リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

「思想のまともさ」を測る指標

2012-04-29 16:57:07 | 行為
 こんにちは。皆様はそろそろ連休? わたしはもうちょっと。
 4月から職業仕事も自分の仕事もなかなかペースがつかめませんが、昨日は新しい職場関係者にインフォーマルに褒めてもらいました。わたしは仕事より人間のほうが大事。執筆は進みませんが、それはそれでよしとしよう。

 さて、昨日朝日新聞の夕刊特集記事、「武田清子」だって。 へ!? てなもんで。(福田宏樹記。 この人はべつにふつうの記者だけど。ま、ふつうといえるだけましな人かも)
 いや、私も心が広いところもあって、どんな人でも1回くらい取り上げてあげてもかまわないんだけど、2回目なんだよね、朝日。先週も別の箇所で載ってて。どっちもべたぼめ。
 わたしゃさすがにそこまで広い心はないの。

 武田清子というのは国際基督教大学名誉教授ね。思想史学者ということになっています。
 私は、昔、図書館で氏の分厚い本を立ち読みしたことはあるのでいえば、べつにふつうの思想史学者なだけだけど、他方、国際基督教大学闘争の弾圧者として知られている人ね。
 なんつって、根拠は田川建三の本だから偏向しているけど、話題のホットな40年前にも反論は出なかったから本当だと認識しております。知っている人は知っている ”ICUのチャペルの庭は学生の血を吸っている”問題ね。

 というわけで、本日のテーマ
 【「人の思想のまともさ」というものを測る指標】

 誰かが人を思想家として褒めたときは、下の指標に当てはめてみるのがよいです。
 どれだけその話が眉唾かが分かる。

 まず座標を作りますね。
 最初に、具体的な人間を扱っているか、観念的な人間を扱っているか、という軸が一つ
 次に、具体的な社会を扱っているか、誰かがどっからか持ってきた社会の分析なしのイメージを前提としているか、という軸。
 この2つの軸を交じらせると、4象限ができます。

 象限てなんじゃ?
 はい、数学の座標の十文字で区切ったスペースのことで。
 たとえばwikipediaで「直交座標系」を引いてもらうといいのですが。
で、
 x軸、プラスが具体的人間、マイナスが観念的人間
 y軸、プラスが具体的社会、マイナスが観念的社会
にとります。

 そうすると、自然に
  第1象限(=具体的人間が動く社会分析)が、まともな社会科学(行為論的社会学、実証的社会学)
  第2象限(=アタマで作り上げた人間が動く社会分析)が、くずな社会科学(経済学、社会運動思想)
  第3象限(=勝手に作った人間像がイメージで認識?した社会で動く代物)が、意味のない随筆(政治思想理論、宗教)
  第4象限(=具体的人間が生きるが、社会の分析のない評論)が、まともな倫理学(倫理学、宗教批判)
 ということになります。

 というわけで、知ってる人には、武田清子というのは第3象限で、田川建三が第4象限に位置することになるのはお分かりだと思われます。
 
 役に立つブログ、今回はちょっと片寄った見方ではありますが。
 
     いや、こんな正しい認識を「片寄っている」だなんて、私も奥ゆかしくなったものだ。


コメント
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