リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

マイ・ワールド

2010-04-11 16:15:11 | その他
 こんにちは
 今日はようやく花見ができました。
 近くの公園で、ソメイヨシノと花壇のチューリップ他。
 もちろん東京じゃ遅すぎの花見ですが、その分公園は独占状態。青い空にはらはらと散る花びら。十分十分。ようやく春です。

 さて、今日は、文化的に写真のことでも。
 林忠彦という、中高年のカメラファンには名の知れたポートレート作家の本を借りてきまして。
 太宰治がバーの椅子に足上げて酒飲んでる写真を撮った人です。坂口安吾の紙くずだらけの書斎を撮った人とか、織田作之助が革ジャンで煙草吸ってる写真撮った人とか。
 なんつうと、なんて古い話を、という感じですが、その頃は20代。もっとも、そのまま死んでしまった人でもあります。
 本人も、お前の写真は被写体の名声で持ってる、といわれるのが一番いやだったような。
 
 わたくしなどにはシンプルに偉い人でしたから本を借りてきたのですが、どうも、そんな悪口ももっとものようだ、というのが結論で。
 本人の特徴、ないんだもの。
 同じ頃の仲間だと、風景の緑川陽一、花の秋山庄太郎、女優の大竹省二、ロマンの植田正治、みんな自作写真が2枚並べば、作者が当てられる人たちじゃないですか、って、なんです。
 ところが、この人の写真は何がなんだか。
 自分のワールドがない、有名な人には稀有な種類。
 やっぱ、被写体次第の人だったのか。
 どおりで、コンタックスのAEの賛美宣伝なんかして。実体はミノルタAEなのにね (じゃなかった、ヤシカ。ミノルタはライカでした。花見の酒が、、、) 。浪費癖でお金が欲しかったようです。ニッコールで十分の写真しか撮らないくせ。
 
 なんか自分の作品にワールドがない芸術家ってねえ。
 私が本人なら淋しいなあ、、、本人はどうでもよいのかもしれないが。
 
 ということで、一流どころは(先に挙げた人に限らず)みんな自分の世界を作っていることを改めて発見したところです。
 やはり、良くも悪くも、人にカネを払ってもらうには、個性を確立させることが必須なような。
 私もサラリーマン仕事で、○○(本名)ワールドと呼ばれたことがあります。悪口だったと思いますけどね。
 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする