北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

しのつ湖でのワカサギ釣りは、…まあ良い釣り場です。

2017-01-21 22:33:18 | Weblog

 快晴で気温がグーンと下がった今日の石狩地方。買ったテントを引っ提げて、今年初めてのワカサギ釣りへ行ってまいりました。

 場所は、新篠津村のしのつ湖。札幌の自宅からは車なら約一時間で行けて、非常に便利な管理釣り場です。

 しのつ湖のワカサギ釣り、受付はしのつ湖のほとりにある「道の駅 しんしのつ」で行います。

 ビニール小屋は予約ができて、予約客も当日客もここのロビーで受付と料金の支払いを行って、釣り場へと向かいますが、早朝七時半ころにはもう朝狙いのお客さんが列を作っていました。

 釣り場は三日月湖であるしのつ湖に三カ所あって、受付近くの「たっぷ釣り場」、少し離れた「北釣り場」、だいぶ離れた「南釣り場」の三つです。

 受付のお兄さんに、「この三つの違いは何なんですか?」と訊いてみると、「たっぷ→北→南の順に水深が深くなり、それだけ難しくなる」とのこと。

 今回我々は、事前にここで釣った方のブログ記事を読んで、北釣り場を選択。まずはとにかくやってみなくては始まりません。


          ◆  


 北釣り場は駐車場が半分くらい埋まる感じで、それなりに人が集まっています。やはり札幌から近いので、友人同士や、小さな子供さんを釣れた親が目立ちます。

 人気なのはビニールハウスで覆われた小屋でのワカサギ釣りで、道具から餌まで一切をレンタルでやれますからお気軽この上なし。

 我々はテントと釣り道具をはじめ、暖房に食事、"たくさん釣れた時のための道具"までをそりで運びますので大荷物になります。

 それでも駐車場から釣り場までは150メートルくらいなので、それほど大変でもありませんし、管理釣り場の一番良いところはトイレが完備されていること。

 寒い場所で、しかも特に女性連れのレジャーということになるとトイレは最も大切なインフラで、シーズンだけの仮設でも良いから清潔なトイレを望みたいもの。
 北釣り場は、不快になるようなこともなく、快適な釣り環境が提供されていました。


 釣り場を決めて釣り穴をあけてテントを設営。釣り始めたのは8時半ですから、朝のタイミングにはちょっと遅かったかな、という感じ。

 買ってから始めて使うテントなので、テントの穴の感覚と道具類の配置などが全くシステム化されていなくて、まずは手探りでの釣り。今日は釣果を目指すというよりは、持っている道具でのワカサギ釣りのシステム確認がメインの目的の釣りでした。

 …とまあ最初からそれが言い訳になっているわけではありませんが、釣れない!

 ワカサギが餌をつつくのは実に小さな反応なのですが、その小さな反応が全く来ません。

 フェイスブックに「ぴくりとも動かない」と釣り竿の写真をアップしたところ、何人かの友人たちからいろいろなアドバイスをいただきました。ありがとうございました。

 あきれ果てて、試みにテントの外にもう二個ほど穴を掘ってやってみたところ、そこでようやく二匹が釣れたので、テントをこちらの穴の上に移動して再挑戦。
 それでもなかなか魚が寄ってこないなあ、と言う感じ。

 お隣で一人で釣っていたお兄さんと会話になって、「釣れてますか?」と訊くと、「ええ、まあそこそこ。水底が4.6メートルなので、それより20センチくらい上で釣れていますよ」とのこと。

 テントの中にいると、周囲では「おー!釣れたー!」とか、子供たちの歓声が聞こえ始めて、だんだん焦ってきます。

 ようやく夕方になって夕間詰が近くなり、少し釣れ始めましたが時すでに遅し。フリーな釣り場での釣りは、日没までということで、ぎりぎりまで粘りましたが、今日の釣果はわずかに12匹。
 しかも小物釣りで知られた私とあって、小さいのは5センチほど。

 釣った魚を容器に入れて泥を吐かせていましたが、結局家までみんなピンピンしていました。今日はちょっとかわいそうで食べることができなかったので、明日以降リベンジをして、そこでいただこうと思います。

 明日もしのつ湖で、今度は別な釣り場にして、今日テントの中で気が付いたシステムの修正をしてみようかと。


 夫婦二人連れでの釣りなのに、「連れ ない(釣れない)」とはこれいかに。うーん、お粗末。 

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心の年輪は成長の証

2017-01-20 23:16:38 | Weblog

 

 人は飽きる存在です。

 同じものや同じことから得られる快楽は、時と共に少なくなっていく。これが飽きるという事です。

 食事のように、自然になくなっては困るもの、減ってゆくものを補うような、生きていく上で必要なことは飽きるという事とは無縁です。

 しかしそうではなく、生きていく上で必ずしも必要でないものは、どうしたって飽きることがあるのです。

 どんなにもてはやされたアイドルも、どんな名曲も、人はいつしか慣れてしまい、それでは満足が得られなくなって消えてゆきます。

 人気の政治家も人々が当たり前と思っているような制度や体制だって、理性では必要と思っていても、感情として飽きてしまって許せなくなるなんてこともあるでしょう。

 もしかしたら、欧米でのこれまでの態勢のゆらぎも、「怒り」の感情に加えて「飽きる」という心理が働いているように思えてなりません。

 ただそれは悪いことばかりではなく、自分自身が成長し進化するために、新しい何かを取り入れずにはいられないということなのかもしれません。

 物質としての身体が新陳代謝を繰り返すように、心も新陳代謝をしてゆく、そんな心理の一つが「飽きる」ことじゃないでしょうか。

 それに、たとえどうしてもやらねばならなくて、繰り返していると飽きるような代わり映えしないことだって、ちょっとした日々の変化があると喜びが生じます。
 
 常に変化をつけるような工夫と努力をして、人も関係性も、常に新鮮であり続け、飽きることのない人生でありたいと思います。

          ◆ 


 「日に新たに 日々に新たなり」とは、中国古代の殷王朝を開いた湯王が言い始めた言葉と言われていますが、その一瞬一瞬を成長の時間とすることが大切なんじゃないでしょうか。

 昨日よりわずかでも成長した年輪を自分自身に刻み続けましょう。

 

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旭川のイベントのまちづくり効果はいかに? ~ 都市計画学会第二回セミナー

2017-01-19 23:34:48 | Weblog

 個人的な活動として、日本都市計画学会に所属して勉強をしているのですが、会の中で「セミナー担当」という役についています。

 年度内の活動計画として、3月までにセミナーを開催することになっていて、準備を進めているところ。

 今年はセミナーを貫くテーマとして、「イベントとまちづくり」を掲げていて、これに見合った事例調査と講師の選定を進めてきたのですが、ようやくその方向性が固まりました。

 今回は旭川市の中心部で開催されているイベントに注目して、テーマを「旭川市の中心市街地におけるイベントと地域活性化(案)」とし、秋の旭川の一大食のイベントとなった「食べマルシェ」と、女性だけのランイベントである「スイートガールラン」について、それぞれ担当されている方からお話を伺います。

 まず「食べマルシェ」の方は、旭川市役所経済交流課課長補佐の住吉さん。できればイベントの概要に加えて、中心市街地の活性化などまちづくりへの影響度合いなども聞かせてほしいところ。

 次の「スイートガールラン」の方は、同イベントの実行委員会事務局の前田さんからお話を伺います。

 女性だけのランイベントで、ただ走るだけではなく、女性の多くが興味を持つ、スイーツやコスメ、健康などといった要素もちりばめられているのですが、どうしてこんなイベントをやろうと思ったのか、またその効果など興味津々です。


   【昨年開催の公式ホームページより】

 日程は2月28日(火)18時30分から二時間程度。会場は現在調整中です。


 こうした各地方都市ならではの試みが、良い意味で参考になって各地方へ波及するということを期待したいものです。

 セミナーの最終の姿が固まったところでまたお知らせをしますので、市町村の担当者で興味のある方も奮ってご参加ください。

 

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「互換品」と言わず、ジェネリックと言うとイメージが良くなるな(笑)

2017-01-18 23:56:56 | Weblog

 

 歯にインプラントを施したときに、歯科医からは「インプラントを長持ちさせるためには、しっかりとメンテナンスをすることがとても大事になりますからね」と強く言われ、勧められたのが電動歯ブラシでした。

 確かに手で磨くよりも効率よく汚れが取れるのは分かるのですが、「こんなはずではなかった」と思うのが、替え歯ブラシの高価なこと。

 純正の商品ならば一本千円くらいするのですが、取扱説明書には「約三か月が交換の目安」なんて書いてある。

 なるほど、これもパソコンのプリンターのように本体は安く売って、交換用インクで儲ける商法なのかな、と思ってしまいます。

 パソコンの交換インクには互換インクがあって、これなら値段は半額くらいになるのですが、かつて互換インクを買ってすぐに詰まってしまって使い物にならなかった経験があります。

 また、春になるといつも使っているアレルギー性鼻炎の薬にもジェネリック医薬品があって、以前それを試してみたのですが、眠気が襲う度合いが激しくて、これは飲めないな、と思ったこともあり、「互換品」という単語にはネガティブなイメージがつきまとっていました。

 とはいえ、ネットに安い替えブラシはないものか、と探していたら、ちゃんと「Generic Replacement Brush Heads」として互換品の替えブラシが売っていました。

 (なるほど薬では"ジェネリック"と聞くけど、こういう製品でもいうのかね)などと思いながら、ダメ元で1セットを購入してみましたが、これが案外ちゃんと使えます。

 見た目はほとんど変わらず、お値段は正規品の半分以下なので、割安に使いつぶし安くなりました。

 使っているうちに、耐久性や汚れの落ち方などの性能に違いがあるのかもしれませんが、もう少し使ってみて試してみようと思います。

 未だに「安かろう、悪かろう」のイメージがぬぐえない互換品ですが、ある程度の割り切りで試してみるしかないのかな。

 割り切れない思いを抱きながら、現実路線を探っています。 

 

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初めて、道警本部を訪ねました

2017-01-17 23:48:46 | Weblog

 

 道路に穴ぼこが開いていたり"わだち"が原因で交通事故になった、というような事故は記録や統計として押さえられているのでしょうか。

 そんな疑問をずっと持っていたのですが、ある方のツテをたどって道警交通企画課のご担当者を紹介していたくことができて、先日実際にお会いしてきました。

 当方の問題意識は、道路の維持管理が交通事故につながった可能性はどれくらあるか、ということなのですが、実際にはそうした統計は北海道全体の交通事故統計というようなデータとしては読み取れないようでした。

 交通事故の統計は、第一当事者がどのような属性であるか、ということや日付や曜日、時間帯、事故原因は何か、と言う事が記録されていますが、事故原因の分類は、事故を起こした本人の「前方不注意」や「判断の遅れ」などに帰着するような人に着目した捉え方が中心のようでした。

 たとえば道路に穴が開いていたとしても、それに気が付くのが遅れたためにはまって自損事故につながった、という判断です。

 もちろん、その後に当事者が道路管理者に対して損害賠償を求めることもあるかもしれませんが、まずはその事故と第一当事者の関係性を探るのが統計の中心的なテーマのよう。

 やはり道路のメンテナンスと不便や被害との関係は、マクロな統計よりも個別のエピソードを積み上げる方が印象的でわかりやすいのかもしれません。

 今度は道路に起因する困りごとのエピソードを取材して来ようと思います。

 疑問は一つ一つ潰してゆかなくては、ね。  

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元気ですか!? ~『元気な日本論』を読みました

2017-01-16 23:56:56 | Weblog

 

 『げんきな日本論 橋爪大三郎×大澤真幸』(講談社現代新書)を読みました。

 現代日本は経済的にはかつてのような勢いがない反面、観光や和食などでは世界のどの国にも似つかない独自性を発揮しているようにも見えます。

 しょげるほどでもないけれど、自慢するには何を自慢したらよいのやら。

 そんなときは、我が国の歴史をつぶさに勉強してみて、世界の標準とどのあたりが違ってきた結果、今日の姿になっているのかを考えてみるのが良いでしょう。

 そんな日本の姿へのアプローチにもってこいなのが、この一冊です。

 社会学者である橋爪大三郎さんと大澤真幸(おおさわ・まさち)さんの二人が、橋爪さんが設定した18のテーマについて語り合う対談形式で進んでゆく内容はそれほど難しくなく、それでいてときどき「そうだったのか!」と膝を打つような日本論が出てきて感心してしまいます。


 一例が、日本の縄文時代と言う不思議に長く続いた時代のこと。

 世界史の教科書に出てくるような文明が生まれた地帯と言うのは、かつては豊かな森林に恵まれた土地柄だったのが、人間が集まり住むようになって次第に森林を失って不毛な土地になってしまいました。

 逆に森林が残ってきた土地と言うのは、ジャングルのように人間が大量には住めない未開の場所であった。日本のように、人間が大勢住んでいるけれど森林が豊かにあるというのはおよそ日本だけだ、ということをまず考えなくてはならない。

 そして、自然が人間を支える力が弱いところでは、人間の方が支えてくれる自然を目指して移動して歩くのが世界の中でのフツーだということ。

 人類の歴史の中では農業による作物生産力が飛躍的に向上して初めて人間は定住をするようになるのですが、日本では縄文時代と言う、農業が全く未発達な段階ですでに定住を始めている。

 これは照葉樹林と言う豊かな自然があったために動かなくても良い生活を送ることができたというのです。

 さらに、日本では縄文時代から土器が盛んにつくられました。これは定住する生活だからこそ作られたもの。移動するならこんなに重いものはもって運べませんからね。

 土器は定住の結果作られたもので、農業が発達してからつくられたものではない。それも日本ならではの歴史なんだと。面白いですねえ。


          ◆  


 話題は古代から中世、近世へと続いていきます。

 「なぜ日本には、源氏物語が存在するのか」という問での対談では、「カタカナはお経を読み上げるときの発音として僧侶が使い、ひらがなは女性が中心になって用いる文化ができた」と考えています。

 中世貴族社会になって、男女のコミュニケーションを図るためには和歌を詠んでそれをお互いに届けあうようなことが、現代の携帯メールのように流行しました。

 それで女性が文字を書かなくてはならない必要が生じ、それがひらがな文化になっていったんだと。

 このひらがな文字が確立した平安時代は今からおよそ千年前のことですが、現代日本人でもちょっと勉強すれば千年前の文学が読み書き出来て味わうことができる。

 こんなことができるのは、漢字文化の中国を除くとほとんど例がない。これによって日本は文化的アイデンティティが確立したと言って良いのじゃないか。

 
          ◆   


 こんな対談が延々と続いているのを読んでいると、バーか何かで面白い話をしている二人連れの話に聞き耳を立てているような気がしてきます。

 お気楽で難しくなく、それでいて今の自分につながる日本人らしさの源がなんであるかということのヒントが満載の『げんきな日本論』。

 当たり前を疑ってみると、日本人って面白いな、と思います。

 

 

 

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新しい道具で頭を活性化させましょう~冬はワカサギ釣りへGO!

2017-01-15 23:49:05 | Weblog

 

 今年から本格的にワカサギ釣りを始めようと、釣り竿や仕掛け、小物類を少しずつ取り揃えてきたのですが、ついに意を決して、昨晩は、ワカサギ釣りのための通称「ワカサギテント」を買いに、釣具店へと行きました。

 大きさには、大人2~3人用のSサイズ、3~4人用のMサイズ、5~6人用のLサイズの三段階があって、店頭にはSとLだけが飾られています。

 店員さんに「真ん中のMサイズはもうないんですか?」と訊いてみると、「当店にはないんですが、市内の他の売り場だったら一点残っているようです」とのこと。

 そちらのお店が十時開店と確認して、今日朝一番でテントを買ったらその足でワカサギ釣りに行こうと張り切って釣具店に向かってみると、店先で雪かきをしていた店員さんが、「すみません、うち、冬場は11時開店なんです…」とすまなそうな返事。

 仕方がないので妻の実家を訪ねて時間を潰した後で再び同じ店へ。無事にテントは変えたものの、そのころから雪が強く振り出してきたりして、なんとなく気持ちが乗らなくなってしまい、今日のワカサギ釣りは延期としました。

 折角なので、家でテントの張り方の練習をしたり釣り道具の整理整頓などを過ごしましたが、新しい道具が来るとまた使い方を習得することに頭を使います。
 しかし実はこれが新しいことにチャレンジするきっかけになっているわけで、怠け者である自分の脳を活性化するには実に良い刺激になっているのです。

           ◆ 
 
 さて、これまでのワカサギ釣りは、どれも誰かにコーディネートしてもらってしっかりサポートしてもらってのお大臣な釣りばかりだったので、そろそろそれから脱却して、妻などと行ってちゃんと釣り上げることを目標にしようと思います。

 またそれと同時に、友人関係を通じて、一つでも多くの釣り場を体験してみたいとも思います。なんといっても、頭の中だけで考えていることと一度でも経験してみることには雲泥の差がありますからね。

 こうして新しい経験を自分の血や肉にすることって大切です。

 さてさて、この冬も"プライスレスな時間"を求めて東奔西走してみます。

 

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名人は道具立てにも品がある~新春初蕎麦会は更科で

2017-01-14 23:18:05 | Weblog

 今日は入会している北海道そば研究会の新春発打ち会。

 今回は、手打ちそば愛好会には珍しく「更科蕎麦を打ってみましょう」ということで、滝川ふれ愛センターまで出かけてきました。

 今日の講師は、「札幌新川そばの会」の神指芳裕(こうざし・よしひろ)先生。すでに北海道名人にもなられていて、「彼は打つのが早すぎて、審査員には評判が悪いんだよ(笑)」という伝説があるくらい。
 そもそも「神の指」だなんて、凄腕の蕎麦打ちにぴったりの名前ですね。

 今日はその神指さんから、更科蕎麦の打ち方を教わりました。

 そもそも蕎麦には大きく分けて、田舎蕎麦と更科蕎麦があります。

 どちらも同じ蕎麦の実を挽いて取れる粉ですが、挽いた時に出てくる成分の順番がカギになります。

 蕎麦の実は断面が三角形をしていますが、それが石臼などで引いた時に最初に割れてサッとでてくるのが実の中心の部分で、これが更科粉や打ち粉の部分になります。
 ほとんど粘り気がなく真っ白で、蕎麦らしい味もほとんどありませんが、少ししか取れず希少価値があるということで、御膳粉などとも呼ばれます。

 最初に引いた時に出てくる粉をふるいで分けて、残った部分からは蕎麦らしい青くさい香りのする田舎蕎麦らしいの粉が出てきます。挽いては篩うを何度も繰り返して取れるのが田舎蕎麦の粉で、こちらはいくらか粘りもあるので打ちやすくなります。

 私自身は、更科蕎麦を何度も打ったことがあるのですが、改めて更科蕎麦の打ち方を一から学ぼうということだったので楽しみに参加をしたものです。

 実際教えてもらうと、私の知っているやり方とは微妙に水回しのやり方も違いますが、それでも、細く長くほぼ完ぺきな蕎麦打ちのスタイルを見せていただき、目から鱗が落ちる思いでした。

 興味深かったのは、「打ち粉はできるだけ使わないんです」というやり方。「なぜですか?」と訊くと、「打ち粉を使うと、蕎麦の生地が粘らなくなって破れたり切れたりしたときに手直しが効かなくなるんです。でも打ち粉を打たなければ多少の修復が効くので、そちらの方が良いと思っています」とのこと。

 蕎麦は三十本を切ったところでその幅の紙に乗せて、一人前としてぴしっと整えて容器に揃えていきます。

 いろいろなやり方はあれど、丁寧で上手な技というのは確実にあるのだというものを見せてもらえました。


 更科蕎麦は、田舎蕎麦のような香りが少ないので「美味しくないんじゃないか」というイメージを持っている人も多いのですが、香りが少ないことを逆手にとって、抹茶をまぜて茶蕎麦にしたり、柚子をまぜて柚子蕎麦にするといった、香りづけによって蕎麦の麺文化としてのバリエーションが広がります。 

 上手になるためには目を肥やすことと経験すること。これが欠かせません。

 名人ともなると道具立ても品格があります。今日は良い勉強になりました。

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著名な脳外科医がフライフィッシングに目覚めて人生が変わった

2017-01-13 23:46:46 | Weblog

 

 我が国指折りの脳外科医でありながら無類の釣り好き、尊敬すべきフライフィッシングの大先輩であるドクター・カワノこと川野信之先生の最新刊、「ある毛鉤釣り師の足跡」が我が家に届きました。

 発刊されたことを知って、すぐに川野先生に送ってくださるようお願いをしたところ、直筆のサイン入りで送って下さったもので、今から読むのを楽しみにしています。

 元々釣りなどしない私でしたが、私が釧路市役所へ赴任したところで掛川の友人たちが「これはいい場所に行ったもんだ」とばかりに、釣りガイドを求めて私の元へ来ることになりました。

 市役所の釣りのベテランにガイドをお願いしたところ、「それは構いませんが、小松さんも参加してくださいよ」と言われ、道具も用意されて、それが縁で私もフライフィッシングの世界に足を踏み入れたのでした。。

 川野先生とは、実は掛川ですれ違っていたものの、当時私はフライフィッシングをしていなかったので挨拶程度の薄いお付き合いでしかありませんでした。

 ところが、偶然にも釧路には地元でアメマス釣りの開拓者という筋金入りのフライフィッシャーにしてしかも出版社の社長と言う水口さんという仲介者を得て、川野先生と釣りによって不思議な再会を果たすことができました。

 川野先生と歩いた阿寒川、音別川、とある漁港などは、今でも思い出に残る釣行でした。

 そして、目次を見ながらぺらぺらとページをめくると、なんと!その思い出の釣行が「道東での釣り」として、一編のエッセイになっているではありませんか。
 開いてみると、私と妻も一緒に行った時の写真も載せていただいています。

 さらには後書きにも、楽しかった釣り仲間の一人として名前を乗せていただいていました。なんという光栄!

 先生直筆のサインには、「小松正明さん、もし私がfly fishingに出会っていなかったら、医学という狭い世界で右往左往していたことでしょう。良い釣りを!」という言葉が寄せられていました。


 
 お礼を兼ねて、先生にネットを通じて、「我が家にも川野先生の直筆サイン入りで一冊届きました。最初のエッセイの『世界中の時間が止まった!』というのが、素人の私でも実によくわかります。釣りを始めて良かった!」と書いたところ、すぐにこんな返事がきました。

「いかに読み手に膝をたたかせるかというのが書き手が苦心するところであり、そう言ってもらえば書き手冥利に尽きます!」と。

 川野先生が世界中を駆け巡って作った思い出には到底及びもつきませんが、川へ入って魚に対峙した時の血がたぎる思いが少しは感じ取れるようになりました。
 
 農業は詩になり、釣りは文学になる。

 川野先生、ありがとうございました。 Tight lines!


 

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歯科医は自分よりも若い人にしよう

2017-01-12 23:04:29 | Weblog

 

 半年ほど治療を続けてきた奥歯でしたが、どうにも痛みが取れず炎症が取れません。

 普段は痛みも何もないのですが、ちょっと強く圧をかけると人割と痛みが出てきます。

 そもそもが奥歯といっても親知らずなので、根が浅く仮に治療がうまくいっても早晩もたなくなる可能性があったので、ついに抜歯を決断。残念ですが、また一本自分の歯とお別れでちょっとブルーな気分です。

 お世話になっている歯科医の先生は申し訳なさそうですが、歯が弱い質なので仕方がないかなあ、というところ。

 考えてみると、平均すると年に一度は何らかの形で歯科に通っている印象ですし、悪いことに転勤族と言うのはそのたびにかかる歯科医が変わってしまいます。
 できれば腕の良い先生と長くお付き合いをしたいところです。

 それともう一つは、付き合う歯科医は自分よりも年齢的に若い人にしないと引退されてしまうという懸念があること。

 特に最近は、歯科医が増えすぎて経営が難しくなるところも多いと聞きます。

 実際、東京で歯のインプラント治療をしてくれた歯科医の方に当時の材料などを訊こうとしたところ、すでに閉院して連絡も取れなくなっていたことがありました。

 歯科医とのお付き合いも運命的なものがありますが、私の長い経験談から言って、腕が良い、愛想が良い、自分より若い、家から近いといった条件を少しでも多く満たしていることがよさそうです。

 さらに言うと、歯科衛生士さんがかわいいということも挙げておきましょうか(笑)。

 
 今通っている歯科医では、毎月歯を薬で染め出して、ブラッシングで汚れが取れていない場所を指摘されます。

 毎回一生懸命に磨くのですが、歯と歯の間などはどうしても汚れが残ってしまっていつも指摘と注意をされてしまいます。

 歯磨きは、数少ない「技術を身に着ければちゃんとやれる健康法」の一つです。

 頑張って口の中から健康になりましょう。 

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