リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

国会定数

2011-05-03 21:39:24 | 断片
 こんばんは。 連休とはいえ、ようやく引越し片付けも終わりかけで息をつく今日この頃
 朝日新聞によれば、自民党はこの震災時期に政権に入るのはいやだそうな。

(最近増えている読者様あて。ブログ始めのカテゴリーで「断片」と書いてあるのは酔っ払っていることを示す符丁でして、「読んでもためになりません」、ということも意味します。)

 情け無いねえ、、、わたしなんざ、政党の評価加減では
 今の自民党 <民主党 <昔の自民党 < ?
の順だけどねえ、ってどれにも選挙票はいれないけど。
 「この時期はイヤ」 なんて言は、要するに、
 「この時分、大衆受けのことはやれないさ。民主党で勝手にやってね。
 じゃあ、国政はどうなる?って、ほっといたって官僚がやってくれるさ、官僚はそのためのもんだろう」 ってことでしょ。
 って言ったって、自民党の誰も反論ができないのが更に情け無いね。そのとおりで悪かったね、かい。
 
 だいたい、議員の数が多いのって気に入らないね。公務員の多いのは、仕事減らせばいいのだけれど、国会議員なんざ減らそうにも元々仕事ゼロじゃん。官僚の作った議案に手を上げるだけ。いらねえ、って。
 でさ、衆議院議員は47 (中高年様へ。Yahooによる都道府県数です、、、そうだっけ?)×2=94人定数だよね。
 で、参議院が同数。(政策見本市で政党比例にでもしたら)
 これ以上いらんがね。 どうせいたって、ごらんのとおりクズばかり。
 
 何が一人で何票の代表権だね。地域を代表するなら、2人で東京都民1200万を代表すりゃいいのさ。鳥取も2人で代表する。代表ってそういうもんじゃないかね。こっちの自治会は世帯の人数が多いから2人じゃ代表できないんよ、なんて話、ないしょ。 あるのは、最後の多数決でいかに自分のところに有利にしようかというだけ。そんなもの、意見は拝聴するが地域の勝手にされてたまるか、というのが国家の立場というもの。
 地域は、自己の独自性を主張すればいいのであって、それを国家レベルで総合的に判断するのが国家というものさ。数が無きゃ主張できないなんて、小学生以下。
 そうした平等な地域主張があってこそ、地域の原発の有無を国家として決める、決めた、だから責任は国民全員で負う、ということじゃないかい。 (ま、今回、多数を占める東京的都市議員が、原発の性格の(危険性の放置という)全てを決めたといえないこともないし。 (といって、そこまで福島県出身議員を買いかぶってはいないけれど))
 
 ま、どうでもいいけど、地域2人というのは、一人じゃはずみで受かっちゃうのでその補完。
 参議院があるというのも、ほっときゃはずみの衆議院議員だけで政治傾向がでちゃうのでその補完。
 中高年の智恵だね。
 
 なんてことを書くんなら酔言などといわずとも、とお思いになるかもしれませんがそうじゃない。
 地域の代表、国民の代表というものはその体制に応じて決めるものなんでね。
 私のような無政府共産主義者には、代議員制度からして、まずは生産点の評議員、その職業的利害の代議員、一方での地域の代議員、等々とか、理念は別にあるもんで。
 じゃあ、これは、って、ウサ晴らし、ウサ晴らし。国家がお好きな人にはご参考までに。

 ったく。 国会議員は国家の代表として働けよ 
 
コメント
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