リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

リサーチと理論

2017-12-23 16:34:47 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。シャンシャンちゃん当たりました? 平日46倍じゃムリですね。宝くじ並みかと思ってみたら、宝くじは10万円当てるのに1万枚買わないといけないそうな。(http://kazuya01.com/takarakuji-1546)。おかしいなあ、昔、出張時の昼休みに他人のクジを買って当ててやったはずなんですが。お礼貰った覚えはないけど。当選3000円だったのかなあ、3000円は100枚買うと当たる。なお、今年のクジの発売は昨日で終わりね。
 で、「パンダは和歌山にも」いると和歌山県知事が。今ごろなにいってんだい。可愛い時分に報道努力もしないでおいて、遅い。だいたい和歌山にシャンシャンちゃんがいるわきゃあないだろうが。誰でも自分の子のほうが可愛いのだ。、、、自分の子だっけ?

 私んとこは液晶モニターが壊れてしまいました。サムソンの570Sという、16年前発売の中古。スリープから画面が復活できない。それでも1ヶ月くらいヒヤヒヤしながら使っていたのですが、いちおうVGA端子つきのノートPCは別に持ってるとはいえ(=つなぎ換えればそっちで見られる、はず)、恐いから買い換えました。信頼のIOデータ新品。もっとも15インチはその機種しかないに近いのですが。誰も買わないのでしょう、来るのに6日かかりました。年末のせいかな。
 で、今はとてもクリア。切れかけの昼白色蛍光灯から新しい昼光色に変えたような感じ。今まで見えなかった鼠色がよく見えます。私は字の画面を長く見るので、前のもマイルドでよかったともいえますが。写真や絵を観る人で壊れかけのモニターを使っている人は買う算段をするのも良さそうです。もっとも、私のは1024×768なので、字は点点に見えます。
 (後日:しばらく使ってオヤと思うのですが、どうも起動が早くなった気がします。数秒以上。そんなことってあんのかな?)
 
 さて、本日は読書2件。
 まずはクリスマスで、『34丁目の奇跡』を借りました。ヴァレンタイン・デイヴィスのほう(映画の原案のほう)。先週テレビで、アメリカ、ボルチモアの34丁目のクリスマス報道をやってて。映画原案とは関係なさそうですが、1947年からずっとだって。映像がなかなか綺麗でよかった。本の仕掛けは原案より映画のほうがよさそう。まあいずれにせよ筋に少し無理があるけれど、おめでたいんだからいいや、みたいなところ。しかし、なぜか読んだ記憶がある。まだ発売後15年なんだけど、15年て、忘れるか。
 
 ついで、ヴェルナー・ゾンバルトの2冊、『恋愛と贅沢と資本主義』(1912)、『戦争と資本主義』(1913)。これは感心。ゾンバルトなんて擬似マルキストの俗流だとずっと思っておりましたが、とんでもない間違いだった。
 といってもご存じないはずなので、他の皆さんによるご紹介を。
 まずは『恋愛と贅沢と資本主義』、苫野一徳氏の紹介をお借りして(借りるだけ)。「資本主義を生み出した最大の要因は、ヨーロッパの宮廷における「奢侈」である。そしてその動機は、宮廷内の「非合法的恋愛」にあった。/これが本書におけるゾンバルトの主張だ。/要するに、ヨーロッパの大金持ち貴族たちが、愛妾たちに貢ぐためにさまざまな奢侈品を購入し、これを扱う商人たちが潤って、彼らが資本家へと発展していったとゾンバルトは言うわけだ。/現代では、このゾンバルト説は多くの研究者によって否定されている。/たとえば、現代アメリカの歴史学者ポメランツは、当時のヨーロッパ程度の奢侈なら、中国や日本にもあったと言って、ゾンバルト説を一笑に付している」。
 とのこと。
 さらに『戦争と資本主義』は『三つ子のキャットシットワン』氏のをお借り。
「・軍隊は莫大な物資を消費する/・莫大な物資を生産、流通させるには産業を起こす必要がある/
 この2点からゾンバルトは「ヨーロッパ中世から近世にかけて巨大化した軍隊が産業を育て資本主義を育んだ」と結論している/だが、待ってほしい/では何故 軍隊が巨大化したのか?/例えば中世から近世にかけて各国海軍の軍艦が質・量ともに巨大化したとある
だが 何故、海軍が巨大化したのか?/あるいは出来たのか?/と考えるとまた別の答えが産まれてくる」「本書は資本主義勃興期における軍隊の経済的側面の研究 という意味では大変優れたモノ、として見ていいだろう。」
 とのこと。
 引用文をお借りしたのは、私の手抜きでも被引用者様への批判でもなく、普通に読むと皆さんがどう受け取るか、の確認で。
 ご覧の通り、「この本いいよ」だけだと、「たいしたことねえな」で返されてしまう。変だけど、まあそういうものです。
 
 さて、問い直し、「資本主義は誰が作ったんだろうか?」
 誰かな? 商人? 工業主? 民間資本家?
 この問いで問題なのは、「産業革命以前、誰が資本を持っていたか」という点です。
 ブルジョワジーは持っていない。そもそも商人はいてもブルジョワジーなどいない。
 カネを持っていたのは農民から重税を召し上げた王侯貴族であり、「国家」という名の国家権力者です。このカネという資本原資がブルジョワジーの手に移るさまと、商工業システムや流通機構の需要が先行的に確立していく過程を詳細に描いたのがゾンバルトなのです。この描写を他に誰がやった? マルクス? ウェーバー? やりゃあしない。軍隊装備と産業育成は日本近代史的にはおなじみですけどね。それさえも第2次大戦後の学問です。
 やらないことを十分以上にやったゾンバルトをなぜ批判できるのか?
 できませんぜ。
 って、種を明かせば、自分で書こうとしたけど、こんなことやってたら膨大になっちまう、という動機で先行研究を検索。100年前に目を疑うほどよくできたリサーチがあった、というわけで。
 もちろんなんとなく読めば上記批評者様のように受け取るのもふつう。そもそも問題意識が出てこないということ自体、「経済学」通説なるもののいい加減さが分かると思うのですが。
 ただし、この2著はただのリサーチ。何も理論ではありません。「ああそうなの」で終わってしまう。理論とは、それをもって別の社会事象の解読に使えるものでなければならない。
 たとえば、極貧後進国家の経済発展にです。
 「なに、そんな国でも国家権力者が贅沢をすればいいのさ」って、そういうもんじゃあない。
 「じゃあゾンバルトだって一番早かっただけで大したことないじゃないか」。そうなんだけどね。私は違う。それは私の次回論究のお楽しみ。本にはしない予定ですけど。

コメント
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