リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

歴史変更過程への行為者

2012-01-07 21:29:20 | 歴史への視角
 こんばんは。なんか疲れちゃいましたね。ま、わたしは疲れるようなことはしてませんが。
 だいたい、人間て半分以上他人のことで疲れるんじゃありませんか?
 
 というわけで、引き続いて、唯物史観に足りないもの。
 
 それは、「お前は『変革』というが、人民は、なぜあるときは変革行為をしてなぜあるときは変革行為をしないんだ?」という問題です(注:人民全体の問題は終わってますよ。ここではただの、状況を引っ張るかのごとき層(前衛)の問題)。
 これを答えていないから、常にマルキストには「子供のケンカアナロジー」論が起きる。相手は政府資本家なのに、おやつとったから仕返しするぞ、それにつけては共謀してやったほうが良い、先生にいいつけたりすんなよ、と同じ。「当たり前だろ、人間だから」って? そう思ってるのなら説得しません。ま、これをもって、彼らは「運動論」とか「革命論」とか呼ぶのですな。
 ほんと、この「革命論」と、近経学者の需要供給の子供の買い物ごっこ論とは、無邪気さの双璧です。
 そんな論議で社会が動くなら、社会科学はいらない。
 
 さてと、答え、第1段階。
 現実は人間に平等を求めさせる。
 すなわち、人間の自由は、「同一であるべき」他者の自由を自己の将来とさせる。
 もちろん、どこまでが同一であるかが本当の問題なのですが、今問題なのは価値観の有無だけなので、それは価値観が決めるものではない、といっておきます(それが不満の人は隈著:『行為の集成』をお読みください)。 これが心的な不満の発生です。
 さてしかし、それだけでは国家武力の貫徹する世の中で、その行為の将来をめざして行動に移すことはできない。人間は、その不満を、逆流に抗して、組織化する必要がある。
 その根拠が、一般に価値観です

 人間個人が感ずる賞賛と優越の程度は、その間に「誇り」として、そのために命を掛ける規定性を生みます。
 それは賞賛と優越が、人生の全ての行為の目標を「目的」として構成する場合です。
 たとえば、ともかく飢えているだけの人間は、ともかく食料を手に入れる算段を考え、行動するほかはない。
 しかし、口足りたまま、たまたまあと5日分の食料しかなくなった人間は、飢えて死ぬか強奪するかを考える際に、それ以前の人生で仕入れた「誇りをもって」死ぬ方法を講ずることができる。
 それはどんなことか?
 人は、これから生きようとする人生に向かって、ある者が生きる方向を集合的に現物として見せられたとき、方向性を集合的に入手する。
 それを自分もまた遂行すべきとき、と認定したときに遂行するとき、それが誇りとなります。
 人民は、自分が歴史的人民となるときは、この過程に入る必要がある。
 
 ところで、人間の賞賛と優越を形作るものは、生理性、すなわち、武力権力と共同体権力のネットワーク(内の人間を見つづけた思春期までの人々について) です。
 この過程、すなわち、ある種の権力的地位の保持者の宗教家の息子その他が人民の窮状を見かねて殉教したとき、それを見た思春期人民がこれを胸に秘め、自分の30歳を形成する。
 こうして、安定した社会の崩壊は、15年をおいて社会の変更へ影響を及ぼしていきます。
 趣旨は、権力ある限り、人間が命を賭ける価値観は復活する、ということではありますが。
 
 さて、このブログ記事3回ほどで私たちが見たことは、支配は、人間間において剰余を強制的に発生させ、その剰余によって、動産価値を発生させていくものだ、ということです。
 しかし、そればかりではなく、他方で、人間間の平等の希求という行為原則により、人間は、支配の減少と支配の交替可能性を高めていきます。
 歴史とは、この全社会的な「要請と実現」のシステムの推移といったらよいのです。

 なので、1国社会主義の基本は単純なのです。
 国家内の人民の安全において、衣食住が安定的に確保されているかどうか。
 この2つの要素がなければ、全ての試みは階級国家に終わります。
 ソ連は? 中国は?
 物言えば唇寒いところに人間の自由などないのは、誰に教えてもらう必要もありません。 

 さらに、成立している階級国家においては、人民の平等性が確保されていなければ、それは常に転覆の運命にあるわけです。
 ソ連も中国も日本も同様。
 仮に、百万が一を越えて、両者(3要素)が確保されている国家においては、計画経済であろうと、商品経済であろうと、「社会主義」を出現させることは、1国的には政治意思において可能です。
 もっともそれは、国家である限りにおいて、「共産主義」ではありえないことは、基本の中の基本として忘れないでください。
 
 ところで、日本国なんか、とても社会主義に近いですね。残念なのは、それが他の後進国を踏み台にしていることで。それが資本主義日本、ということです。
 おかげさまでそろそろ危ない。だから危うい5年+15年=20年後が、私の本の読まれ時です。
 
コメント
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