釧路市では昨年都市マスタープランを見直しましたが、その中では新たな方針として「コンパクトなまちづくり」を謳っています。
そこでコンパクトシティのまちづくりに向けた実現方策を探る庁内研究会が始まっており、次回は私も呼ばれることになっています。
コンパクトシティの問題はその正反対である広がった市街地にあります。
つまり、だらだらと広がった市街地では、①自動車交通が利用出来る住民は良いけれど、自動車が使えない住民には非常に不便になること。②市街地が広がってしまうと上下水道や道路、除雪などのインフラの管理費が高くなり維持出来なくなること。③しばしば中心市街地の空洞化を招き、町の活力が低下すること、などの問題が現実に起きているのです。
コンパクトシティの概念は、それらに対する揺り戻しとして、都市の郊外化の拡大を抑制し、市街地の規模を小さく保ち、歩いてゆける範囲を生活圏と捉えて、コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指そうとするものです。
そのメリットは、まさに上記の反対なわけで、町がコンパクトであればインフラも効率的に維持管理ができるし、徒歩圏の町であれば自動車は必要ではなく地域の商店街もシャッター街にならずにすみそうです。コンパクトシティはこれからのまちづくりが目指す理想像のようです。
※ ※ ※ ※ ※
しかしながら、この考えには批判も多くあります。
その一番のポイントはなんと言っても『我々は過去から独立ではいられない』ということに尽きます。つまり、『もう広がってしまった市街地を縮小させることができるのか?』という問題です。
コンパクトシティをWikipediaで調べると、次の四点を課題として挙げています。
①既に拡大した郊外をどう捉えるのか。
②郊外の発展を抑えれば中心市街地が再生するのか
③都市計画をツールとして有効に活用できるか
④自動車への依存を克服できるのか
まさに、問題の中心はどうやって実現できるのか、という方策を求めることに外なりません。
人口が減少しても、都市の市街地は自動的に小さくはなりません。郊外の住宅地などは地域が高齢化して住む人が少なくなれば、空き家と空き地が増えて質が劣化した地域が増えて広がって行くばかりです。
そのときの問題は土地や家屋の値段が下がることであり価値が毀損することだと思います。苦労してお金を稼いで買った4千万円の家と土地は、人口減少化では1千万円の価値しかもたなくなるかもしれません。ここでは3千万円の価値が消えています。
原野だった土地が住宅地となって価値を増やした時代から、時計が逆回りに回り始めて価値を下げる時代となりますが、こういうときには拡大の圧力を調整してまちづくりに繋げた従来の都市計画法による誘導は全く無力です。民間の財産を行政が何とかするわけにはいかないのです。
都市計画の専門家やインフラ整備の専門家だけが集まってもコンパクトシティは実現できないような気がします。
私がわずかに期待するのは福祉の分野です。エネルギーをこれから拡大するニーズに求めるとすると、やはり高齢者福祉(特に健常な)や介護福祉であり、福祉に携わるNPOの力や医療施設、公営住宅などのニーズを拾うことで都市の中の人口の移動につなげられないものかと考えます。
お年寄りが持ち家を売って郊外住宅地を離れることに、どのようなニーズや障害があるのでしょうか。
住んでくれる子孫がいない家はどのように継承されるでしょうか。売れなくて主のない空き家はどのような末路をたどるのでしょうか。質が低下する地域における財産の行く末を思考実験してみることが必要ではないでしょうか。
※ ※ ※ ※ ※
そのため釧路のコンパクトシティの次回の研究会では私が冒頭で問題意識を講演することになるのですが、福祉分野の担当者にお願いをして一緒に入ってもらおうと思っています。
できるならば、高齢者の方たちの意識などにも触れてみたいと思います。地域は地域の理想像を持つことと、英知を結集した都市経営を行わなければうまくいかない時代になってきたように思います。
高齢者問題と福祉と都市計画が融合したコンパクトシティ論が作り上げられるかに挑戦してみたいと思います。
【「コンパクトシティ」が抱える3つの課題】
http://d.hatena.ne.jp/trivial/20090528/1243438237
そこでコンパクトシティのまちづくりに向けた実現方策を探る庁内研究会が始まっており、次回は私も呼ばれることになっています。
コンパクトシティの問題はその正反対である広がった市街地にあります。
つまり、だらだらと広がった市街地では、①自動車交通が利用出来る住民は良いけれど、自動車が使えない住民には非常に不便になること。②市街地が広がってしまうと上下水道や道路、除雪などのインフラの管理費が高くなり維持出来なくなること。③しばしば中心市街地の空洞化を招き、町の活力が低下すること、などの問題が現実に起きているのです。
コンパクトシティの概念は、それらに対する揺り戻しとして、都市の郊外化の拡大を抑制し、市街地の規模を小さく保ち、歩いてゆける範囲を生活圏と捉えて、コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指そうとするものです。
そのメリットは、まさに上記の反対なわけで、町がコンパクトであればインフラも効率的に維持管理ができるし、徒歩圏の町であれば自動車は必要ではなく地域の商店街もシャッター街にならずにすみそうです。コンパクトシティはこれからのまちづくりが目指す理想像のようです。
※ ※ ※ ※ ※
しかしながら、この考えには批判も多くあります。
その一番のポイントはなんと言っても『我々は過去から独立ではいられない』ということに尽きます。つまり、『もう広がってしまった市街地を縮小させることができるのか?』という問題です。
コンパクトシティをWikipediaで調べると、次の四点を課題として挙げています。
①既に拡大した郊外をどう捉えるのか。
②郊外の発展を抑えれば中心市街地が再生するのか
③都市計画をツールとして有効に活用できるか
④自動車への依存を克服できるのか
まさに、問題の中心はどうやって実現できるのか、という方策を求めることに外なりません。
人口が減少しても、都市の市街地は自動的に小さくはなりません。郊外の住宅地などは地域が高齢化して住む人が少なくなれば、空き家と空き地が増えて質が劣化した地域が増えて広がって行くばかりです。
そのときの問題は土地や家屋の値段が下がることであり価値が毀損することだと思います。苦労してお金を稼いで買った4千万円の家と土地は、人口減少化では1千万円の価値しかもたなくなるかもしれません。ここでは3千万円の価値が消えています。
原野だった土地が住宅地となって価値を増やした時代から、時計が逆回りに回り始めて価値を下げる時代となりますが、こういうときには拡大の圧力を調整してまちづくりに繋げた従来の都市計画法による誘導は全く無力です。民間の財産を行政が何とかするわけにはいかないのです。
都市計画の専門家やインフラ整備の専門家だけが集まってもコンパクトシティは実現できないような気がします。
私がわずかに期待するのは福祉の分野です。エネルギーをこれから拡大するニーズに求めるとすると、やはり高齢者福祉(特に健常な)や介護福祉であり、福祉に携わるNPOの力や医療施設、公営住宅などのニーズを拾うことで都市の中の人口の移動につなげられないものかと考えます。
お年寄りが持ち家を売って郊外住宅地を離れることに、どのようなニーズや障害があるのでしょうか。
住んでくれる子孫がいない家はどのように継承されるでしょうか。売れなくて主のない空き家はどのような末路をたどるのでしょうか。質が低下する地域における財産の行く末を思考実験してみることが必要ではないでしょうか。
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そのため釧路のコンパクトシティの次回の研究会では私が冒頭で問題意識を講演することになるのですが、福祉分野の担当者にお願いをして一緒に入ってもらおうと思っています。
できるならば、高齢者の方たちの意識などにも触れてみたいと思います。地域は地域の理想像を持つことと、英知を結集した都市経営を行わなければうまくいかない時代になってきたように思います。
高齢者問題と福祉と都市計画が融合したコンパクトシティ論が作り上げられるかに挑戦してみたいと思います。

【「コンパクトシティ」が抱える3つの課題】
http://d.hatena.ne.jp/trivial/20090528/1243438237