くの人が「自分の人生がどうだったか?」という反省、ライフレビュー:人生回顧を行っている。
有意義だったか? 他者との関係は? 優しくしたか?人生の目的を達したか?・・・人生すべての詳細をあっという間に振り返ることになる。
すべての魂は成長・進化・神への帰還のルートにあるのであるから当然のライフレビューである。
魂から見てうまく行かなかった経験も、恥ずかしい経緯もすべて露わになるのだが、肉体煩悩を外れたレベルでの回顧であるがゆえに、
それによって落ち込むとか悩むとか、罰則を科すという事ではなく、その魂の仲間・指導者たちの愛に満ちたサポートによって、人生の全てを真摯に受け取りまた反省しつつ、次への進化の糧を得た気概が満ちると言っても良いだろう。
魂という意識の高次レベル、大所高所から見れば、人生も世界も何もかも無駄なものは一切無い!
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「臨死体験 9つの証拠」(2014年刊:ブックマン社)22頁~
人生回顧(ライフレビューが起きる)
「肉体から抜けたばかりでまだ病室にいるときに、目の前で人生が走馬灯のようにめぐるのを見た。そして、これからあなたは大勢の人たちを教え導くようになると言われた気がしたが、まさに今そうなっている」
「私の人生で起こった重要な出来事をすべて見た。初めての誕生日からファーストキス、両親との諍いまで。自分がどんなに身勝手だったかを知り、戻ってやり直せるなら何でもしようと考えた。」
「それまでの人生を見せられた。生まれてから死ぬまでのすべての瞬間を目の当たりにすれば、自分だけでなくその時自分が傷つけた人の立場まで体験して、痛みや気持ちが共感できる。
このようにして、自分がどんな人間で、他人をどう扱ってきたかを、それまでと違った視点から知ることができ、今後自分を誰よりも厳しく評価するようになる。」
「他者が自分に何をしたのかはわからない。自分が他者に何をしたかがわかるだけだ。」
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このように、臨死体験者は過去の出来事を再び追体験する。人生の断片が見える事もあれば、全体がパノラマのように展開することもある。
「人生の過去の出来事を再び目にしましたか?」という質問に、22.2%の人が「はい」と答えている。
以上抜粋。
人生が一時の偶然であり、そこには何も意味がなく、人間とは・・大勢の人々に合わせて集団で生きてそして、死んだら終わりの動物的集団であると・・?!
そういう、極めて愚かで、悪意のある嘘を・・一体誰が言っているのだろう?
この世の支配者か? マスコミか? 大学の偉い先生か? おバカ極まる政治屋か?・・・誰に従っている??
誰が言っているのだろうか?・・・・責任者は誰か?・・?
騒がしいこの世の中、3次元レベルの地球人人間社会において、
いざという時の「責任者」は、
それぞれのわたし以外・・誰もいないのだ。
もういい加減、真の意味で目覚めなければならないのだ!
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究極では、ただ一者のみが存在する。
ただひとつのものがあらゆるすべてである。
したがって、多くの個別の人たち、赤の他人たちは、
向こうの次元から別人格として現れた・・あなた自身である。
本日も拙い記事をご覧いただきまして、誠に有難うございました。