リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

抒情の為し方

2012-06-22 21:30:03 | コーヒーブレイク
 こんばんは。東京地方、まだ初夏前。もう少し(の期間、暑くなる前は) アタマが動きます。

 ここのところ投げやりな執筆態度が続いておりました当ブログ。
 今回は、土日連休もあり、ちょっと(だけ) 態度を改めまして、文芸派には短くも分かりやすく、(って、無理かも)。

 はるか昔、吉本隆明(という評論家)が、”中原中也を含めた四季派が詩壇の堕落の根源だ。彼らが生き残っていたら、彼らはみな戦争翼賛派となっていただろう” と、のたまったことがありまして。

 わたしなどは中也ファンとしてくやしながら、そりゃそうだろうな、なんて思ったところであります。
 立原道造なんて、いかにも翼賛詩人じゃありませんか。彼のようなへなへな男は、絶対、死に行く兵士を称えるでしょ。
 かたや、強固な論理の固まりにもみえた吉本は、そりゃ右翼になることなどあるまい。

 なんて思いながら40年、ふとみれば偉そうな口先評論家吉本は、右翼に成り下がって死ぬ。
 そう思ってよく考えてみれば、さきの立言は嘘ですね。

 結局、自分で価値を立てられない男どもが戦争翼賛派に成り下がってゆくのだ。
 吉本のごとき、”大衆翼賛”評論家は、結局、大衆右翼になって死ぬしかない。

 しかして、中原中也は、戦争翼賛派にはなっていたはずがない。
 戦争は呪わないだろうが、軍人共と大衆をけなしつづけて栄養不足で肺炎で死んだだろう。
 抒情そのものに価値を置くのではなく、抒情をどう表現するのか、その表現の仕方に価値をもてる者が本当の詩人なのだ。

 そう喝破しえなかった思春期の私は、やはり若き吉本主義者だったのかもしれません。
 人は、恥ずかしい評判を避けようとする女々しい根性があるのなら、自分のポリシーを立て、かつ、それに殉ずるしかない。しかし、そんなことは恥ずかしい評判を避けたいなどという女々しい男にはできるはずもない。できるのは、ただの脳足らずの(私のような)男たち。
 若い人にはわかんないやね。

 と、本日思わせてくれたのが丸山=美輪明弘。
 「人間に大事なのは抒情なのよ。」
    今日の朝日新聞の広告ですが。
    自分で分かってない。
    そう表現できる丸山明弘の言葉が抒情の仕方なのだ。
      抒情が、ではなく、抒情の仕方の貫徹が、人間の生理活動を、生命活動に変える。
      丸山明弘。
         男だ。

コメント
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