不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

歴史を生きるということ

2009-08-16 22:22:55 | 歴史への視角
 世の中には、「歴史を生きる」という言葉があります。最近は聞かないですけどね。
 さらに、左翼では「理論と実践の統一」という言葉があります。もう30年聞きませんが。
 あと、もう一つ。弁証法の中では、正・反・合という言葉もあります。
 本日は、こんな左翼系のことばの、誰も知らない根拠を申し上げようかと。
    普通の人あてには、先のタイムマシン論、ということで。
    別にばかにするわけではありませんが、こうゆうのを伝えるのは、部外者には難しいんですね。身に覚えのないことはわかりません、という例題のようなもの。

 さて、社会科学をしようと思っている人は、観察者になってはいけません。人は主体の立場を離れては、生きている人間の生活を何も理解できないからです。
 この説明は長くなるのでやめますが、具体的に私以外の諸理論をみれば、結果として瞭然としたことです。
 が、一方、人は観察者の立場に立たなければ、生きている人間のことはわからない。こっちが今日の本体です。
 
 社会を見て、その中のある特定の状況で行為がもたらすはずの結果を簡潔に述べることは、若い人や人間関係の希薄なところで生きてきた人に告げる場合には、有意義です。その人たちはそんなことは知らないから、という意味ですが。
 ですが、それは必ずしも簡単なことではない。人の行為は瞬時になど終わらない、その一点が、人間行為者には理解しがたいからです。
 それは若い人ばかりでなく、統計学主義者や個人崇拝主義者にも理解しがたいところなんですけどね。(ちなみに、前記2者は往々にして同一でもあります。学生の人は、教授連の顔を思い浮かべてください。)
 要するに、何をしようが50年以内にその状況から抜け出せない人間は、どんなに嫌だろうが苦しかろうが理屈に合わなかろうが当たり前だろうが助けてもらおうが闘おうが、苦しんで死ぬしかない、ということがわからない人間のことですね。なんで、闘おうとしないのか、やら、がんばって上昇しようとしないのか、とかおっしゃる。

 ちょっと、被支配者、とくに江戸時代初期の被差別者を想定してください。
 そんな個人にしてみれば、生きている間に何かやれば自分が助かるわけではない、そんな状況下で、何をやっても無意味です。 社会運動? なにそれ。一揆?? ばかじゃん。
 そんな個人にとって見れば、歴史とは単なる無意味です。

 でも、観察者にとってはそうではない。観察者は個人を離れて見ることができるだけ「歴史」を見ることができます。いつか、やエタが「人間」となる歴史を。
 さて、この場合、個人たる人間はどちらにつくべきか。観察者になるのか、行為主体か。

 実は、教育を受け、それを受けることが当たり前だと考えがちな近代人のサガとは異なり、観察者になるのも行為者になるのも、人間自身とは離れたところで動いている事象なのです。先の問いなど、問い掛けられもしない(当たり前だ? もちろん、当たり前なんですね) 人間行為者は、彼の社会において全てを決する。即時か歴史か、これは結果であり、結果を決めるのは現在の社会関係です。
 江戸時代の被差別者にとって、幸せは同じ家族の中にあり、それを圧倒する不幸が、その幸せを破る社会関係にある、というだけです。そんな世界では、歴史などありえないのです。

 ところが一方、1960年代の日本被差別者にとって、運動は自己を過去と未来へつなぐ掛け橋です。(でした、なんて知ったようなことをいうと不遜ですから、単に理屈の話で)。これが、行為者にとっての歴史です。
 
 ここで、1つ目をまとめます。
 1 歴史は、歴史の中を生きている個人に特定して課せられていること。ある社会的な未来が発生し、人間行為者に見えるのは、特定の歴史の中で、前を向いて生きている人間にだけであること。
 2 それも見ようとしなければ見えないこと。

 このように歴史を生きるのは、その歴史に居合わせた人間だけなのです。
 居合わせながらも、どの歴史にもあるように家族の食い扶持にしか目を向けなかった人もある。それが悪いというんじゃなくてね。おかげさまで私も、時代の不自由はありましたが、人並みに学校にいかさしてもらいました。ありがたいことです。
 ともかくも、歴史を生きるのには歴史に存在するという資格が必要である。
 
 ついで、2つ目。
 行為者は観察者の立場にたたなければ、運動に入れないし、続けられもしない。といって、この観察者の立場に立てるかどうかも歴史である。
 
 さらに、3つめ。そんなことを言っても、こんなことをいう私を含めて、歴史に取り入れられたり排除されたりするものだ。
 歴史は続いているのに、歴史の意義を知ったはずの旧運動者は、今となれば、9割越えて管理者階級ですよね。
 行為者も観察者も歴史の中で踊る。踊りながらもくるくる回る自分と他者の立場を見極め続けるのが、行為者であり観察者である行為者人間の本来あるべき姿なのです。
 これが「正・反・合」の本来の意味です。それは「人が生きようとする限り」永遠に回り続ける。この「人が生きようとする限り」という点が大事です。
 この点を書いていない自称左翼の哲学書著者は、左翼でもなんでもない。偉そうに(ブルジョワ)学者の真似をして喜ぶ「事大主義者」といいます(昔はスターリニストといいましたけどね。まことに的確な評だと思います。)
 
 さてここで、社会科学が分かっているかのような顔をしている我々が、まずは知るべきなのは、仮に運動が被差別者の未来を作るということを知った、そんな江戸時代の被差別者が必要とするものは、生存する方途だということです。生存しうれば小さな家族の幸せを持ち続けることができるからです。
 
 だからどうだ、ということではなくて、研究者がそれを知っているのかどうか。この認識が、社会科学研究者の資格の最低の一段階だ、ということです。
 歴史を生きるという言葉は、生きる歴史を目の前にした行為者しかいえない。まずは、それを掴まなくては何を言ってもいけない。
 一方、観察者Aは、今を生きればそんな日が300年後くることを知っている。
 その地点で、行為者としてどう他の行為者と関わるのかが、Aにとっての歴史となるのです。
 

 なお、ちょっと話を戻して差別の話ですけどね。
 これは内緒ですが、それにしても、イデオロギーはここで最初の力を持つことになります。
 それは事実認識の1種として、死もありうると決めた人間に、最期の行為を導くほどの幸せを与えます。 死とは本来そうした事実認識の問題であり、それがウソか真か、それは誰にも知られない、単に二択の事象なのです。
 こうして、最初の解放の萌芽が現れたのが、最初の差別の日であり(なんで、同じ人間が、という自由への要求が人の中にあらわれるのです)、最初の解放が現れたのが、「被差別者が解放の主体である」、と言語により宣言した者が出た日となるのです。
 これは宣言を指しており、また、この宣言の思想を社会に出した者を指しています。
 その時間的な手前には、別の運動もありました。明治政権がもたらした「・エタも」、だから同じ人間として生きさせよ、という主張の運動です。でも、そんな一般的平等のお願い運動は、被差別者の身分を上昇させはしませんでした。
 宣言は、であるという一般的平等を越えて、被差別者が歴史の主体であることを断言しているがゆえに、そのために死ねる解放の運動となったのです。その証左が戦前の差別糾弾闘争です。



 ま、歴史が意味をなさない時代、じゃあ、何が自分を助けるか。
 神様ですな。かくて1神教がはやる。だらしないヒンズー教がはびこるインドでは、クりスチャンの8割が不可触賎民とのこと。普通は宗派分化して解放の思想ができるのに、ヒンズーといったら。なまじ仏教があるからか、、、。
 なお、ガンジーはヒンズー教徒だそうです。『不可触賎民は苦しみに耐えているから神の子』くらいは唱えたそうな。
 耐えとって神の子じゃ、我慢し切れんやつは悪魔の子かな。



コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« タイムマシン論の誤り再論 | トップ | 短歌の表現 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史への視角」カテゴリの最新記事