リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

ロールモデル

2022-03-14 15:50:46 | コーヒーブレイク
 てゆうか、隈個人だけの思い出話なんだけど。

 中学3年の時、クラスでグループに分かれてノート交換をしてたわけ、1グループ5,6人くらいで。
 みんな中3で思春期だから内気そうな人でもそこそこ書くの。わたしなど隠れ外気だから書きたいこと書いてて、ビートルズの歌詞の翻訳なんかしててさ。たとえば「The fool on the hill」。「らしい」でしょ。
 そしたら担任の国語教師が、「自分で書いた詩を載っけろよ」とかいって。
 うまい訳だと思ったんだけど、まあそうかい、てなもんでなんとなく先生と親しくなって。
 清水厚夫先生。”シミアツ”といって、ちょっと前は世田谷区で俳句の会かなんか主催してたよ。

 で、夏休み、親戚の家の近くの淡路島五色ヶ浜で拾った貝殻を手土産に家を訪ねてみたのね。多分、性格的に突然訪ねたんだと思うけど。目黒区目黒本町。清水池公園の近く。
 休みで奥さんやお子さんがいらしてお邪魔様で、そしたら先生、そのとき中原中也全集を貸してくれたのさ。全6冊かな、よく持って帰れたなと思うけど、その頃の版は貧相だったから。
 ともかく、それが悪かった、というか良かったというか、人生で決定的だった。
 翌日からわたしは中也になってしまった。
 勉強もわざとしないで呆(ほう)け三昧。こんな影響力の強い悪本をよくいたいけな子供に貸そうと思ったものです。
 まあ呆けたのは自分の性格だけど。うちの母親なんか清水先生を恨んでたよ。
 ほんとは違う。すでに前年、わたしゃ以前は成績が良かったので、中2の学年末試験で全校2番、担任の理科の沢先生が「残念だったな」というんで、”馬鹿なことを、、”と思って校庭を眺めながら「そうですね」なんていった覚えがある。”もしも残念なら試験勉強でもしたさ、、”てなもんで。生まれてから自分の好きなことしかしない性格だったところへ、授業がつまらなく(あるいは大人が嫌いに)なったんでしょうね。

 それで、中也とはそれ以来の付き合い。宇宙の機構、悉皆了知でさあ。
 もっともロールモデルは半年ほど。アナキズムが純化すると同時に、私のほうが「お兄さん」になってしまった。中也も困った子だねえ、、です。
 中学卒業生のお言葉文集に載せた、「汝、破壊せよ。あとは自分で考えな」なるお言葉は、中也とアナキズムの未分化形態ですね。

 という人生的転轍(てんてつ)点。こんな昔話の記事は、宇野弘蔵の「資本論五十年」という自伝対談を読んでて思いついたところです。もう自分しか知らなくなった話は、自分で記録しとくしかない、と。私もすぐ消えるし。

(なお、この自伝本は勉強には厚いばかりで大して役に立たない。経済学ゼミナール3冊が極薄で要を得ていてよろしい。どこかで見つけたら買っておくのはお薦めです。ただこの自伝本は、「経済学ゼミナールは(ゼミ生)岩田・降旗の収入確保のために作った」なんて話が載ってる本です。徒弟制度も悪いことばかりじゃあない。)

コメント
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