昨年末から準備をしていた会合が無事に終わって、ほっと一息。
気の合う先輩と二次会へ流れて居酒屋でカラオケに興じました。
「こういう場面に呼びたい、読んでも良いメンバーって誰が浮かぶだろうね」という話になって、呼びたいメンツと呼びたくないメンツとの差がどこにあるかで盛り上がりました。
現職の時のポストとして偉くなった、と言うこと以上に、好かれる、かわいがられる、愛嬌がある、という要素が、社会の人間関係の中で生きてゆくためにはとても大事だということになりました。
年下であろうが、目下であろうが、かつての部下であろうと、一人の人格として誠実に向き合える人ならば、周りからの引き立てもあるでしょうが、立場をかさに着てえらぶるような人は、その立場でなくなったときにどれくらいの友人がいるかがもんだいになるものです。
友人のために筋を曲げるという事ではなく、社会に対してしっかりと誠実に向き合っているか、ということなのでしょう。
人はある立場に付いた時に公的に認められた昇進・昇格とともに、世間が判断する「評判」があります。
「あの人ならもっともだ」という評判もあれば、「なんであの人があんなに重用されるんだろう?」というネガティブな評判もありえます。
逆に、「なぜあの人があんな低い地位に放っておかれるんだろう」というひいきの気持ちが起きるような評判もあります。
そして最後に効いてくるのは世間の評判の方ではなかろうか、と思うのです。
高い地位につこうがつくまいが、世間の評判は付きまといます。
それだけを気にすることもないのでしょうが、真面目とか誠実とか、分け隔てがないといった、徳目が求められるところでしょう。
さて、アメリカ新大統領のトランプさんの評判はいかがでしょうか。大統領になればだれでも言う事を聞く、という事になるとも思えません。
人はただ地位によって判断されるものではない、ということがわかるという能力って大切なんだと思います。