リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

上から目線のない思想界へ

2009-12-31 21:30:54 | その他
 こんばんは。大晦日でございまして、本年もいろいろお世話になりました。
 読者のお方はなんのお世話もしていないはずですが、見られている方では、ブログなんざ見られてなんぼ。
 もっとも、私もおじさん稼業が長いもので、わかってもらえる人に(だけ)覗いてもらったらといつも思っておる、というのが素直さに欠けますが。

 ま、そんなご挨拶はこのブログらしくなく、本日は、朝日新聞を題材に、最近の思潮。

 この某A社社説によると、この不況下やら環境問題下やらの世界、
「苦労や痛みを分かち合って」 暮らしましょうだとさ。

 何いってんだよ、分かち合う気もないくせに。
 お前なんか大マスコミの論説委員で100万円ぐらい分かち経験しても痛くもかいくもないだろ、で、ホームレスに100万円寄付したのかよ。してっこないぜ、嘘っこき。結局、持てる者のダボラさ。

 こういうのは社会学以前で悲しい話だけど、ただの嘘なの。
 支配階級の取り分からは、昔っから、労働者が勝ち取るものと決まっているの。
 分かつんじゃなくて勝ち取るの。当事者がそうしなくては世の中変わりはしない。
 いまだかって、世界の歴史で、支配階級の取り分が被支配者に分かち与えられたことなどないの。

 昔の人間はそういうことを言わなかった。
 今57歳以上 (私より上ね、これほんと) の評論家は若いときそういうことを言わなかった。
 こういうときは 「労働者の言う通り、資本家は手を引け」 。というのさ。
 知らないでしょ、若い君。
 この論説委員も50歳以下か、慶応大学出なんでしょう。なにが 「分かち合って」 さ。空語にもほどがあるぜ。
 でも世間、こんなもんさ。某A社に限らず。
 結果は同じに、資本家等の所得が減る、それだけ。だが、誰なら 「減らすよう指図できるか」、という問題です。
 これが社会学じゃなくて、150年来の、ただの社会主義運動というものです。もう誰一人、知りゃしないけどね。
 
 さて、本年は、私儀、そこそこ給料に恥ずかしくない仕事をしてまいりましたが (って、はいはい、そりゃ十二分じゃなかったスよ) その間、隈の体系をまとめてまいりました。で、来年は最終まとめに入りますが、そのあかつきには、こういう明るい嘘のない世の中にしていこうと思っております。世の中、労働者とかね、努力する気持ちのある人が主人公さ。とりあえずね。
 もちろんそれでは不十分だけどね。不十分でも、まずは、力のある者が変えなきゃならないの。 (できんなら誰がやってもいいんだよ、そういう 「どっちでもいいこと」があるなんて100万人に一人しか理解できないことだけどね) 
 それが第二の人生かな。まだ、定年には遠いですけどね。
コメント
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