リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

戦友的、本

2011-08-28 21:30:06 | 「行為の集成」
 こんばんは、ごぶさたです。
 いつのまにか外は秋の虫の音。
 ここのところ9月も暑かったので天候異変のような気も。まだ8月ですよね。

 今日のニュースは、アメリカ人がまたアルカイーダをテロったとのこと。(反米石原慎太郎が気に入らないので、在日米軍が都知事室にミサイルをぶちこんで殲滅したようなもので。金大中事件なんてかわいいものです)
 一般人なら「彼らは歴史から何一つ学んでいない」 とでもいうところですが、ま、ただの資本主義の本性ですね。
 もちろん正しくはアメリカ人ではなく「アメリカ軍の」テロなのですが、自称民主主義国なのだから、合衆国人は全て罪を感ずるべきですな。
 
 古来、昭和天皇をテロしても誰かが後継するし、東条英機をテロしても次にだれかがその位置につく。
 歴史の真理ですな。 
 もちろんアメリカ人は、一時的に軍事好転が図れればいいだけだからテロも彼らには意味はあるのだけれど、それは一時的な好転にすぎない。
 死ぬ気のある人々が存在する間は、つまりその環境がある限りは、ひたすら人が殺されていくだけだ。つまり自立的共同性が環境にない限り、あるいはそれをアメリカ人がさらに壊し続ける限り、民衆が無意味に殺され続ける。
 
 アメリカ人は、タコばかりだねえ。
 
 
 さて、本日は、それよりも個人的に、例の私の著書。行為の集成。
 もう今日で一般人の相手はやめます。出版社とかね。
 本は著者の手を離れて自立しました、と規定します。
 
 ああ、さっぱりした。
 冗談、ポイ、さ。
 
 夏休みで一般人のようにゆったりしたとき、ふと「行為の集成」の失敗原稿再使用裏紙を引っくり返してみたりすると、いやこれが心が狭くってひとの悪口ばかり。ありゃありゃ、みたいなもんで。
 そんな著者的姿勢だけで、こりゃ今の幸せな人々にはウケやしないな、と思ったりしたところです。
 
 ま、ね。この本は、科学的内容以外は、今の人向けではないから。
 30年前、40年前の本。
 えーー、そんな古ぼけた本を、って思うのが間違いね。
 これは同時に20年後の本。
 
 わたしは幸せな人の友達でなくていい。不幸せな人の、隣人でいたい。そのための本を書ければそれでいい。
   ほんと、気を持続させるには、そういう戦友(という著書)が必要だし、そういう戦友のためにはそういう(人の悪口を言う)気が必要なのね。
     ではこれからがんばってください、僕の戦友。
 
 
コメント
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