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「歳代記」散逸文の発見 - 古文書に親しむ

(庭に咲く数少ない花の一つ、花の名前はワスレナグサの一種)

土曜日の「古文書に親しむ」で、講師から奇跡のような話があった。かつて、この講座の教材として読み進めていた「歳代記」、幕末から明治のはじめに掛けて、世の中で起きたことが、東海道金谷宿という辺地に居て、かなり克明に記録されていた。しかし、その中に大政奉還のことが一言も触れられていないことが、講師には不思議であったという。

ところが最近、別の旧家の古文書の整理を頼まれて、整理していたところ、どこかで見たような一枚の文書を発見した。そこには大政奉還の記述があった。まさに「歳代記」の欠落した一枚の発見であった。その一枚がどうしてそこへ紛れていたのか、今となっては判らないが、この奇跡を喜びたい。この一枚を補って「歳代記」は完本となった。今日は、そのページのコピーを頂き、急遽その解読をしていただいた。以下へ、その一部を読み下し文で示す。

徳川内府宇内の形勢を察し、政権を帰し奉り候に付、朝廷において万機御裁決遊ばされ候に付いては、広く天下の公儀尽し、偏(ひとえ)に党の私なきを以って、衆心と休戚を同じうし、徳川祖先の制度を受ける事、良い法はそのまま御変更これ無き旨、仰せ出され候間、人々公明聖大の聖意を奉り、おのおの安心してその家業を営み候様、仕るべきものなり
    慶應三卯年十二月

※ 内府(ないふ)- 内大臣のこと。ここでは徳川慶喜。
※ 宇内(うだい)- 天下。
※ 万機(ばんき)- 政治上の多くの重要な事柄。また特に、帝王の政務。
※ 休戚(きゅうせき)- 喜びと悲しみ。幸と不幸。

徳川慶喜天下の形勢止むを得ずを察し、大政返上、将軍職辞退相願い候に付、断然、聞こしめされ、既往の罪問わせられず、列藩上座にも仰せ付けらるべく候、豈(あに)図らんや、大阪城へ引き取り候、旨趣、作謀に蒙りて、さる三日、麾下のものを引率、帰国にしたがうを仰せ付けられ候、会桑を先鋒として、闕下を犯し奉り候勢い、現在彼より兵端を開き候上は、慶喜反状明白、始終、朝廷を欺(あざむ)き奉り候段、大逆無道、その罪逃るべからず、この上は朝廷において、御容恕の道絶え果て、止むを得られざる御追討仰せ出され候、聊か、兵端既に開き候上は、速々賊徒誅戮、萬民塗炭の苦しみを救われ候、叡虜に候間、今般、仁和寺宮、征討将軍に候、任じ候に付、これまで愉安怠惰に相過ぎ、あるいは両端を犯し、あるいは賊徒に従いおり候者たりとも、真に悔悟憤発、国家の為尽忠の志これ有る輩は、寛大の思し召しにて、御採用在らせらるべく、もっともこの時節に至り、大義を弁えず、賊徒と謀(ぼう)を通じ、あるいは、潜居致され候者、朝敵同様、厳科に処さるべく候間、心得違いこれ無き様候事
   慶應四戊辰年正月

※ 旨趣(ししゅ)- 1 事柄の意味・理由。趣旨。2 心の中で考えていること。所存。
※ 麾下 - 将軍じきじきの家来。はたもと。
※ 会桑 - 会津藩と桑名藩。
※ 闕下(けっか) - 天子の御前。
※ 容恕(ようじょ)- ゆるすこと。
※ 誅戮(ちゅうりく)- 罪ある者を殺すこと。
※ 愉安(ゆあん)- よろこびやすんずること。
※ 両端(りょうたん)- どっちつかずの態度。ふたごころ。

おそらく、宿場に官軍側から回ってきた文書を、書き写したものと思われる。幕府が出した文書は、パターンが決まっていて、それほど難しい漢語、熟語は使われなかった。たくさんの人に正しく伝えるには、平易な言葉で判りやすく書く必要があった。しかし、人々を煽る意図を持つ文書は、難しい漢語を多用して煙に巻くような文章が多かった。この文書は明らかに幕府追討の意図を持った官軍側の文書である。

筆者の松浦幸蔵さんは、淡々と書き写しただけで、何も論評を加えていないが、どんなことを思いながら、この文書を写し取ったのであろう。
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