リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

写真のうまさ、あるいは好み

2015-06-20 11:25:48 | コーヒーブレイク
 こんにちは。涼しい日が続き、順調に自前仕事中。南九州方面の方はお疲れさまです。
 先週は、ずっと昔の仕事仲間で下田に遊びに行きました。わたしは観光にはまったく興味がなくて、人間がいないならせめて山の中に熊でもトカゲでもいたらそっちのほうが魅力的なのですが、これもお付き合い。で、海中水族館というところへいってイルカショーなんか見ました、ら、そこのトレーナーのおねえさん(に遠くから見える)人が見習いのようなんですがなんとも一生懸命に作業動作してて。もっと手を抜いたらいいのにねえ。やっぱイルカは低級だな、これがオランウータンやゴリラなら、「ねえ、いいから力抜きなよ」、といってくれるに違いない。ああゆうO型な一生懸命さは胸がヒリヒリ痛みます。
 
 本日は新聞には何もないのでyahooを見たら、『横畠裕介内閣法制局長官が集団的自衛権の行使容認を、、、フグに例え、、、、「フグには毒があるので全部食べればあたるが、肝を外せば食べられる」と述べた』そうな。いい人なんじゃないかね。立場のぎりぎりのところで抵抗しているように聞こえる。大事なことです。人間、生活のためでも、誇りを忘れたらおしまい。
 
 で、きょうは写真ね。
 記述の息抜きに図書館でN川さんという写真家の山の写真の本を借りてきました。当時写真家歴数年とのことですが、これがなんで下手なのかなあ、と思案。ずいぶん失礼だね。
 ホンマタカシのような写真で、じゃあどこが違うといわれても困る。説明が困るだけですが。
 世の中、山女子という人がいて、ハイキングブログに記録写真を載せているのですが、これがうまい。ぜんぜん芸術的じゃないですが、本質的にうまい。ただの記録写真じゃんといわれても、これも困る。
 
 そこで話は変わるようですが、2、3日前、新聞に、大岡信という詩評論家と(もちろん自称詩人ね、じゃ悪口か。すぐれた美学者、でどうかしら)谷川俊太郎とがテーマになってて、噴飯。たしかに稀代のコトバ職人の二人。
 で、位置づけをすると、X軸に「自分の心」、Y軸に「ことば」で十文字をつくるでしょ。(ごめん、初め逆にした)。上方向と右方向がプラスね。そうすると、彼らは左上の象限の上部に住む、というわけ。
 中原中也なんかは右下の象限ね。
 
 で、同様に、こんどは写真。
 X軸に「自分の心」、Y軸に「自分の世界」で十文字をつくるわけだ。(ごめん、ここも初め逆にした)。上方向と右方向がプラスね。
そうすると、天才アラーキーやホンマタカシ、さらに山女子氏は左上の象限の上部に住む。で、このおねえさんは右手線上というわけ。
 やっぱ、写真てさあ、目の前の世界を写すんじゃなくてさあ、自分が思い込んでいる世界を写すもんだとおもうんだよね。記念写真のような目の前の風景じゃなくて。それこそ、デフォルメだよね。「そんな世界、世の中にないしょ」、っちゅうのが、それがたとえ風景写真でも、写真家の写真の世界だと思うんだけど。N川さんという人は、自分の心に合わせた風景を取っちゃうのね。これが似て非なる作業。
 とはいえ、中也が本物の詩人であるように、このN川という人も、写真的にどうかはおいて、写っている世界はなかなかのものです。だから借りたんですけどね。問題は、普遍性の少なさだけ。「自分の」世界を作り出したほうが、かえって感動が普遍的になる。コトバじゃないから、好みが違うとコミュニケーションがつらいやね。

コメント
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