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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

おいしい水を支える人たち

2010-09-14 23:24:08 | Weblog
 抜けるような青空の朝。

「すごく良い天気ですね」と知人に言うと、
「これが釧路の秋ですよ。パーッと晴れてしかも涼しい。そして魚が美味しくなる季節です。ゴールデンウィークの頃に釧路に来られると霧の季節を味わえて、秋のシルバーウィークは晴れが続いて魚も美味しいというわけです」との答え。

 実は今週末は妻が札幌から釧路へ来て、三連休にあちこちでカヌーをする予定。釧路の秋を試してみたいと思います。

    ※     ※     ※     ※     ※

 議会は常任委員会での議論が行われています。担当部長以下は委員会でのやりとりに汗をかいていますが、私は出る幕がないためまとまった時間が取れました。

 まだ行っていない市内のなかで午後から浄水場を見学してきました。

 釧路では釧路湿原を水源とする釧路川から取水して、一水源一浄水場で(合併した阿寒地区、音別地区を除く)旧釧路市内の水をまかなっています。

 この浄水場、耐震性などの問題から建て替えを計画しているのですが、新しい技術を導入するための実験を行っている最中。

 釧路川って、湿原を通ってくる水のため植物が腐敗した有機物が混ざった水を処理して飲めるようにするのが結構大変なのだそう。

 いろいろな薬剤で水の中の悪い成分を固めて除去しますが、そうした薬剤や手間が水道料金に跳ね返るということにもなります。もちろん薬剤は除去されて人体に影響はなく、50種類以上もの水質検査を日夜行って、安定した水質で水をお届けしています。

 小学校3年生は社会学習として施設の見学に来るそうですが、当たり前の日常生活を維持する生活インフラが縁の下の力持ちになっているということに気が付いてくれると良いですね。

 美味しい水、飲んでます?
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【おまけ】 司会者がツイッターをすると

2010-09-14 01:22:16 | Weblog
 掛川で行われた全国地域SNSフォーラムでのワンシーンのお話。

 東大の総合監修をしてくださった東大の田中先生とは、初日の昼食会場でお会いしましたが、大きなバッグを重そうに抱えて来られていました。

「田中先生、何をまたたくさん持ってこられたんですか?」
「パソコンですよ、パソコン。今回は4台持ってきましたからね。会場でのパワーポイント用とツイッター用、それにiPhoneとiPadで4台。これだけあれば何とかなるでしょう」

 いや、それは確かに荷物ですわ。

    ※     ※     ※     ※     ※

 田中先生は、初日のパネルディスカッションのコーディネーター役なので、ディスカッションの最中は、進め方や資料をパワーポイントにしてスクリーンに表示されました。

 会場となった大講堂では、ディスカッションを聞きながら聴衆がつぶやくツイッターの表示をリアルタイムで別なスクリーンに映し出していました。またツイッターの次々現れる発言は、手元に無線ランが使えるパソコンさえあれば読めるのです。





 田中先生は手元にパワーポイント用のパソコンとツイッター用の二台のパソコンを用意して、司会をしながらパネラーの意見を聞き、会場の声をツイッターで読みながら、話を次に持ってゆくという離れ業をあわただしくやってのけました。

 それでもパソコンが二台あっても手は二本、頭は一つしかないので、良い話が出るとつい引き込まれて聞きこんでしまって、次に何をするか忘れてしまったりすることもしばしば(笑)。

 しまいには、ツイッターで拾った会場からの面白い意見をパワーポイントでスクリーンに映して議論を進めようとさえしてくださいました。ところが、面白い意見を表示して「この意見はどなたのでしょうかねえ?」と会場に振ってみても、手が上がりません。

 つまり、率直な意見は匿名のだれかとしてはつぶやけるけれど、大勢の前で手を挙げて自分をされけ出した中で発言をするのはかなり勇気がいることなのです。そのため、意見を求められても思ったことを言えないということが多いわけ。

 逆に言うと、皆の前で堂々と言えない意見もツイッターなら言えて、しかもそれがツイッターを通してみんなに通じているというこの不思議さ。新しい時代のコミュニケーションツールであることは確かです。

    ※     ※     ※     ※     ※

 ところで、二日目の私が担当する分科会でも私自身、コーディネーターでありながら机の上に二台のパソコンを持ち込んで、ツイッターを見ながらの司会をしてみました。

 会場からのリアルな反応や意見は面白かったのですが、終わってから友人に、「司会をしながらツイッターを見るというのは、なんだか議論に真剣じゃないように映りましたよ」と言われてしまいました。

 なるほど、確かに司会として話題をパネラーに振った後は、相手を見ることなく目の前のパソコンを見ることが多かったのです。お話は頭の中では集中して聞いていたのですが、【映り方として】真剣さに欠けるように見えてしまうのです。

 これは大きな反省点でしょう。何人もいるパネラーとしてであればまだ許されるかもしれませんが、議論をさばいたりその場の雰囲気を作り上げる責任もあるコーディネーターとしては、ツイッターに気を取られすぎるのが良い印象を与えないということに気付くべきでした。

 ここでも「分度」の精神で、分をわきまえた振る舞いの仕方が求められました。

 なるほどねえ、勉強になりました。 
コメント (2)
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