リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

反原発デモは自己満足か

2012-07-19 21:04:02 | 断片
 こんばんは。東京地方ここんとこ夏が押し寄せ、とくに今日の昼は照り照りの真夏
 とおもったら、帰る頃には涼しくなって。
 涼しきゃアタマも動くのさ。
 前回いいかげんだったので、同じ週に、も1回、いいかげん2つで足して1に。
 
 世間には、開沼 博という社会学者がいて、いまYahooを開けたら週プレNEWSとかいうページで真面目そうな議論をしている。
 「反原発デモなんて一時の花。もっと生産的な論議をしろ」、ということだけどね。
 社会学者はみんなまじめ。こんなのを読むと社会学者の9割は「そうだね」、と思うんでしょうね。
 そんな社会学者一般を、ぼくは一左翼の頃から好きです。

 が、彼らってそれしかいえないんだよね。
 それじゃクリスチャン (その他、宗教主義者一般) か政治学者だよ。

 社会学をやっているのに、実は結論はそれだから、考えることは「現象」面ばかり。
 「人がこうやってるが、人よ、それはちがうんじゃないか」
 50年来そればかり。
 そんなこといってて社会が変わると思ってんのかね。

 ま、そういうもんです。
 なぜか社会学実証家は、人々の不備を突いて、実は新たな不備を奨める。
 人がいいってことですね。 付き合って損はありませんよ。(もっとも社会学理論家とはつきあいたくありませんが)
 中島みゆきの「世情」ですね。
 『包帯のような嘘を見破ることで 学者は世間を見たような気になる』

 そんな諸君の笑っちゃう認識でも、みんないい人なので文句はつけたくないし、文句つけたって、なにも変わりはしない。社会学者に左翼になってもらう以外にはね。

 そんな社会学者の、ジョーカーな悲哀。
 
   
   彼らが知るべきなのは、『人は自分でよいと思ったことをするしかないんだ、それはお前と一緒だがな』
   というテーゼですね。
   ひとのいい社会学者の皆さんは、よく噛みしめてくださいませ。
   
   ついでに開沼という人は、いわく
   「原発ありきで成り立っている社会システムの“代替案”をいかに提示するか」。   
   ごたくはいいから、早く自分で提示したら。   
   社会学者は大方いい人ですが、そこまで考えようとしたい人は、50人に一人。
   ここで、まともな社会学者など、2%になっちまうんですね。
   それは社会学者のせいではなく、人間のせいですよね、あなたも会社の同僚を見て知ってるでしょ?

     私は、2011年の年頭の夢ブログ記事に書いたように、原発が安全になるのをいまだに夢見ておりますから、反原発デモは行きません。
     でも、世の中というのは、何も知らない人を交えて、動いていくものです。
     そして訳知りの人は、何も知らない人も、命を賭けられるように状況をセットしていかなければなりません。

        たって、彼らにはわかんねえよな、インテリのふりしてても。


コメント
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