リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

普遍的政権への普遍的悪口

2011-06-04 22:52:56 | 歴史への視角
 こんばんは。まだ我慢の範囲内ですが、そろそろ暑くなりだして。
 さきほど帰って朝日新聞を読みましたところ、うっとおしいこの時節にさらにうっとおしく「菅がやめないのは仁義にもとる」とかの主張が。
 ってなんで?
 って、私に聞かないで。
 なんで、って理屈を、「読者Aたるこっちは疲れてるのに、ちゃんとわかるように書けよ」と思いながら新聞読んでもぜんぜん読み取れない。

 察するところ、読売や毎日には、きちんとした右翼ポリシーからやめろと書いてあるのに、朝日はそこが書けないんでしょうなあ。朝日の読者もバカにされたもんです。1面、2面、3面。記事が長いだけでなんの理屈もありません。
 よっぽど、上から物申されたんでしょうね。
 それを、(昔から朝日は一緒)茶坊主たちがさらに下に下ろして。
 滑稽千万。
 朝日の諸君には、他人の悪口をいうよりも、自分の姿を鏡に映せ、というしかないものです。

 (注:私が民主党も菅も支持していないのは、過去記事の通り。)
 
 こういう話題を皆様のためのものにするには、「マスコミの構造とは何か」、とかを述べるんでしょうが、マスコミなんざくだらない話なんですよ。酔狂な人は私は本に書いたからそちらをどうぞ。
 
 そうじゃなくて、一般論として、政権というのは、普通に動くと菅政権のようになるんですね。
 若い方は良く見ておいたほうがいい。なかなか現物は見られません。
 自民党政権のようなどこからカネが出てるかわからないとこだと、先に疑念が立って素直に理解できませんからね。

 (ここでの趣旨は、『やる気のある「主意的な」権力者が、やろうとしてやれないことと、やりたくないけどやらざるを得ない、ということがある、というか政府というのは経済界に買収されていなければそれしかない、、、ってどっちにしろ主意的には何もできない。今の政府はその見本市だ』ということです。ついでにいえば、悪口言うのはある程度まで、自由自在、勝手放題、「主意的」にできる、ということもあります。ますこみであれば、売れ行きに影響が出ないまでは、っていう制約ですね。
 で、このブログの( )は、既にお気づきの方もいらっしゃると思うとおり、1,2日あとの追加分です。それ過ぎりゃあきらめちゃいますから。
 というわけで、以上は、以下、分かりにくいことの解説でした。)
 
 ここで私が言う政権とは、革命後ソビエト政権や、革命後中共政権のことです。(といって、誤解があるなら、ドゴール政権やケネディ政権といってもいいけれど、後2者はさほど知りません)。
 それらがこの日本の政権ととても似ている、ということが分かるには、大学教授のように本読んで、理屈をこねようとしてもダメでして。現に、彼らにはわからないということが証明してますね。
 現実。
 私のような観念論者の、しかしとりえは、なにしろ現実を知っている、ということでして。
 

    昨晩は疲れでブログをただの酔言にしてしまったので、ちょっと役に立つようにしたところです。
    政権の普通の動きと革命政権、という認識は、そんじょそこらの政治主義者達にできるもんじゃあありませんぜ。だいたい、彼らは知識すらないし。 

コメント
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