リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

今週も土曜日です

2014-09-13 21:14:00 | 断片
 こんばんは。9月だというのに頭の過ごしやすい今日このごろ。もう土曜日。

 ちょっとネットを開けてみたら、「和歌山県みなべ町議会」が、『おにぎりを作る際には積極的に梅干しを使っていこうと町民に呼び掛けることなどを盛り込んだ「梅干しでおにぎり条例」(仮称)の制定を目指している』んだそうな。まったく田舎もんだねえ。おらが町の人間はオラが町の産業に貢献するのが当然だと。条例という権力行使をなんだとおもっているのかねえ、いや、そんなもんだと思ってるんでしょうけどね。中身のある条例は国や県が作ってくれるのを右から左へ素通しするだけからね。自分たちでやれるのは梅干の作り方くらい。
 あなたもそんな町が好きですか? わたしはそんな村役場は大嫌いです。あ、やくばじゃなくてぎかいか。田舎じゃおんなじさ。

 ま、土曜日なので、朝日新聞問題でお茶を濁そうかと。
 
 池上とかいう男の記事の掲載拒否問題は、これはアサヒの社長の夜郎自大な性格のようにも見えるので社会学的にはつまらないね。
 もっとも、夜郎自大だけが社長につくという構造が、大手マスコミの宿命といえばちょっと面白い?
 要は、手下は「社会改革を」、みたいな人間の中で、それじゃあ資本主義国家のご意見番にはなれない。なれなければ新聞社はつぶれる。この矛盾をへとも思わないやつでないと経営社長にはなれないということさね。これは、わたしがマスコミの歴史の勉強をした対象の今から75年前以降のアサヒはすべてそうさ。
 
 で、原発社員の悪口さ。
 これも夜郎自大なアホ社員が、つい、正直にアサヒの報道姿勢を今に適用してしまったんだね、つまり、なんとか他人をけなしてやろうという根性さ。
 むかしはこれがバレなかったんだよ。なぜかって、他人をけなす基準がイデオロギー評価だったからね。
 新聞なんか他人をけなせば売れるんだが、この基準がイデオロギーだと絶対的、擬似客観的だから、大衆がおとなしければけなしようもない。結果、「あいつは右翼だから国を戦争に追いやる」 とか言ってけなしてりゃよかったんだね。
 ところが、この基準がもはやなくなってしまった。
 なくなっても当人たちは前とおんなじに記事を書く。新聞なんか他人をけなせば売れるんだ、先輩たちもそういっている、まかしとけい、俺はいつも2ちゃんでやってるんだぜ。
 って、その結果は2ちゃん記事だ。至極当然。
 
 ほんと、なにも弁護の余地などない。
 
 まあ、慰安婦問題は知らないけどね。知らないし知りたくもない。どうせ、おんなじ構造さ。
 おかげさまでド迷惑もいいところだ。右翼に謝る前に、弱みを作ってご迷惑をおかけしたと慰安婦・支援者にあやまれ。
 
 
コメント
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